日本人と自然(昭和51年)

日本人と自然

 人間が自然に適応して生きるために、考えだした生活の知恵が文化なら、文明はより快適に生きるために考えだされた物である。木にたとえれば日本の文化は、日本人にとっては台木であり、近代文明は接木された枝葉である。

 

1.感情豊かな日本人

 日本は世界の中でもっとも自然の豊かな国の1つである。それは、工業的天然資源という意味ではなく、人間が生きるに必要な食物を生産する条件が満たされているということであり、自然の復元力が強いという意味である。

 豊かな自然の中で、何千年間も生き続けた日本人の生活文化や風俗習慣は、自然に順応適応して生きるために考え、工夫された生活の知恵であった。だから、日本人の性格や文化や思考形態を知るためには、まず、日本の自然を知ることが大切であり、机上論的に欧米やアジア諸国と比較しても、容易に理解することはできない。あえて理論的に比較しようとするならば、どちらかに優劣をつけてしまうことになる。

 日本人の誰しもが、四季を知っているだろう。春になれば、生命の喜びを感じ、秋になればなんとなく悲しくなる。それは、人間の力ではどうにも仕難い自然の力によって、感情豊かな人間にさせられた結果である。日本人は、それを誰に向かって恨むことも、文明の利器によって変えることもできない。

 

2.自然から生まれる文化

 我々の周囲にあるすべてに目を向けて見よう。どれひとつ取りあげても、日本でできたものは、日本の自然と関りがある。民具・工芸・家・衣服・美術・思考方法・神話・物語・民謡・祭り・儀式・風習・食料・飲料など………。

 日本の自然に関りのないものは、外国から輸入したものである。また動植物においても、日本人の生活に何らかの関りがあったものには、必ず名前がつけられている。

 日本人の思考が複雑で、ひかえめなのは、日本の自然が複雑すぎ、そして、豊かすぎるからである。

 乾燥地帯や砂漠の中で生きる人々の思考は目的的で、自己主張が強い。それは自然が単純で貧しいからである。だから自然条件を無視して、いくら科学的理論によって比較しても、他国の文化を理解することは困難である。まず、自分たちの自然をよく理解し、自分たちの文化の成り立ちを理解することによって、他の自然条件から発祥した文化を理解することができる。

 

3.生活サイクルの必要条件

 日本の文化である華道も、茶道も、禅も、俳句も、その真髄は共通している。知識を得た日本人が自然と共に生きる喜びを知る手段として考えだしたものであって、単なる行為のためにあるのではない。

 今日の日本では、すべてに関して目的を忘れ、手段のみにとらわれている傾向があり、その手段を、より工夫するところに快感を覚えるような、異常な状態になっている。

 例えば、野外で活動することだが、野外で身体を動かすことが何のためかを忘れ、野外で活動することそのものの熟練者にならんとすることが目的とされかけていることである。

 我々は、スポーツのために野外で運動するのではなく、健康のためというよりも、生活サイクルの必要条件として野外で運動するのである。だから、スポーツ名などなくても、ルールがなくても、時間競争をしなくても、適当に全身を動かすだけでよい。

 人間が全身を活動させて汗をかくことは、スポーツのために必要なのではなく、自然の状態で日常生活が、スムーズに、快適に過ごせるためである。

 現在の野外での活動は、スポーツだとか、レジャーと呼ばれて、時間や順位やルールを競って、スポーツのために、レジャーのために全身を動かしているような錯覚にとらわれがちである。だから、華道のために花をいけ、茶道のためにお茶をたてるような形式ばかりが目につきやすく、人間が生活するための必要条件としての要素が隠されてしまっているので、何をしても納得いかないし、なんでもかんでもやってみなければわからないと、日々これ多忙に追われている。

 今、日本では、すべてが塾の時代だともいわれているが、それは、物事の真髄を知らずに、手段のみを学ぼうとするからである。手段では食の糧は得られても、生きる喜びの糧は得られない。

 

4.文化の再発見

 日本は明治時代以来外来語を取り入れて、その言葉の持つ意味やニュアンスを理解することなく、翻訳言葉と行為のみが普及した。特に自然に順応して考えだされた歴史的過程を知らずして、理論的華やかさや現象のみによって優劣をつけてきた。そのため、自分たちの大地に根を下した土着性をなおざりにしがちで、外来の自分たちと異なったものをうのみにしてきた。だから、外来語を通じての翻訳文化と自分たちの現実の社会生活が必ずしも一致していない。翻訳文化は他の自然条件から創られたものであり、現実の生活は、日本の自然条件によって培われたものである。

 特に、第二次世界大戦に負けて以来、日本は土着性の衰退がはげしく、まるで橘の台木に接木した温州みかんのように、根と葉の種類のちがうみかんの樹ができたような状態である。だから時々、接着部分で違和感を覚えて不安な状態になることがある。

 自然は人間に無視されても、認識されてもその存在には変わりない。しかし、人間は自然を認識していないと生命の糧(生きる喜び)を失う。自然の豊かな日本で、人々はそれを日常茶飯事として知っていたはずだが、今は忘れがちになって、接木の接点や葉の茂りばかりを気にしているようである。

 明治以来忘れがちになっていた、日本の自然が日本人にもたらした文化・文明・風俗・習慣・その他諸々の文芸をひっくるめて、台木である根の部分をよく理解し、現代との接点を一層強くする時がやってきた。

 すなわち、よい意味での文芸復興期であり、巨大な近代文明と日本の自然から培われた文化を土台にした独自性の発芽と育成期になったといえる。

      機関誌「ZIGZAG(現:野外文化)」第29号(昭和51年12月6日)巻頭より