「日本」という土俵の上で(平成18年)

「日本」という土俵の上で

1.個人性重視の教育

 憲法教育基本法が半世紀以上も棚上げされていたが、今やっと改革、改善の論議が活発になってきた。しかし、その内容が、主義、思想、宗教、政党によって勝手に解釈されるので、「日本」としての共通性が感じられない。

 憲法が施行された戦後間もない昭和22年は、アメリカを中心とする連合国の植民地であり、社会の治安と食べることが最優先された。そして、日本人の社会的共通性や伝統文化等は、二の次、三の次であった。しかし、その後も、被植民地時代と同じ法律の下で、“食える社会をつくるために”の理念でがむしやらに働き、自主独立の気概をなくした。

 我々日本人は、社会の安定・継続に必要な社会遺産としての生活文化を、半世紀もの長い間無視し、個性と個人性を取り違えた、個人性重視の教育を続けてきたので、自分のよって立つ国としての社会意識が弱い。そのため、社会人にとって当たり前の“国を愛する心”についてまで、国会で議論されるような羽目になった。

 

2.私利私欲の社会

 日本各地で、各人の見解によって教育問題が討議され、巷の財界では、市場原理による拝金主義が罷り通っている。

「カネもうけをしてどこが悪い」「カネで買えないものはない」「法律さえ犯していなければ、何をしてもよいだろう」

 カネもうけしても悪いことはないのだが、道徳心が必要である。

 戦後のアメリカ民主主義教育を受けてきた日本人には利己主義者が多いが、彼らには、“世間”と呼ばれてきた、社会的善としての“道徳心”が十分に認識されていない。だから形式的な人類愛、国際主義者ではあるが、日本の日常生活に必要な、隣人愛や祖国愛としての具体的な社会意識に欠ける。

 そのため、社会の安定・継続・繁栄に最も重要な、人づくりの手段としての教育を目的化し、市場経済原理による拝金主義の教育産業にすりかえて、私利私欲を謳歌する社会になり下った。それ故に、欧米諸国と同じように、スポーツを職業化したり産業化したりしていながら、公的賭博の対象とし、青少年教育の資金をつくるためなどと主張している。

 

3.社会遺産としての道徳心

 人類の歴史は数百万年と古いが、記録のある有史としては、まだ数万年、確かなことは1万5、6000年だと言われている。

 我々人類は、有史以来、生きのびるための戦いを、個人的にも集団的にも幾度となく繰り返してきた。この地球上に、戦いの歴史をもたない民族は存在しない。

 戦いは、対人だけではなく、対自然の場合が多い。いずれにせよ、あらゆる戦いによって、よりよい文化と文明をつくり出して、よりよく生きるための努力と工夫をし、社会の後継者である青少年の育成に尽力してきた。その結果が今日の人類であり、日本人である。

 我々日本人の祖先が、日本列島の自然環境に順応するためにつくり出してきた、衣食住、言葉、道徳心、風習等の生活文化は、数千年の歴史によって培われ、今日まで伝承され続けてきた社会遺産である。

 科学技術の発展した豊かな社会に住む今日の日本人は、自然環境とのかかわりが弱く、合理的、機械的市場経済的、金権的な生活に埋没し、先祖からの社会遺産に無関心な人が多い。そして、社会人が生きるに必要な手段をカネもうけのために目的化し、社会遺産としての道徳心や食文化等を次の時代へ伝える義務と責任を感じていない。

 

4.同じ土俵に上ろう

 今や日本の大相撲界は、世界中から力士が集まって国際色豊かであるが、伝統的な日本の上俵で相撲が行なわれている。それは、異文化育ちの外国人でも、相撲界の伝統や規則がしっかり伝えられており、同じ条件で同じ土俵に上って取り組みがなされているからである。

 人間は、本来利己的な動物であるが、1人では生きられないので、他と共に生きるに必要な理性が発達している。

 2人以上が共に生きる社会には、暗黙の了解事項である文化としての信頼や応用力が必要である。日本人社会に共通する文化としての道徳心を身につけていないと、お互いに同じ土俵に上って相撲を取ることはできない。

 法律は、時の権力が制定した規則であるが、道徳心は、先祖からの贈りものとしての社会遺産である。社会の安定・継続にとっては、社会的善としての道徳心が、法的善としての規則に勝るとも劣らない力をもっている。

 日本のいかなる政党や主義、思想、宗教団体の人々でも、日本の憲法教育基本法社会保障市場経済活動、カネもうけ等について話し合うには、まず日本人に共通する道徳心によって、同じ土俵に上らなければ、いくら時間をかけてもなかなかまとまらないし、分かり合えない。

 地球広しといえども、日本の大地に住む日本人には、日本国の力なくしては、平和も安心も社会的保障もない。

           機関誌「野外文化」第190号(平成18年7月20日)巻頭より