IT・AI時代に対応する少年教育(令和3年)

IT・A 時代に対応する少年教育

1.IT・AIによる不信社会

 これまでの人類は、あらゆる災害に対応し、よりよく長く生きるために、いろいろな工夫・改善をなして、今日の豊かな科学的文明社会を作り上げてきた。

 今回のコロナウィルスの感染拡大によって、一層科学的技術を発展させ、IT・AIなどによって、オンライン化やテレワークなどが、ますます進化、発展し、合理的で効率良く目的を達せられる発展的社会が到来するだろう。

 しかし、経済的活動を中心に考えると、明るい未来像だが、社会生活の点からすると、人間を孤立化させる危険性があり、オンライン学習やテレワークなどは、人間疎外になりがちで不信社会になる。SNSなどは、個人的には便利なのだが、社会生活的には不都合が生じ、利己的な人が多くなる。

 今だけ、金だけ、自分だけを中心に考えがちな人が多くなる利己的な不信社会は、心理的には不安定で、不安・不満・不信が募って、日常生活における、社会的適応が困難になる。

2.安全・安心に必要な道徳心

 人間は、安全・安心が守られるならば、利己的に生きるのが理想であるが、現実的に社会生活を営む人間は、個人的には守り切れないことが多く、不安がつきまとう。日常的な社会生活の安全・安心は、心理的な面が多く、金やモノ、地位や権力だけでは保障されない。

 人間の安全・安心に最も必要なことは、他との生活文化の共有である。言葉・風習・道徳心・生活力などの生活文化を共有することが、より良く生きる知恵や力であり、方法である。

 社会生活における安全・安心に必要な生活文化の中でも、民族、主義、思想、宗教を越えて最も重要なのが道徳心である。

 ここでの道徳心とは、社会的義務、責任、競争と、個人的自由、平等、権利を、より良く平等に使い分けられる、社会人としての心得のことである。

 私たちは、お互いに社会での生き方、あり方、考え方、感じ方等に関する暗黙の了解事項としての心得をいくつも作り上げ、ごく普通に生活している。その暗黙の了解事項である道徳心こそ、人類に共通する社会人としての基本的能力である。

 そのごく当たり前の道徳心を共有することが、これからの安全・安心な社会生活や国際化への重要な道しるべになる。

3.これからの日本国と国民

 我々日本人は、日本国に住んでいる、日本国民である。日本国民とは、日本の領土に住む日本人の社会集団のことであり、国家権力とは、国家の意思を国民に強制する力のこととされているが、不信社会になると、国民統合が困難になる。

 日本国民には、民族的日本人と社会的日本人がいる。民族的日本人とは、古来日本国に住んで、国籍を持ち、社会的義務と責任を果たしている人であり、社会的日本人とは、新しく日本に移住し、日本国籍を持ち、社会的義務と責任を果たしている人。しかし、四世代以後は、同化した民族的日本人として認知される。いずれにしても、日本人とは地域社会の生活文化を身に付けた人のことである。ここで言う民族とは、言葉・風習・価値観(道徳心)などの生活文化の内容を、3つ以上共有する人の集団であるが、国が衰退すれば国民の安全・安心はない。

 政治とは、国家に必要な立法、司法、行政の諸機関を通じて国民の生活を指導したり、取り締まったりすることで、政治の大きな役目は、国民を統合して安全を守ること。その手段として少年期の義務教育がある。教育とは、よりよい生活と、生活手段としての仕事(労働)の仕方を教え伝えることである。これからの政治にとって最も大事なことは、教育による国民統合である。

 日本国が憲法で規定している“義務教育”の国家目的は、より良い国民を育成し、生活文化を共有して日常生活をより安全・安心に暮らせるように統合することだ。

4.少年期の社会人準備教育

 私たちの神経の発達は、心の発達と大きくかかわっているのだが、神経は5歳頃から発達が活発になり、平均すると9歳がピークで、14、5歳にはほぼ終わるとされている。そこで、ここでの少年期とは、小学1年生の6歳から、中学3年生の15歳頃までのことである。

 一般的に青少年教育と呼ばれる社会人準備教育は、社会のより良い後継者を育成する公的側面からすると、6から15歳の少年期における人間教育か最も効果的であり、重要なので、ここでは少年教育とする。

 これからのオンライン学習やテレワークは、人間を孤立させ、人間疎外になりがちなので、少年期に、社会生活に必要な生活文化を身につけさせておくことが大切なのである。

 私たち日本人が日常生活に必要な情報としての生活文化とは、その土地になじんだ衣食住の仕方、あり方、風習、言葉、道徳心、考え方等の生活様式としての伝統文化であり、社会遺産である。

 古代からの地域社会における後継者育成としての社会人準備教育は、異年齢集団によって地域の生活文化を見習い、伝えることであった。しかし、戦後のアメリカ支配の文化革命による、伝統文化否定の風習によって、知識偏重教育で、生活文化を知らない人が多くなり、利己的で、引きこもりやノイローゼになる人が多くなっている。

 利己的で自由・平等・権利を主張する社会は、安全・安心な日常生活を三世代以上継続させることは困難だし、利他的な義務、責任、競争を中心とする社会は発展性が弱いことを承知し、これからのIT・AI時代に、安全・安心でしかも発展的社会を営むためには、生活文化としての道徳心を高める、少年期の社会人準備教育に勝る政策はない。

           機関誌「野外文化」第231号(令和3年4月22日)巻頭より