この日本 誰に渡す(平成3年)

この日本 誰に渡す

1.豊かな日本

 社会には共通の了解事項や、規制が必要。さもないとお互いに騙し合い、傷つけ合い、裏切り合う弱肉強食となりがちである。だからこそ、これまでのいかなる社会でもお互いの了解事項(道徳心又は規則)を大切にしてきた。その了解事項の最大公約数が民族であったり国家であったりする。

 自然と共に生きる民族の知恵を生活文化と呼び、その文化を伝承することを青少年の健全育成というのである。

昭和22年4月に小学校に入学した私は、戦後の日本と共に成長した。何もなくて衣食住にもこと欠いた昭和20年代、所得倍増に勤しんだ30年代。東京オリンピック歓喜し、世界の仲間入りを果した40年代は、破竹の勢いで経済成長をとげ、「世界の工場」と呼ばれるほど工業化が進み、50年代には国際的経済活動の中心国となり、「世界の金庫」と呼ばれるほどになった。そして60年代には、戦前・戦中の教育を受けた日本人の負けじ魂と努力と苦労が見事に花開いて、世界で最も平和で豊かな国を築き上げた。戦後の民主教育を受け、自由平等の下に伸び伸びと育った私達にとって、これほどありかたいことはなかった。しかし、日本は、急いで豊かさを求めたが故に失った物も多く、社会の根本的な規範が周知されないまま、民族の自主性や価値観の基準を見定めることができていなかった。

 

2.文化やふるさとの喪失

 平和憲法の名の下に、社会を維持、管理する主休性を弱め、価値観の基準を失った日本は、社会の安定と継続に必要な人づくりである、社会人の基本的能力、すなわち基層文化(野外文化)と呼ばれる生きる能力の養成や生活の知恵の伝承を忘れていた。民族や国家にとっての価値観は、お互いの暗黙の了解事項である文化の共有なのである。その共有文化である財産を世襲し得るためには、お互いに少々の犠牲や妥協、協力、協調がなくてはならないし、努力と奉仕の心得がなくてはならない。

 日本人には、青春の日々に心ときめかした恋人を想うような、美しき、緑の野山や青き海や川への憧れがある。四季のある豊かな自然が育んできたふるさとは、日本人に共通する文化であり、いつ、どこで、誰とでも楽しく話し合うことができた。

 しかし、今では教育も、政治も、経済も、日本人共通の文化を忘れ、効率的な手段や方法ばかりが目につく。まるで、合理的、科学的、功利的なことが絶対的真理であるかのごとく、ひたすら進歩主義を追い求めてきた。

 これまでの日本ではやむを得なかった面もあるが、誰のために、何故、どうして走らなければならないかを、今一度立ち止まって考える必要がある。

 私たち1億2,300万人は、地球上の日本列島に運命共同休として共に生きている。繁栄のための経済活動を世界的規模で実践するための国際化と、社会の安定と継続を促す国民化は相反する点があるが、日本人の国民化なくして日本の国際化もありえない。

 まずは、お互いに共通する規範と共通の文化をもつ国民化を普及し、より多くの共通性を持つことである。

 今日の日本人は共通の「ふるさと」を失って孤立化しているが、共通の文化を失った社会は、活力や創造力をなくし、やがて内部衰退に陥る。

 

3.日本人から日本人へ

 日本人が日本人を愛して、日本人に尽くし、共通の文化を持つことに少しも不都合はない。日本人が繁栄、安定、継続の下に生き続けられるのは、技術的、効率的産業主義によるだけではなく、大地に足を付け、大地を耕し、隣人を愛し、絆を大切にし、共通の文化を持ち、自然の恵みを受けることも重要なのである。

 理想の平和や国際化を説きながら、日本の文化を無視するような、日本人共通のふるさとを否定するような世界主義者を警戒するがよい。そういう学者や評論家は功利的な個人主義者でしかないからだ。

 戦後の日本はアメリカという他国への依存によって、自己管理能力を弱めたが、多くの人々の努力と工夫によって今や世界の経済大国なのである。この日本、私たちはこれから誰に渡そうとしているのだろうか?そのことを考えずして真の政治はなく、いかなる経済活動も先が見えている。

 栄枯盛衰は世の常であるが、これまでの日本人の苦労と努力の証明は、やはり次の世代の日本人に手渡すべきである。それには、次の世代がよりよい日本人に育つよう努力せねばならない。

 これからは見境もなく物欲主義に走ることを少々ひかえ、次代を継ぐ人づくりにお金と時間を注ぐよう努力すべきである。そうすれば、日本人は地球人としての共通のふるさとをもつことができる。

            機関誌「野外文化 」 第113号(平成3年8月30日)巻頭より

人民融和のための青少年教育(平成元年)

人民融和のための青少年教育

 風習や道徳心は、人民が自ら融和を図る知恵として今日まで伝承されてきたが、青少年教育もまさしく人民融和を目的として行われることが重要である。

1.自然環境と食文化・米

 自然の一部である人間は、太古より自然に順応・適応しながら生きてきた。この地球上の自然環境は千差万別であるが、それに応じて人間の適応のしかたが変わり、文化の違いを生み出していく。民族が異なるから文化か異なるのではなく、人間集団をとりまく自然環境が異なるから文化が異なり、民族が生じるのである。

 日本人の思考が複雑で、控え目なのは、四季のはっきりしている日本の自然が複雑で、豊かすぎるからである。乾燥地帯や砂漠に生きる人々の思考が目的的で、自己を主張するのは、自然が単調で貧しいからである。

 日本で家や町をつくろうとすれば必ず樹木を切らなければならないが、砂漠や荒野では必ず樹木を植える。そして、みだりに切ったり、倒したりした者は罰せられ、みんなで大切に育てる。大きく育つと、人々はその樹の陰で憩う。日常生活に不可欠な場を求めて樹木を植え、育てるのであって、観賞用ではない。

 自然が豊かで、四季のある日本では、季節が神の恵みを運んでくれたので、生活のために移動する必要がなかった。四季は人々に待つことを教え、手にしたものを最高に加工し料理する工夫の喜びを与えた。だから、日本人の特徴は、物を追いかける開拓精神よりも、大きな力を持った自然と共に生きる「待ち」と「工夫」の文化なのである。

 その最も重要なものが、二千数百年から三千年も前に中国大陸から渡来し、改良と工夫を加え続けてきた米なのである。稲は日本の温暖な気候によく合い、厭地性が弱いために、同じ水田で、何百何千年間も栽培し続けることができた。そのため、日本人の主食となって今日に至っている。だから、米は単なる食料品ではなく、日本の自然環境に順応して生きてきた日本人の心であり、ふる里であり命なので、生活文化そのものである。

 

2.基層文化の共有

 青少年教育で大事なことは、彼らが文化の伝承者だということの認識である。なぜなら、文化は机上の知識で伝えられるものではなく、青少年時代の体験や見聞が、時を経て得た知識と知恵によって納得されてこそ伝承されるものだから。

 青少年の教育の基本は、いろいろな遊びや生活体験、自然とのかかわり合いや心身の鍛練そのものであり、親が知っていることのすべてを子どもに伝えることである。これこそいつの時代にも変わらない人づくりの原点である。子どもたちは教え、伝えられた文化を、社会の変化とともに改善し、よりよい文化へと発展させるのが常である。

 ここにいう“文化”とは、社会人に必要な基本的な行動と心理状態(知識、態度、価値感)のことであり、文化人類学的な表現をするならば、社会の構成貝に共通した行動や生活の様式を指している。

 一般的に文化と呼ばれる伝統的なものには、社会の表層と基層をなす2種がある。芸能・音楽・美術工芸・文学などの表層文化は、個人的かつ流動的である。これらは人類に共通した感性によって培われて発展し、生活にうるおいをもたらすものとされている。今日の日本では、この表層文化を文化とみなしがちであるが、これが重要視されすぎたり、華美になりすぎたりすると、社会が退廃する。

 衣食住、言葉、風習、心身の鍛練などの基層文化は、自然環境に順応して社会生活を営むための基本であるので、地域性が強く、親から子、子から孫へと伝承されるものである。これを共有しないと、意思伝達が十分でなく、社会の一員になり難い。今日の日本では、これが無視されがちで、社会人としての基本的能力に欠けた青少年が多くなっている。

 米は、日本人にとって基層文化であり、親から子、子から孫へと伝えられ、その時代に応じて、いろいろな工夫と改善が加えられてきた。人間にとって最も大事なものは、生命とこの基層文化なのである。

 多くの民族にとっての防衛とは、生命と食料を守ることであった。それからすると、米は日本人にとっていつの時代も、伝えることを怠ってはならないものであり、守らねばならないものの1つである。

 

3.生活の儀式

 人間は、これまで長い間、社会生活が平穏無事に営めるよう、いろいろな工夫を凝らしてきた。中でも、日常生活でお互いの融和を図るために、誰もができる共通の約束ごとをつくってきた。それが、風俗習慣や道徳心とも呼ばれる、人間らしく生きるための基層文化としての儀式なのである。

 例えば、朝夕の挨拶や、食事前に「いただきます」といったり、はしで食事をしたり、あぐらを組むことは、親しみを強め安心感や満足感などを与えてくれる習慣的なことである。

 また、身体の弱い人や年寄りなどをいたわったり、困った人を助けたり、幼少年をはぐくんだりすることは、社会人にとっての素養で、道徳心と呼ばれる心得なのである。

 こうした生活の儀式は、いかなる社会でも日常茶飯事なことで、教育などと呼ばれるようなものではなかった。しかし、今日の日本では、その当り前のことを教育せねばならない必要にせまられている。

 自然に順応しながら生きてきた人間は、畏怖と感謝の念による心のよりどころを持っていた。が、豊かな社会に生きる今日の人々は、科学的に解明する学問に慣れ親しみ、文明の発展につれて、生活の儀式を忘れ、心の安定を失いがちである。

 人間か常に心がけてきたことは、日常生活で、自分たちの培ってきた生活の儀式を、次の世代に伝えることであった。さもないと、自分たちと同じ文化を持った社会人に育ってくれないからである。

 社会生活の儀式である風習や道徳心は、人民が自ら融和を図る知恵として、今日まで伝承されてきたものである。その人民融和の理念は人類共通であるが、言葉や方法が民族によって異なる。その違いが民族の特徴であり基層文化でもある。

 日本は、すでに千三百年もの長きにわたって、天皇を社会の権威としてきたので、単一民族・単一文化的になり、世界でも例がないほど、よく人民融和が図られてきた国であった。天皇は日本人の融和を図るための中心的な存在であり、文化であったが、権力的でも、宗教的でもなかったともいえる。だから。中国大陸における皇帝や欧米諸国その他の王位や法王とも異なった、日本独自の基層文化の1つだともいえる。

4.民和を図る知恵

 赤子は人間になる可能性をもった動物ではあるが、社会的能力をもった人間ではない。可能性をもった子をいかに能力の高い人間に育てるか、それは親や社会人の努力と工夫によるものである。

 人間は、いつの時代も人間らしく生きる能力を培うことを忘れてはいけないし、衰退させてもいけない。だから、人間の基本的能力は、人間らしく生きる知恵、すなわち、人民融和を図るための生活の儀式だといえる。

 この人民融和の言葉を略して“民和”とするのであるが、人間が青少年教育を始めたのは、民和を図るためであった。言葉や風習には共通性があり、道徳心には暗黙の了解があるのだが、そのことを教えないことには民和は図れない。戦後の日本は、そのことを忘れて日本人を育てる努力と工夫を怠ってきた。ならば本年を民和元年として、民和を図る新しい方法の第1歩を踏み出す年とすべきである。

 21世紀には、国際化が一層進む。多民族・多文化の社会で生きるには、己のアイデンティティとして、人類に共通している民和のための生活儀式を身につけておくことが大事である。それは、まず日本人は、日本人らしく生きる生活文化を身につけることである。

             機関誌「野外文化」第98号(平成元年2月20日)巻頭より

日本人からの出発(昭和62年)

日本人からの出発

 日本人は、まずしつかりとした日本人であることが、国際社会に生きる資格であり、自分たちの文化を大事にすることこそが国際化への道であることを、承知することが必要だ。

1.不明な日本人像

 この数年来、日本に日本人かいなくなりつつあるのではないだろうかと考えさせられている。それは、日本人の大半か、国際化という経済活動のための理想に近づこうと努力、工夫はしているが、日本と日本人について識ろうとする努力や工夫が少ないように思えるから。

 そのことを最も端的に表わしてくれたのが、昨年(昭和61年)11月末の大韓航空機爆破事件の犯人とされているキム・ヒョンヒ(26)の供述による、リ・ウネなる人物を介しての日本人像に対する日本側の対応である。

 韓国捜査当局は、昭和32年生れの日本人女性像を、マスコミを通して次のように発表した。

 食物 洋食・ハンバーグ・春巻を好む。しかし、和食の風習も強く、ご飯よりも先に、大きな食器に入って出てくる汁をスプーンですくって飲む。そして、生大根の千切りにしょうゆをつけるのが大好物である。

 飲物 ブラックコーヒーを飲み、酒好きで、酒の種類をよく知っている。ウィスキーには目がなく、サイダーで割って飲む。

 習慣および態度 椅子に座る時は、足を組んで座り、別れのあいさつは、手を上げて大きく振るくせがある。日本人や西洋人の女性はむだ(うぶ)毛か多く、大部分かみそりでそる。

 このような日本人像に対して、日本側の否定行動はなかった。国会議員は与党も野党も黙っていた。知識人やジャーナリスト、学生たちも反論しなかった。それどころか日本中が大騒ぎになり、警察庁は、多くの労力と費用を投じて、10年近くも前の、2700人以上もの行方不明者を1ヵ月以上も捜査した。しかしリ・ウネなる人物に該当する者はいなかった。

 中央アジアから東の諸民族の生活文化を20年近くも踏査してきた私は、この不可解なる日本人像について、多くの日本人に尋ねてみた。40代以上の日本人の大半は、「日本人とはちがうと思うが…?」と、多くを語ろうとせず、「若い人はこんなだろうか?」と否定はしなかった。30代以下の日本人は、「わからない。しかし、こんな日本人もいるでしょう」と気にもかけなかった。

 これはかつての民族的日本人像ではない。しかし。日本で反論が起こらないということは、すでに日本人像か不明になり、民族的特徴の認識が弱くなっている。

 

2.生活環境の変化

 自然環境に順応していく人間の知恵と方法が文化なのであるが、この地球上にある自然は千差万別であるので、それに応じて適応のしかたが変わり、文化の違いを生み出してきた。民族が異なるから文化か異なるのではなく、人間集団をとりまく自然が異なるから文化が異なり民族が生じる。

 日本の植物は4月に一斉に芽を吹き、花を咲かせるものが多い。特に桜の花は、日本人に事の始まりを告げてくれるものとなっている。日本人は、他国の異なった自然環境によって培われた文化を移入しても、時の流れに従って日本風に変えてきた。

 ところが、今日の日本では、自然との関わりの弱い生活が一般的になり、風習は伝承されないままになっているので、基層文化ともいわれる衣・食・住、それに言葉までが、他の文化とごちゃ混ぜになっている。だから、環境を自分の都合のよいように変えていく方法、手段や道具などである文明の利器を優先的に認めがちである。また、情報や物資流通の量が多くなり、先端技術の開発が進んでいるので、環境がよく整備されている。このような生活環境では、人間は集団行動を好まなく、共通性を持とうとしなくなりがちで、肉体労働や耐乏生活を敬遠しがちになる。

 自然の一部である人間が、自然と共に生きることを好ましく思わなくなり、集団生活になくてはならない生活文化の必要性を認めなくなれば、社会人である意識か弱くなり、自然に順応する知恵に欠け、物と金と自己中心の生活にならざるを得ない。

 

3.社会の繁栄と衰退

 1966年にしばらく英国のロンドンに暮した。もう記憶か薄れているが、64年頃の英国の1ポンドは1180円であったように覚えている。その2年後、私がロンドンを去る時にはたしか860円くらいに下がり、英国の経済状態は悪化の道をころげ落ちていた。そして今ではなんと1ポンドが240円である。

 当時のロンドンは地下鉄や街、駅などが汚れていた。それは、民族的英国人が2~30%しか住んでいなかったからかもしれない。大半の住人はアジア、アラブ、アフリカなどの諸国からきた社会的英国人で、社会秩序が良いとは思えなかった。

 英国は、18世紀から20世紀中葉にかけて“パックスブリタニカ”と呼ばれるほど巨大な経済力を持ち、多くの植民地を作っていた。だから、一般的な英国人は、国内で努力や苦労しなくても、技術や教養を高めなくても、植民地に行けば優遇され、支配者になることができたので、それほど質の良くない英国人がどんどん海外へ出た。その反対に、労働者が多くの国から移入されていた。ところが、第二次世界大戦後、植民地の多くが独立し、英国人たちは帰国せざるを得なくなった。

 海外で暮した民族的英国人の多くは、植民地貴族であったが、英国貴族ではなかった。60年代の英国には、労働意欲の少ない、活力と想像性の乏しい英国人が多くなっていた。英国はやがて、社会的、経済的にゆきづまり、英国病と呼ばれる社会の内部衰退を招いた。それは、大英帝国時代の豊かさの中で、質の良い社会の後継者をより多く培うことを忘れていたからでもある。

 当時の日本は貧しかった。しかし、今ではかつての大英帝国に勝るほどの経済大国になっている。だが、人類史上、社会の繁栄と平和が永遠であったことはない。日本は、英国が歩んだ轍を踏まないように、社会の内部衰退を防ぐことであるが、民主主義社会ではすべてを国民がなすことである。

 

4.日本人らしく

 中国やヨーロッパ諸国のような多民族国家の盛衰は、一民族の盛衰にはあまり左右されない場合かあるが、日本は単一民族的な国家だったので、社会と民族の区別がない。しかし、これからの日本は、民族的日本人だけでなく、社会的日本人も多くなってくるので、国際化するには、国民が日本人化する必要性が強くなってくる。さもないと、日本人社会を営むに大きな支障となる。

 野外文化研究所が、日本の“野外伝承遊び”を全国的に調査した。それによると“隠れんぼ”“鬼ごっこ”“縄とび”などは、過去60年間、90%以上もの男女が遊び続けてきた。これらは日本人の共通性であり、心のふるさとであるので、日本人であるための証明のようなものである。

 今、世界の多くの人々か、経済大国になった日本を学んでいるのだが、基層文化の代表ともいえる日本語に、多くの外来語が含まれている。現代の日本語を学ぶ人々にとって、欧米諸国の言葉まで学ばねばならないのは理解し難いことである。

 日本人は古代から外来語を混ぜて書いたり話したりするのか好きなようであるが、文化には独自性があるものなので、自分たちの文化をもう少し整理し、大事にしなければ、他国の風俗習慣を理解し得ないし、また理解され難い。横文字の多い日本語は、日本人にも大変難解な一面があるので、発想や表現があいまいになり、意志伝達が不十分になりがちで、社会人の共通性を欠くことになる。

 人間が生活するために働く目的は、古代から少しも変わっていない。それは、十分な食料と安全な住宅と、身につける衣類を得るためである。最も大事なのは食料であり、日本人の主食は米と魚である。食料は武器に勝る戦略物資で、食料がないと社会を守ることは不可能である。日本人がパンや肉を食べ、米まで輸入するようになっては、国を守ることはできないし、国際化の虚飾に平和と繁栄を失うことになる。

             機関誌「野外文化」第93号(昭和62年4月20日)巻頭より

日本の安定・継続と少年教育(令和3年)

日本の安定・継続と少年教育

1.大義が薄れた日本

 日本は、世界一長い歴史のある珍しい国で、国体が一千年以上も継続していた。そのことは、諸外国にとっては羨望であり、文化的脅威であった。

 しかし、第二次世界大戦で敗戦国になった日本は、長きに渡り戦勝国の立場で教育され、日本批判と国際化か強制され、日本国への大義か矯正されてきた。

 特に、戦勝国アメリカは、日本を支配する最善の策として、大義を欠く日本人の育成に尽力し、その尻馬に乗った知識者集団が同化作用を起して、見事に国際化重視の経済大国日本を復活させた。

 その代わり、日本の生活文化を知らない日本人、特に文献中心の知識人が多くなった今日、日本は物は豊かになったが、利己的・刹那的・無国籍的な国際人が多くなって、日本国への大義を欠いだ社会になっている。

 

2.情報過多社会への不安

 これまでの人類は、あらゆる災害に対応し、より良く長く生きるために、いろいろな工夫、改善をなして、今日の豊かな科学的文明社会を作り上げてきた。

 今回のコロナウィルス感染拡大によって、一層科学的技術を発展させ、IT・AIなどによってオンライン化やテレワークなどが、ますます進化・発展し、合理的で効率よく目的を達する、発展的社会の時代になった。

 しかし、経済的活動を中心に考えると、明るい未来像だが、社会生活の面からすると、人間を孤立化させる危険性があり、オンライン学習やテレワークなどは、人間疎外になりがちで不信社会になる。SNSなどは、個人的には便利なのだが、社会生活的には不都合が生じ、利己的な人が多くなる。しかも、大義が薄れた日本は、不安定社会になりかけている。

 今だけ、金だけ、自分だけを中心に考えがちな人か多い利己的な不信社会は、心理的には不安定で、不安・不信・不満が募って、日常生活における引きこもりなど、社会的適応が困難になる人が多くなる。

 人間は、安全・安心が守られるならば、利己的に生きるのが理想であるか、大義を欠いた不安定な情報過多社会では、個人的には守り切れないことが一層多くなり、不安がつきまとう。

 

3.安定・継続に必要な生活文化

 科学的文明社会になった今日の日本では、子どもたちのいじめや登校拒否、引きこもりなどが多くなり、大人の引きこもり、児童虐待生活保護孤独死などの人が多くなっている。

 これらは、少年期において社会人としての生活文化の準備ができていなかったための、大人になってからの結果的現象であり、それが子どもに影響している。

 私たちの安全・安心に最も必要なことは、他との生活文化の共有である。言葉・風習・道徳心・生活力などの生活文化を共有することが、より良く生きる知恵や力であり、方法なのである。

 生活文化の中でも、民族、主義、思想、宗教などを越えて最も重要なのが道徳心である。

 私たちは、社会生活における生き方、あり方、考え方、感じ方等に関する暗黙の了解事項を作り上げ、ごく普通に生活している。その暗黙の了解事項である道徳心こそ、人類に共通する社会人の基本的能力。

 そのごく当たり前の生活文化を共有することが、大義を重んじて安全・安心な社会生活や国際化への重要な道標なのである。

 

4.少年期に必要は生活体

 私たちの神経は、5歳頃から発達が活発になり、14、5歳にはほぼ終わるとされているので、ここでの少年期とは、6歳頃から15歳までとする。

 一般的に青少年教育とは、社会のより良い後継者を育成する社会人準備教育のことで、学校教育はその手段である。社会人準備教育の公的側面からすると、6歳~15歳までの少年期が最も効果的であり、重要なので、ここでは少女も含めて少年教育とする。これからの科学的文明社会におけるオンライン学習やテレワークは、人間を孤立化させ、人間疎外になりがちなので、これまであまり重視されてこなかった生活文化を、少年期に身につけさせる体験的学習活動(体験活動)の機会と場を、公的に与えてやることが重要。

 私たちの社会生活に必要な情報としての生活文化とは、その土地になじんだ衣食住の仕方、あり方等の生活様式としての伝統文化であり、社会遺産である。

 日本は戦後の知識偏重教育で、地域の生活文化を知らない人が多くなっているので、良い、悪いとか、古い、新しいとかの理屈ではなく、これからの日本国が安定・継続するには、より良い地域の人を育成することが、より良い日本人の育成であることを承知して、各地方で少年少女が、異年齢集団の生活体験をする公的な機会と場が必要だ。

           機関誌「野外文化」第232号(令和3年11月25日)巻頭より

世界における日本の役目(平成26年)

世界における日本の役目

1、大義が薄れた日本人

 これまでの半世紀近くもの間、日本は平和で豊かな安定した社会であった。それは、大義を重んじた日本人の努力と工夫の賜物であった。しかし、それが今崩れかけている。

 この頃マスコミをにぎわしているJR北海道みずほ銀行、食材偽装、福島原発の汚染水処理等の問題は、まだ氷山の一角で、日本の戦後教育のつけが、大きな社会不信として潜在している。

 これらの問題点は、戦後のアメリカ的民主教育によって育った、利己的な日本人が大義を失って、無責任な事なかれ主義の風潮に染まっていることだ。

 こんな、日本人としての主体性を失った状態では、外交も内政も経済活動もこれまでのようにはうまくいかないし、2020年の東京オリンピック大会に向かって、成熟した日本の生活文化を世界に発信することもできない。

 日本の伝統文化としての信頼や責任のあり方を皆で考えて、大義について青少年期の教育からやり直す必要に迫られている。

 

2.日本人の大義

 かつて東大の総長が、卒業式で語ったことは、“肥った豚より、やせたソクラテスになれ”であった。

 社会が安定・継続するには、教養と素養ある社会人を育成することが重要であるが、アメリカが仕組んだ戦後の教育は、市場経済を重んずる利己的な肥った人を多くすることであった。

 社会人として踏み外してはならない“大義”をなくしては、一時的に繁栄しても、個々の不信感から団結力を失い、やがて社会が内部衰退して長くは続かない。

 今日の日本は、アメリカ的グローバルスタンダードによって、全てが経済活動中心の観念にとらわれて、発展するための知識や技術を身につけた人は多いが、日本の独自性のある知恵や素養のある人が少なくなっている。

 しかし、日本人がより良く生きるには、日本の社会正義としての道徳心・倫理観や日本語がこれからも必要なのである。

 多くの日本人は気づいていないだろうが、世界のどの国と比べても、日本の自然は四季毎に多くの幸をもたらす豊かさと美しさがある。その自然と共に生きてきた日本人は、日本語で深く理解し合い、相手を思いやる心情があり、大義を重んずる信頼社会を営んできた。

 

3.信頼社会の美し国

 世界の多くの国は、多民族・多文化・多宗教で社会的には不安定状態にあるが、日本だけは、社会を統合してきた天皇の存在によって、千数百年以上も国体が安定的に続いている。

 日本人の多くは、目本国がなくなると考えたことも、想像したこともないだろうが、世界の多くの国の人々は、自分の国の存続に不安を感じている。それに、統治者、例えば大統領、首相等が代わることによって、社会的な多くのことが変化したり、主義思想や宗教、言葉等が異なったりすると、お互いに信頼を失いがちの不信社会になる。

 そのような絶えず不安を感じているような国の人々が、日本に来訪して感じることは、自然環境の素晴らしさだけではなく、人心が落ち着いた信頼社会の治安の良さ、それに素養があって心やさしい思いやりのある人々、そしてそのような日本人が住む町や村の平和的な有様なのだ。その信頼社会日本のあり様全てが、まさしく“美し国”なのである。それが、外国人には魅力的な、これからの絶大な観光資源になる。

 しかし、文化的自信を失って物質的な繁栄におぼれている今日の日本人は、“おもてなし”などと言って作為的な型にとらわれて和の心を失いがちだ。それにアメリカ的な価値観に従って小学生から英語をすすめるのは、グローバル化する経済活動によるだけでなく、美し国日本の文化を否定しがちになる。文化戦争に負けては、独立国家として立ち上がる術を失うことにもなる。

 

4.世界に示せ、美し日本

 一億二千数百万もの人が住む日本は自然が豊かで美しいが、何より千年以上も国体が続いているので、人心が落ち着いて安心感があり、お互いの信頼感が強い。そして素養があり、思いやりのある心やさしい人が、アメリカや中国、その他の国に比べて、今でもまだ遥かに多く、世界に誇れる文化国家であり、これからの国際的な観光資源なのだ。

 しかし、残念なことに、日本人の多くが、アメリカのような不信社会の価値観に同調して、経済活動を中心とするグローバル化を主張している。だが、人は安心して、安全に生きるために働いているのであって、営利活動をするために生きているのではない。

 不信社会に暮らす人々からすると、大義が薄れかけている今日の日本でも、まだ心情が正しく、共通した生活文化のある安定した暮らし方が、アメリカ社会等よりもはるかに美し国に思える。

 世界の中で最も安定・継続している統合された日本は、人類の理想に近い発展した信頼社会なので、これからの科学的文明社会に生きる世界の人々に、生活のあり方、生き方、考え方等を、自信を持って伝えていく大きな役目がある。

 その自覚と認識の下に、2020年の東京オリンピック大会が迎えられるよう、日本人の多くが、成熟した“美し日本”を世界に示す、一層の努力・工夫が望まれる。

            機関誌「野外文化」 第213号(平成26年1月20日)巻頭より

大東亜戦争の人類史的考察(平成27年)

大東亜戦争の人類史的考察

1.日本の旗手を担いだ選手たち

 1964年10月10日から始まった、アジアで初めての東京オリンピック大会は、天候に恵まれ、大会は見事に運営されて、滞りなく10月24日に閉会式を迎えた。

 閉会式では、各国の選手団が、旗手を先頭に整然と行進するはずだったが、各国選手たちは、係員の制止を振り切って入り乱れ、肩を組み、群れをなして笑顔で入場した。そして、日本の選手団の旗手を肩に担ぐ人、日の丸を持って歩く選手たちがいた。

 海外旅行の準備中であった私は、その光景をテレビの画面に見入った。某新聞によると、その時のNHKアナウンサーは次のように報じたそうだ。

 「国境を越え、宗教を超えました。このような美しい姿を見たことがありません。誠に和気あいあい、呉越同舟。なごやかな風景であります」

 “平和の祭典”と呼ばれる五輪だが、他国の選手が寄り集まって、何故に日本の旗手を担いだり、日の丸を持ったりして歩くのだろうか? 私は、感動と疑問と希望に胸が熱くなり、暫く興奮状態であった。

 

2.アジアーアフリカからの称賛

 私は、1964(昭和39)年3月に大学を卒業したが、その年の4月から海外旅行が自由化になり、オリンピック大会開催年でもあったので、いろいろ啓発され、海外へ出る準備に追われていた。

 旅行費の工面や両親の許しを得るのに半年近くもかかり、閉会式直後の11月初めにやっと横浜港から出発し、シンガポールへ向かった。そこから陸路でアジア大陸を東から西へ横断した。

 東南アジアの各国を訪れ、多くの人から歓迎された。日本を出発する前に警告されたことは、戦後まだ20年足らずなので、地方に行けば殺されるかもしれない、危険だから気をつけなさいであった。

 ところが、何処へ行っても「日本はすごい、日本人はえらい、日本人は久し振りだ、日本のお蔭で独立できた」などと大歓迎され、家に招待されて食事を共にすることが多くあった。

 南アジア・中央アジア・中近東を訪れても、日本人はえらい、日本はすごい国だなどと称賛され続け、大東亜(アメリカでは太平洋)戦争を懺悔する必要などなかった。

 そして、ヨーロッパでは、日本の商品をおもちゃだと思って買ったら、5年も10年も使えているなどと、トランジスターやカメラ、時計などが誉めそやされた。

 アフリカ大陸を縦横断したが、そこでも日本のおかげで独立できた、日本人はえらいなどと、見ず知らずの人々から支援・協力していただいた。

 貧乏旅行をしていた私は、世界の人々から称賛される祖国日本の後ろ楯のおかげで、アメリカ大陸をも縦断して、世界72ヵ国を探訪し、約3年後に無事帰国できた。

 

3.戦争は相互的行為

 世界旅行直前に感じた、他国の選手たちが日本の旗手を担いだり、日の丸の国旗を持って歩いたりしたことの疑問が、地球を一周してやっと解けた。

 戦争とは、集団的残虐行為であり、どんな戦争も相手がいることなので、よい戦争などありえない。しかし、これまで多くの民族・部族の集団は、自分たちの安全・安心・権利などを御旗に、少々の犠牲を承知で紛争や戦争を繰り返してきた。

 古代から、勝てば官軍負ければ賊軍と言われてきたが、勝者が有利なことは今も変わらない。しかし、戦争は相互的行為なので、敗者にもそれなりの理由と意義がある。

 1945年頃は、アジアやアフリカの殆どが欧米諸国の植民地であった。ところが、日本だけがアジアで欧米植民地国と戦った。欧米文化とアジア文化の戦いとも言えるインドシナ半島インドネシアインパールなどでの戦いは、アジアやアフリカの人々の目を開かせ、独立運動の火蓋を切るきっかけとなった。

 欧米以外のアジアで最初のオリンピック大会に参加した、第二次世界大戦以後に独立を果たした各国の選手たちは、そのことをよく知っていた。そして、原爆投下を受けて荒廃した敗戦国日本が、僅か20年足らずで不死鳥のように復活し、見事にオリンピック大会を開催した。

 “我らが同志、我らが旗手、日本万歳”その自由と平等・平和を称える叫びが、あの閉会式で日本の旗手を担いだり、日の丸を先頭に群れをなして歩いたりすることになった。

 長い間戦争の負い目を感じていた私は、アジア、アフリカ諸国の独立を確かめた地球一周後に、人類史における大東亜戦争の意義を考えさせられた。それが、その後40年近くも日本の民族的、文化的源流を探る、アジア諸民族踏査旅行のきっかけになった。

 

4.人類史上の大東亜戦争

 人類は、古代からいろいろな理由や目的によって戦争を繰り返してきたが、科学技術が発達するに従って、その愚行に気づかされ、伝統や民族の強い国家主義を浄化し、希薄なものにして、グローバリズムこそが幸福をもたらし、未来を切り開くものとされてきた。

 しかし、そうした楽観的な歴史観は、アメリカ的な経済活動中心の市場主義や発展主義には都合がよかったが、人の生きがいや社会の安定と継続には効果的ではなかった。かえって人心の不安や社会の不安定を招き、倫理観や価値観を失わせた。

 そこで、これからの私たちは、グローバリズムとか国際化という美名に飾られた近代的歴史観を見直し、国際化における国家の重要性と在り方の再確認が必要になっている。

 日本的呼称の大東亜戦争は、多くの犠牲を払い、悲惨な状態を招いたが、欧米中心の史観や植民地制度、それに人種差別(奴隷制度をも含めて)などを無くするきっかけとなったので、私たち日本人は、戦勝国アメリカ)の立場に立っての見方だけではなく、敗戦国日本が果たした人類史的役目を認め、世界の平和と安全について考察する時がきた。

 戦後70年の節目を区切りとして、2020年の東京オリンピック大会を迎える上にとって、人類の理想に近い信頼社会日本の生活文化が、次にはよリ多くの国の人々から評価・称賛されるように、我々日本人の最善の努力・工夫が望まれている。 

           機関誌「野外文化」第216号(平成27年1月20日)巻頭より

先進国・日本からの発信(平成24年)

先進国・日本からの発信

1.人口増加と資源不足の地球

 私たちが住んでいる青い地球は、宇宙に浮いた球体で、自転と公転を常時繰り返している。その地球上に、2011年11月30日現在、192の国と地域に分かれて70億人が暮らしている。世界人口は1987年には50億人であり、1999年には60億人であったとのことなので、急激な増加率である。

 日本国の人口数は減少しているが、人類はますます増え続け、2050年までには、なんと93億人にもなるそうだ。だからと言って、われわれ人類が宇宙のほかの星へ移住することは、自然環境の違いからなかなか出来ない。

 これからの地球は、人口増加と科学・技術の発達によって、大地は細り、時間と空間が相対的に縮小され、食糧不足が激しくなる。そうなると、食料やエネルギー資源等の確保、領地や領海等の確保による紛争が耐えることなく発生し、われわれの日常生活が一層不安定になり、不満が増す。

 

2.平和で豊かな先進国・日本

 私は、これまでの40数年間に地球上を踏査し、日本の自然的立地条件が、世界のどの国や地域よりも恵まれていることと、どの国よりも画一的に発展して豊かであり、しかも安定していることを知った。

 南北に長い大地が海に囲まれ、自然的要塞に守られてきたような日本国は、大陸の陸続きの国々とは異なって、緑と水が多くて自然の幸に恵まれ、国民的にもそれほど複雑ではない。それに、他民族の侵略を受けることもなく、江戸時代の数百年も前から統合され、権力的な立場の将軍や首相は代わっても、権威的な天皇は古代から継続しているので、比較的安定した社会生活が続いている。

 何より、この半世紀以上も戦争や紛争がなく人心が安定しており、その上、科学・技術立国としての国際的な経済活動が活発で、物質的に大変豊かである。しかも、全国津津浦々にいたるまで画一的に発展しているので不平等感が少ない。その上、小中高等学校の教育制度が発達充実しているので、比較的民主的、合理的な社会が営まれている。

 このような日本は、世界の最先端を進んでいる豊かで平和な、そして安定した先進国なのである。

 

3.社会的遺産としての生活文化

 多くの人が努力、工夫して学んだり働いたりしている。しかし、学んだり、働いたりするために生きているのではない。よりよく生きるために学んだり働いたりしている。

 よりよく生きている精神的な喜びを感じるには、他人とのかかわりや自分の価値観による納得が必要だ。その価値観に最も大きな力を発揮するのが、日常生活のあり方である生活文化だ。しかも、その生活文化の共通性が人間関係や絆、人格までも作っている。

 私たちが日常生活で最も安心・安全に思えるのは、ごくありふれた日常的なことで、「こうしていれば大丈夫」と言う生活の知恵とも言える、心理作用による納得なのだ。

 生活文化は、その地域の自然環境に順応して生きてきた先祖代々の社会的遺産であって、現代人が勝手に作ったり、簡単に排除したり出来るものではない。

 日本人の生活文化は、日本の自然環境に順応して生きてきた先祖たちが、何百、何千年間も改善を繰り返しながら、徐々に培ってきたものなので、それを無視して生活していると、徐々に安心・安全感が薄れ、高齢になるにつれて不安が増してくる。

 今日の日本に自由貿易は必要だし、TPPのようなアメリカ式自由貿易が迫っているが、社会が安定し、人々がよりよく生きられる継続策を忘れて、経済的効率を高めるアメリカ的産業化を追い求める理論に溺れてはいけない。

 

4.日本独自の安定、継続策の発信

 世界一平和で安全な、しかも合理的に発展した豊かな日本を、これからどのように安定、継続させればよいのかを、経済論や国際政治論だけで論じるのではなく、地球上の日本に住む人は誰でも安心して、安全に生活が出来る方法としての、自然条件を十分に生かした日本独自のあり方を立ち上げることが必用だ。

 日本は世界で最もハイレベルの統合された国民国家で、移民による多民族国家アメリカを始め、他の国々が理想としている統合、安定、継続等社会的なことが、気づかない内に実現されている。アメリカンドリームに象徴されるような発展や繁栄策だけでは格差社会になり、不安定になりがちだ。長い歴史のあるこの日本を、ますます国際的になる経済活動のために更にアメリカ化するのは、人類にとってもよりよいあり方とは言えない。

 世界の先進国に住んでいる私たちは、他国のあり方を真似るだけではなく、これからは日本独自のよりよく生きられる安定・継続的なあり方を、自信と誇りを持って世界各国に発信しよう。

          機関誌「野外文化 」第207号(平成24年1月20日)巻頭より