日本の安定・継続と少年教育(令和3年)

日本の安定・継続と少年教育

1.大義が薄れた日本

 日本は、世界一長い歴史のある珍しい国で、国体が一千年以上も継続していた。そのことは、諸外国にとっては羨望であり、文化的脅威であった。

 しかし、第二次世界大戦で敗戦国になった日本は、長きに渡り戦勝国の立場で教育され、日本批判と国際化か強制され、日本国への大義か矯正されてきた。

 特に、戦勝国アメリカは、日本を支配する最善の策として、大義を欠く日本人の育成に尽力し、その尻馬に乗った知識者集団が同化作用を起して、見事に国際化重視の経済大国日本を復活させた。

 その代わり、日本の生活文化を知らない日本人、特に文献中心の知識人が多くなった今日、日本は物は豊かになったが、利己的・刹那的・無国籍的な国際人が多くなって、日本国への大義を欠いだ社会になっている。

 

2.情報過多社会への不安

 これまでの人類は、あらゆる災害に対応し、より良く長く生きるために、いろいろな工夫、改善をなして、今日の豊かな科学的文明社会を作り上げてきた。

 今回のコロナウィルス感染拡大によって、一層科学的技術を発展させ、IT・AIなどによってオンライン化やテレワークなどが、ますます進化・発展し、合理的で効率よく目的を達する、発展的社会の時代になった。

 しかし、経済的活動を中心に考えると、明るい未来像だが、社会生活の面からすると、人間を孤立化させる危険性があり、オンライン学習やテレワークなどは、人間疎外になりがちで不信社会になる。SNSなどは、個人的には便利なのだが、社会生活的には不都合が生じ、利己的な人が多くなる。しかも、大義が薄れた日本は、不安定社会になりかけている。

 今だけ、金だけ、自分だけを中心に考えがちな人か多い利己的な不信社会は、心理的には不安定で、不安・不信・不満が募って、日常生活における引きこもりなど、社会的適応が困難になる人が多くなる。

 人間は、安全・安心が守られるならば、利己的に生きるのが理想であるか、大義を欠いた不安定な情報過多社会では、個人的には守り切れないことが一層多くなり、不安がつきまとう。

 

3.安定・継続に必要な生活文化

 科学的文明社会になった今日の日本では、子どもたちのいじめや登校拒否、引きこもりなどが多くなり、大人の引きこもり、児童虐待生活保護孤独死などの人が多くなっている。

 これらは、少年期において社会人としての生活文化の準備ができていなかったための、大人になってからの結果的現象であり、それが子どもに影響している。

 私たちの安全・安心に最も必要なことは、他との生活文化の共有である。言葉・風習・道徳心・生活力などの生活文化を共有することが、より良く生きる知恵や力であり、方法なのである。

 生活文化の中でも、民族、主義、思想、宗教などを越えて最も重要なのが道徳心である。

 私たちは、社会生活における生き方、あり方、考え方、感じ方等に関する暗黙の了解事項を作り上げ、ごく普通に生活している。その暗黙の了解事項である道徳心こそ、人類に共通する社会人の基本的能力。

 そのごく当たり前の生活文化を共有することが、大義を重んじて安全・安心な社会生活や国際化への重要な道標なのである。

 

4.少年期に必要は生活体

 私たちの神経は、5歳頃から発達が活発になり、14、5歳にはほぼ終わるとされているので、ここでの少年期とは、6歳頃から15歳までとする。

 一般的に青少年教育とは、社会のより良い後継者を育成する社会人準備教育のことで、学校教育はその手段である。社会人準備教育の公的側面からすると、6歳~15歳までの少年期が最も効果的であり、重要なので、ここでは少女も含めて少年教育とする。これからの科学的文明社会におけるオンライン学習やテレワークは、人間を孤立化させ、人間疎外になりがちなので、これまであまり重視されてこなかった生活文化を、少年期に身につけさせる体験的学習活動(体験活動)の機会と場を、公的に与えてやることが重要。

 私たちの社会生活に必要な情報としての生活文化とは、その土地になじんだ衣食住の仕方、あり方等の生活様式としての伝統文化であり、社会遺産である。

 日本は戦後の知識偏重教育で、地域の生活文化を知らない人が多くなっているので、良い、悪いとか、古い、新しいとかの理屈ではなく、これからの日本国が安定・継続するには、より良い地域の人を育成することが、より良い日本人の育成であることを承知して、各地方で少年少女が、異年齢集団の生活体験をする公的な機会と場が必要だ。

           機関誌「野外文化」第232号(令和3年11月25日)巻頭より