稲に育まれた感性(平成5年)

稲に育まれた感性

1.米は稲の実

 ウルグアイ・ラウンドによって、“米”がよく話題にのぼっている昨今であるが、単に生産者と消費者の関係でしかなく、大切な人の心を育む教育的なことか無視されている。それに、日本の農民が栽培している作物は“稲”で、米はその実なのである。

 稲は千数百年もの長い間に渡って日本人を束ね、文化を育み、食生活を豊かにし続けてきた。極論すれば、稲が日本人たらしめてきたともいえる。その実である米は、単に主食というだけではなく、食生活や風習、価値観などにも大きな影響力をもっていた。日本では米や麦、粟、稗、豆などの五穀が食べられてきたが、古くから米を頂点とする文化体系が組まれていた。また、7世紀末に日本が建国されて以来、税としての米や貨幣米として国家に管理されてもいた。

 稲のような1つの栽培植物によって、民族がほぼ統一されてきた国は、日本以外に世界中どこにもない。だから、そのことを具体的に説明しない限り、他国に日本文化の成り立ちや、日本人と稲とのかかわりを理解させることはできない。特に、多民族、多文化国家で、米を食料品としか考えることのできないアメリカ人には理解され難いことである。

 

2.日本の稲作文化

 日本は南北に長い列島国で雨が多い。厭地性の少ない稲は、その日本の自然環境によく適応し、何百、何千年間も同じ田圃で栽培され続けてきた。

 稲は多年草であるが、毎年定期的に植えては刈り取るので、日本人にとって最も身近にある植物であった。そして、稲作農業の生産過程の種籾、代掻、苗代、早苗、田植え、青田、黄金色の稲穂、稲刈り、稲架け、脱穀、わらぐろ(わらにお)、切り株田などの仕事や風景は、季節感や自然を具体的に教えてくれ、1年という時の流れを伝えてくれた。

 また、稲の豊作を願い、病害虫を恐れ、収穫を神に感謝することによって予祝行事や祭り、年中行事などが発生し、今日まで続けられてきた。

 主食である米は、炊いたり蒸して食べるだけではなく、餅、団子、せんべいなどにして食べたり、酒、焼酎、酢などの原料にもなった。そればかりか、抽象的な精神世界にまで影響し、価値観、生活態度、思想、行儀作法などにもかかわりがあり、神祭りとしても貴重なものであった。

 稲わらでは、踏、ふご、草履、わらじ、わら沓、俵、わら縄、わら帚、畳など、多くのものが作られてきた。しかし、今、日本には使えるわらがない。日本人の生活に今でも大変重要な畳は、日本の稲わらが使えないので、韓国や台湾、中国のものを輸入している。

 稲は、単なる農作物ではなく、自然と共に生きてきた日木人に喜びや悲しみ、恐れや希望、季節や故郷などを与えてくれる付加価値もあったが、今では、米が単に食料として用いられるだけのようになってきている。日本人にとって、稲の存在価値が1/2にも1/3にも減少しているのである。

 

3.農業は人づくりの原点

 人間は、古代より食べ物を採ったり、栽培したり、保存したり、料理することによって、自分たちの文化を伝える機会と場としてきた。つまり、農業は食料を生産するだけではなく、生命あるものを育み、食べることによって感性をも培う人づくりの現場であった。その理念は、工業化が進んだ現代でも、多くの国、特に伝統を重んじるヨーロッパ諸国の人々にはまだ忘れられていない。しかし、経済的効率中心のアメリカ型の工業化を重視した戦後の日本は、農業を食料生産の手段とし、稲を米のなる草と化してきた。

 昔も今も、そしてこれからも、青少年教育にとって、農業は直接体験によって、創造力や活力を培う社会教育の現場であり、学校は、疑似体験や間接情報によって知識や技能を身につけるところであることに変わりはない。そして、稲作農業の社会目的は①国土保全②国民育成③食糧生産などであることを忘れてはならないのである。

 もし、日本の農林水産業が人づくりの原点であることを忘れたら社会の後継者を失ない、良い政策立案者を失って、日本は徐々に内部から哀退していくだろう。

 今後、いかなる高度な文明社会になったとしても、豊かさやゆとりは物や金だけでは成り立たたない。これからも、農林水産業のような自然と共に生きる心得が必要なのである。

             機関誌「野外文化」第123号(平成5年4月20日)巻頭より