日本人からの出発(昭和62年)

日本人からの出発

 日本人は、まずしつかりとした日本人であることが、国際社会に生きる資格であり、自分たちの文化を大事にすることこそが国際化への道であることを、承知することが必要だ。

1.不明な日本人像

 この数年来、日本に日本人かいなくなりつつあるのではないだろうかと考えさせられている。それは、日本人の大半か、国際化という経済活動のための理想に近づこうと努力、工夫はしているが、日本と日本人について識ろうとする努力や工夫が少ないように思えるから。

 そのことを最も端的に表わしてくれたのが、昨年(昭和61年)11月末の大韓航空機爆破事件の犯人とされているキム・ヒョンヒ(26)の供述による、リ・ウネなる人物を介しての日本人像に対する日本側の対応である。

 韓国捜査当局は、昭和32年生れの日本人女性像を、マスコミを通して次のように発表した。

 食物 洋食・ハンバーグ・春巻を好む。しかし、和食の風習も強く、ご飯よりも先に、大きな食器に入って出てくる汁をスプーンですくって飲む。そして、生大根の千切りにしょうゆをつけるのが大好物である。

 飲物 ブラックコーヒーを飲み、酒好きで、酒の種類をよく知っている。ウィスキーには目がなく、サイダーで割って飲む。

 習慣および態度 椅子に座る時は、足を組んで座り、別れのあいさつは、手を上げて大きく振るくせがある。日本人や西洋人の女性はむだ(うぶ)毛か多く、大部分かみそりでそる。

 このような日本人像に対して、日本側の否定行動はなかった。国会議員は与党も野党も黙っていた。知識人やジャーナリスト、学生たちも反論しなかった。それどころか日本中が大騒ぎになり、警察庁は、多くの労力と費用を投じて、10年近くも前の、2700人以上もの行方不明者を1ヵ月以上も捜査した。しかしリ・ウネなる人物に該当する者はいなかった。

 中央アジアから東の諸民族の生活文化を20年近くも踏査してきた私は、この不可解なる日本人像について、多くの日本人に尋ねてみた。40代以上の日本人の大半は、「日本人とはちがうと思うが…?」と、多くを語ろうとせず、「若い人はこんなだろうか?」と否定はしなかった。30代以下の日本人は、「わからない。しかし、こんな日本人もいるでしょう」と気にもかけなかった。

 これはかつての民族的日本人像ではない。しかし。日本で反論が起こらないということは、すでに日本人像か不明になり、民族的特徴の認識が弱くなっている。

 

2.生活環境の変化

 自然環境に順応していく人間の知恵と方法が文化なのであるが、この地球上にある自然は千差万別であるので、それに応じて適応のしかたが変わり、文化の違いを生み出してきた。民族が異なるから文化か異なるのではなく、人間集団をとりまく自然が異なるから文化が異なり民族が生じる。

 日本の植物は4月に一斉に芽を吹き、花を咲かせるものが多い。特に桜の花は、日本人に事の始まりを告げてくれるものとなっている。日本人は、他国の異なった自然環境によって培われた文化を移入しても、時の流れに従って日本風に変えてきた。

 ところが、今日の日本では、自然との関わりの弱い生活が一般的になり、風習は伝承されないままになっているので、基層文化ともいわれる衣・食・住、それに言葉までが、他の文化とごちゃ混ぜになっている。だから、環境を自分の都合のよいように変えていく方法、手段や道具などである文明の利器を優先的に認めがちである。また、情報や物資流通の量が多くなり、先端技術の開発が進んでいるので、環境がよく整備されている。このような生活環境では、人間は集団行動を好まなく、共通性を持とうとしなくなりがちで、肉体労働や耐乏生活を敬遠しがちになる。

 自然の一部である人間が、自然と共に生きることを好ましく思わなくなり、集団生活になくてはならない生活文化の必要性を認めなくなれば、社会人である意識か弱くなり、自然に順応する知恵に欠け、物と金と自己中心の生活にならざるを得ない。

 

3.社会の繁栄と衰退

 1966年にしばらく英国のロンドンに暮した。もう記憶か薄れているが、64年頃の英国の1ポンドは1180円であったように覚えている。その2年後、私がロンドンを去る時にはたしか860円くらいに下がり、英国の経済状態は悪化の道をころげ落ちていた。そして今ではなんと1ポンドが240円である。

 当時のロンドンは地下鉄や街、駅などが汚れていた。それは、民族的英国人が2~30%しか住んでいなかったからかもしれない。大半の住人はアジア、アラブ、アフリカなどの諸国からきた社会的英国人で、社会秩序が良いとは思えなかった。

 英国は、18世紀から20世紀中葉にかけて“パックスブリタニカ”と呼ばれるほど巨大な経済力を持ち、多くの植民地を作っていた。だから、一般的な英国人は、国内で努力や苦労しなくても、技術や教養を高めなくても、植民地に行けば優遇され、支配者になることができたので、それほど質の良くない英国人がどんどん海外へ出た。その反対に、労働者が多くの国から移入されていた。ところが、第二次世界大戦後、植民地の多くが独立し、英国人たちは帰国せざるを得なくなった。

 海外で暮した民族的英国人の多くは、植民地貴族であったが、英国貴族ではなかった。60年代の英国には、労働意欲の少ない、活力と想像性の乏しい英国人が多くなっていた。英国はやがて、社会的、経済的にゆきづまり、英国病と呼ばれる社会の内部衰退を招いた。それは、大英帝国時代の豊かさの中で、質の良い社会の後継者をより多く培うことを忘れていたからでもある。

 当時の日本は貧しかった。しかし、今ではかつての大英帝国に勝るほどの経済大国になっている。だが、人類史上、社会の繁栄と平和が永遠であったことはない。日本は、英国が歩んだ轍を踏まないように、社会の内部衰退を防ぐことであるが、民主主義社会ではすべてを国民がなすことである。

 

4.日本人らしく

 中国やヨーロッパ諸国のような多民族国家の盛衰は、一民族の盛衰にはあまり左右されない場合かあるが、日本は単一民族的な国家だったので、社会と民族の区別がない。しかし、これからの日本は、民族的日本人だけでなく、社会的日本人も多くなってくるので、国際化するには、国民が日本人化する必要性が強くなってくる。さもないと、日本人社会を営むに大きな支障となる。

 野外文化研究所が、日本の“野外伝承遊び”を全国的に調査した。それによると“隠れんぼ”“鬼ごっこ”“縄とび”などは、過去60年間、90%以上もの男女が遊び続けてきた。これらは日本人の共通性であり、心のふるさとであるので、日本人であるための証明のようなものである。

 今、世界の多くの人々か、経済大国になった日本を学んでいるのだが、基層文化の代表ともいえる日本語に、多くの外来語が含まれている。現代の日本語を学ぶ人々にとって、欧米諸国の言葉まで学ばねばならないのは理解し難いことである。

 日本人は古代から外来語を混ぜて書いたり話したりするのか好きなようであるが、文化には独自性があるものなので、自分たちの文化をもう少し整理し、大事にしなければ、他国の風俗習慣を理解し得ないし、また理解され難い。横文字の多い日本語は、日本人にも大変難解な一面があるので、発想や表現があいまいになり、意志伝達が不十分になりがちで、社会人の共通性を欠くことになる。

 人間が生活するために働く目的は、古代から少しも変わっていない。それは、十分な食料と安全な住宅と、身につける衣類を得るためである。最も大事なのは食料であり、日本人の主食は米と魚である。食料は武器に勝る戦略物資で、食料がないと社会を守ることは不可能である。日本人がパンや肉を食べ、米まで輸入するようになっては、国を守ることはできないし、国際化の虚飾に平和と繁栄を失うことになる。

             機関誌「野外文化」第93号(昭和62年4月20日)巻頭より