教育改革は教員養成から(昭和62年)

教育改革は教員養成から

 教員養成大学及び社会教育関係者を養成する大学に、“野外文化講座”を開講し、知恵と知識のある教員や指導者を養成すべきである。

1.民主教育と日本

 戦後の日本は、20世紀におけるアメリカ的理想教育をしてきたのではあるまいか。

 日本以外の諸国は、たいてい多民族・多文化国家で、歴史上幾度となく民族戦争を経験している。大陸の民族戦争では、各自が身を守る努力をせねばならない。だから、国民の一人一人か社会人としての価値基準を持ち、しっかりしている。そのため、幼少年時代から生きる基本的能力を身につけさせられるので個性か強く、主体的である。

 日本人は、第二次世界大戦まで民族戦争というものを体験せず、自然発生的な民族国家の中で、単一文化的な社会を守り続けてきた。だから、個人よりも集団が優先され、共通した道徳観によって社会が営まれていた。社会生活に大事なことは、あまり自己を主張せず道徳心に反しないよう、かしこく生きることであった。そして日本人の多くは、お上の指示に従うことを旨として生活してきた。

 それが、昭和20年8月の敗戦後、突然にアメリカ式の個人主義が侵入してきたので、日本人は社会的価値基準を失ってしまった。そして、22年4月からアメリカ人が理想とする民主教育が始まった。

 日本以外の国では社会人一人一人が、民族性・宗教・風俗習慣や思想をかなりしっかり身につけている。アメリカ人たちは、近代的国家を営むのにそれらは少々不都合なことがあると考えたのか、日本の学校教育には主義思想や宗教の教育が禁止された。それは社会教育や家庭教育にまで影響し、ついに風俗習慣など伝統文化も伝承され難くなった。

 日本はもともと、お上と道徳心が社会的価値基準のすべてであったので、個人の価値観がはっきりしないのは当然のことである。

 学校ではアメリカ式民主教育が徹底的に実行され、個人主義の日本人が毎年沢山卒業し、社会には価値基準をなくした日本人が年ごとに多くなった。そして、社会の1人1人がしっかりしているわけでもなく、社会の価値基準も定かでなく、世界に例のない日本式個人主義の人が多くなってきた。

2.知恵のない知識教育

 日本は飛鳥・奈良時代から朝鮮半島や中国大陸の文化を見習って日本の自然環境に順応する日本文化に再編してきた。明治以後は欧米に見習って、再び日本式の文化・文明の再編に努力してきた。特に第二次世界大戦以後はアメリ式日本文化や文明の組立てに最善の努力を払ってきたとも言える。そのせいか、日本の学問の多くが、外国の諸々について書物で学ぶことであり、知識者とはより多くの書物を読んで外国事情に通じる人のことであった。特に、戦後は、日本の自然環境や歴史・社会環境に適応するための知恵をないがしろにした傾向が強くなった。

 もともと、明治以後の日本の知識者には知恵者が少なかった。諺に「知恵者とは自然を知るものなり」とあるように、知恵者とは自分たちの環境や歴史について見識深い人のことである。だから、知恵者は知識者でもあるが、知識者が知恵者であるとはいい難い。いつの時代も知識者は重宝がられ、知恵者は尊敬されるのである。

 昭和20年代までの日本の教育は、まだ社会との結びつきが強く、どちらかといえば社会優先の教育で、子どもたちの知識レベルはあまり高くなかったが、生活の知恵はかなり習得されていた。

 民主教育は、小学1年生から知識偏重の教育で、社会との結びつきがなく、生活の知恵など少しも習得しない。まるで知識崇拝人間を育てるようで、社会性や人間性など社会人の基本的能力の養成をないがしろにしてきた。そのせいか、今日の日本では欧米の書物を読んだ知識者の言論が幅をきかせている。

 学校教育制度が始まって、明治・大正・昭和と知識教育を受けてきた人たちは、かなり優秀であったが、彼らとて、小学や中学時代には家庭や地域社会で生活の知恵を身につけていたので基本的能力は十分培っていた。

ところが、民主教育は、知恵の習得の機会と場については、あまり関与しない方向に走った。それは、人類が古来から続けてきた、社会の後継者を育む教育に背を向けるもので、民族性や社会性をなくする教育だともいえる。

3.豊かさの中の落し穴

 日本は経済的には世界一豊かな国になった。高度な文明的社会で人間の機能を最高に活用できるようにもなった。しかし。これは、民主教育を受けた日本人がつくり上げた社会ではない。戦前・戦中の知識教育のあまり徹底していない時代に、知恵も知識も同時に習得しながら、のんびり育った日本人たちのつくった社会である。

 戦後の民主教育を受けた大半の日本人は、結果的な豊かさの文明的社会に生活している。だから、豊かさの実体を比較的に知ることができないので、すべてが当り前なのである。貧しさを知る者の豊かさと貧しさを知らぬ者の豊かさは比較できないし、不便を知る者の便利さと、不便を知らぬ者の便利さは比較のしようがない。

 日本人は古代から自分たちの文化を独力で培ってきていなかった。オリジナルを借用して工夫を加えて日本文化にした。だから。外から新しい物が入ってくると容易に取り入れる特性をもっている。

 明治以後の日本人は、知恵としての貧しさや不便さを教えることより、新しい知識の教育に大変熱心であった。だから、自分たちの苦労や努力の結果を誇らしげに語っても、物事の経過や苦労を知らせる重要性を認めようとしないのではないだろうか。その感覚が豊かさの中の落し穴となり得る。

 今日の日本の豊かさは、日本の有史以来の結果であって、急に豊かで平和な社会になったわけではない。今日の豊かな社会に生まれ育った青少年には、豊かさの程度が分からない。結果的世界には未来がないので、この豊かさを比較する知識と知恵の教育がなされないことには、青少年に活力や希望や喜びをもたせることはできない。

 この豊かさに絶えず黄信号を点して、経過を体験的に知らせることが教育にとって大事なのである。そのためには、学校教育・社会教育・家庭教育でも、子どもたちに、社会人としての基本的能力である、生活の知恵を習得する機会と場を与えてやることである。そうするには、知恵のある教員を養成することが望まれる。

4.大学に野外文化講座を

 日本は100年以上も欧米に教育制度や内容、そして教員養成を見習ってきたため、知識教育を大変重視してきた。特に教育者には、教育とは何かの知恵よりも高度な教育学的知識を求めた。

 15年程前までの学生なら、社会人としての基本的能力を、まだ家庭や地域社会で身につけることかできたが、今日の学生は、大学を卒業するまでその機会と場のない者が多い。

 学生たちは知識や情報は豊かなのだが、原体験による知恵が少ない。多くのことか間接情報であり、疑似体験であるから、社会的価値基準のない社会観を身につけている。

 教員の資格は、単なる教育学的知識を習得するだけでなく、人間性や社会性を豊かにすると同時に、生きる基本的能力(野外文化)を習得していることである。

 社会人としての基本的能力は、幼年時代から青少年時代の遊びやいろいろな体験活動、すなわち、野外文化の習得活動によって培われるものであるが、今日の知識偏重教育を受けた学生達はその体験が少ない。

 ここにいう“野外”とは、屋内とか屋外をもって表現する文明的な概念ではなく、人間が自然と共に生きる野生的な世界を意味するものであり、“文化”とは、社会人に必要な基本的な行動や生活様式のことである。

 よって、“野外文化”とは、自然と共に生きるために心身を鍛錬する方法や手段とその行動の結果として生み出される心理状態(知識・態度・価値観)を意味する言葉であり、生きる基本的能力のことである。そして、その習得活動を“野外文化活動”と呼び、野外文化の子どもたちへの伝承を“野外文化教育”と呼ぶのである。

 教育改革が叫ばれはじめて久しいが、いつも制度や内容ばかりで、最も重要な教員の養成について検討が充分でない。これからの青少年教育には、野外文化教育がますます重要になってくるのだが、小中学校に肝心の指導できる教員がいない。

 自然と共に生きる知恵を体験的に学び、ものごとの経過と結果を確認するための野外文化活動を教育の場に活用するには、それにふさわしい教員養成が急務である。そのためには、教員養成大学及び社会教育関係者を養成する大学に“野外文化講座”を開講し、知恵と知識のある教員や指導者を養成すべきである。また。今後の小中学校の教員採用条件に、野外文化の習得活動を義務づけ、教育実習と同じ評価をすることが望まれる。

            機関誌「野外文化」第90号(昭和62年10月26日)巻頭より