文化戦争と教育(平成4年)

文化戦争と教育

1.文化戦争とは

 世界の多くの民族や国家が、社会の後継者である青少年教育に熱心であったのは、独自の文化を守り、伝承するための必要課題であったからである。

 社会にとって大事なことは、共通の言葉や風習、価値観や規範をもつことである。そして、それらの公的側面の強い文化を守るために大変多くの戦いが繰り返されてきた。一般的に戦争といえば武器による悲惨な状態を想うし、今日的には文明の利器による経済戦争を連想することだろう。しかし、古代から変わりなく、最も日常的に繰り返されてきたのは文化戦争である。経済戦争や武器戦争は、より具体的、直接的であるが、負けても再び立ち上がる機会がある。ところが文化戦争に負ければ併合又は社会の衰退があるのみである。社会にとって最も破壊的なのは文化戦争であるのに、個人にとっては、耐え難きを耐え、忍び難きを忍べば、時が多くのことを癒してくれるので被害意識はそれほど強くない。

 これまでの日本は、周囲を海に囲まれ、単一民族に近い社会を営んできたので、文化戦争を意識する必要はなかった。しかし、この3~40年の間に国際化の波が押し寄せ、諸外国の人々や言葉、風習、行事や情報など異文化が身近にあふれている。まさしく、未経験の文化戦争を強いられているのだが、多くの人はそのことを認知せず、国際化、価値観の多様化という名のもとに気軽く受け入れている。そして、すでに、日本人同士で共通性の少ない不安定な異文化社会を形成している。

 

2.社会に重要な文化

 文化と呼ばれるものには、社会の基層と表層をなす2種がある。

 基層文化は、自然環境に順応して社会生活を営むに必要な基本的能力(野外文化)で、地域性が強く、親から子、子から孫へと伝承されるものである。例えば、衣食住や安全、衛生などに関する観念・言葉や風習、心身の鍛錬などである。これらを共有しないことには意思伝達が十分でなく、社会の一員になり難いので、伝承の必要性が高い。

 表層文化は、人類に共通する感性によって培われて発展し、生活にうるおいをもたらせるもので、芸能・音楽・文学・美術・工芸などがある。これらは個人的かつ流動的であり、主義・思想・宗教・民族などを越えて画一化されやすいので、公的な伝承の必要性は少ない。

 人間が社会を営むのは、生命の安全と生活の安定を守るのが目的であって、文化伝承のためではない。しかし、社会人に必要な基層文化は、その目的に直結した重要な文化で、守り伝えてゆくものとされている。

 

3.文化的敗北主義

 日本は47年前に武器戦争に負けたが、文化戦争に負けたわけではなかった。ところが、今日になって、多くの人が文化戦争にも負けつつあることを痛感させられている。

 日本は、これまでに民族の存亡をかける文化戦争を体験していなかったので、人々は文化の独自性と重要性を認識していない。それは、奈良、平安時代の千年以上も昔に、中国大陸や朝鮮半島から多くの文化、文明を取り入れ、長い年月をかけて自然に日本文化を形成したからである。そのため、独自の文化を守り伝えるよりも、外来のものを気軽く受け入れる進取の心を大事にした。それが明治時代以後の西洋化に成功する要因でもあった。

 日本人はもともと民族の主体性を必要としなかったので、強いもの、良いものには弱く、なりふりかまわず追随することに大きな抵抗はなかった。その日本がアメリカとの武器戦争に負け、自分たちの弱かったこと、遅れていたことを、まるで民族戦争に敗北したかのように懺悔し、すべてのことを変えようとした。そのため、アメリカ的な文化、文明を盲目的に受け入れ、社会の変えてはいけない、変わらないであろう基層文化までもかなぐりすてて、文化的敗北主義の道を進んできた。その結果が、バブル経済を仕組み、基本的能力未発達性症候群の青少年を輩出する知識偏重教育を生み出す要因となっている。

 

4.教育の改革

 社会のすべては人がなすことなので、よりよい社会人を育成することが全てに勝る政策である。それは理想的な民主主義教育がなおざりがちにしてきた、社会人に必要な基本的能力の養成と文化の伝承をする野外文化教育によってなされる。

 文化戦争に負けつつある日本の教育改革は、遅ればせながら生活科や学校週五日制によって今やっとなされようとしているが、社会人に必要な言葉や風習、価値観や規範など、基層文化の共有こそ国民の心得とすべきである。

             機関誌「野外文化」第117号(平成4年4月20日)巻頭より