天皇即位に必要な大嘗祭(平成28年)

天皇即位に必要な大嘗祭

1.稲作による生活文化

 稲は多年草だが、毎年定期的に苗を植えては刈り取るので、日本人にとって最も身近にある植物であった。そして、稲作農農業の過程の風景や仕事から、巡りめく季節感や年中行事、祭りなどが発生し、今日もまだ続けられている。

 米は稲草の実であるが、稲のような1つの栽培植物によって、一千年以上もの長い間、民族がほぼ統一されてきた民族国家は、日本以外にはない。極論すれば、稲が日本人の生活文化を豊にし、日本人たらしめてきたとも言える。その日本の生活文化の成り立ちや、日本人と稲とのかかわりによって支え続けられてきたのが天皇と呼ばれる統合機関である。

 

2. 祖霊信仰と天皇

 稲作農耕民たちは「人は死ねばごみ(土)になる」という唯物論的な考えではなく、神にもなり得るという唯心論的な考えを培って、古代から60年以上も生きた長寿の親が亡くなった後、子孫は、その徳と生命力を慕い、あやかろうとした。

 特に、稲を栽培する際の火災や病害虫、水不足などに悩み、苦しみに耐えがたいとき、子孫たちは先祖霊を呼び、助けを求めた。日本では、祖霊を祀る行為を「先祖祭」と呼んでいる。最も一般的なのが、正月と盆の祖霊祭。稲作農耕民は、こうした祖霊をいつしか「神」と崇めるようになり祖霊信仰という社会形態が組織化された。

 神の発生にはいろいろあるが、我々が困ったとき、人が自身を超越するもの、不吋知なものの存在に気づくこと、人を取り巻く自然現象など、神の所産とする概念は原始時代に発生している。また、人間の共同体の始原者、主宰者または保護者であるものを、神と考えることに始まるともされている。その延長が、日本民族の始祖であるとされているに天照大神であり、その流れを汲むとされているのが天皇だと考えられている。

 

3.天皇即位と大嘗祭

 祖霊信仰の考え方では先祖の霊は不滅の存在であり、その一部が物や人に宿っている間は、その物や人に生命があると思われていた。

 日本の天皇には、ごく普通の日本人にとっては先祖霊の依り代で、政治的権力者としての立場ではなく、日本古来の民間信仰である天照大神への尊崇を中心とする、民族的象徴であり、親のような存在である。

 神道における天照大神は、皇室の祖神と仰がれ、伊勢神宮のご神体である。だから、天皇としての人間は亡くなるが、社会統制機関としての依り代である天皇には、死ぬことなく遺伝子のように継続し続ける。そして、天皇に即位する人が代われば時世も変わる。

 天皇が即位後、初めて行う新嘗祭(新穀ー米ーを食べる祭り)を、大嘗祭と呼ぶのだが、天皇に即位するために欠かすことのできない天神・地祇と新穀を共食する儀式である。

 大嘗祭は、あらかじめ占凶を占って選ばれた水田、古代日本の中心地であった奈良や京都から東の悠紀田、西の主基田で稲を作らせ、神饌のための米を本納させて行われた。

一人の人間が.天皇に即位するために欠かすことの出来なかった「大嘗祭」は、稲作農耕民にとっては、先祖神としての新しい天皇を迎える祭礼であり、氏子としての務めを果たす象徴的儀礼でもあった。

 

4.日本を家族化した大嘗祭

 大嘗祭が始まったのは、紀元六七三年に即位した第41代の天武天皇の時代で、その次の第42代の持統天皇によって確立されたとされている。しかし、その後武士階級の胎動によってうやむやになった時もあったようだが、これまでに数多くの天皇が即位して人賞祭が行われ続けてきた。

 新しい天皇が即位するための大嘗祭祭に、束西の2カ所から米を奉納した地域は、天皇とは家族関係というより、天皇の子、赤子、氏子となることが暗黙のうらに了承されていた。

 平成の今上陛下は、第125代目なので、80数代もの天皇大嘗祭をしたことになる。そのたびに東西の2カ所から米が奉納されたので、単純に計算しても160カ所以上の地域が、天皇の子、氏子になっているので、日本国のほぼ全域が形式的には家族のようになっている。どんな知恵者が考案したのか、大嘗祭は世界に例のない、民族統合を促す悠久の戦略的制度である。

 天皇は、稲作農耕民にとっては親であり、先祖であり、親でもある。そうした考えが、工業化した今日の日本国に住む人々の心の底にも、まだ遺伝子のごとく潜んでいる。

 

 大和人 お天道様と共にあり 初穂を捧げ 歌い踊らん

 

                                           機関誌「野外文化」第221号(平成28年8月25日)巻頭より