ぞうりをはいた子どもたち(昭和58年)
ぞうりをはいた子どもたち
小学校3年生頃までは、学校や町中ではぞうりをはいて遊ぶことを奨励してはどうだろうか。
1.長く立てない青少年
十数分間の朝礼に立ち続けられない小中学生や高校生が多いことは周知のことであるが、大きな問題になることなく、立たせる方がいけないという意見さえある。新日本人ともいえる新しい世代は、身長が伸び、知識は豊かになったが、足腰が弱く、立つことも歩くこともあまり得意ではない。
豊かで高等な文明社会の中で、立ち続けることの少ない彼らは、立っていられないのが普通だと思っている。立ち続ける苦痛を耐えることなく、すぐに座りたがる。たしかに立っていることは非文明的、非合理的である。立派な椅子があり、座具があるのに立っている必要はない。そのせいか、電車の中でもどこでも若者たちが我先にと座る姿をよく見かける。
子供たちは自分の体力、精神力のなさを認識することなく、すぐに苦痛を訴える。聞きいれてくれない場合には、ふてくされたり、親又は仲間に不満を告げたりする。結局心身を培う努力をすることなく、未熟な知識で自分を主張し、口先だけ達者で表面的な性格を身につけて小中学校を進級する者が多い。
彼らは受験用の知識だけは豊富に習得するが、社会性や人間性、そして心身を培う鍛練をしないまま成長する。その原初的な理由は、歩くようになってすぐに靴をはくことにあると思われる。
幼小の時から1年中靴下をはき、歩けるようになるとすぐに靴をはくことは、足の指や裏を大地につけて歩く習慣をなくすることで、足を強くするのには役立っていない。また、足が不自然な型になり、脚を弱くすることにもなる。
昔、中国には、幼い頃から小さな靴をはかせて足を不自然な形に小さくする、“てん足”があった。あれは、男性の好みで、筋肉の弱い、やわらかい肌の女性を求め、足腰を弱くするために自由に歩けないようにした。
幼い頃から靴をはいて育った現在の青少年は、文明社会にどっぶり浸って歩くことも少ないため扁平足が多く、足腰も弱く、バランス感覚がよくない。これは大きな問題であり、このまま放置すべきことではない。
2.野性を忘れた親たち
“子は親の鏡″の格言が正しいとすれば、新日本人は、本質的には旧日本人の複製である。すなわち、今の子は、今の親をまねているだけのことである。
幼少の子供は、健康についても、将来のことについても、体力や精神力についても考えることはない。ただ、食べて飲んで遊んで眠る、動物的本能を満すだけである。青少年の体力がないのは親が培ってやらなかったのか、培い方を教えてやらなかったからである。
幼い子供は、足袋や靴下をはくことも、ぞうりや靴をはくことも知らない。だから、親が特別な配慮のもとに保護しない限り、子供は裸足で歩く。しかし、昔の“てん足”のように、生まれて間もなく足を包んでしまえば、裸足で大地を踏むことを知らず、自由に歩き回る喜びも少ない。
旧日本人である親たちは、裸足で歩くことも、ぞうりをはいて歩くことも知っているし、足袋も知っている。しかし、新日本人の青少年たちは、靴をはくことしか知らず、裸足で歩くことやぞうりをはいて歩くことは異常なことである。親たちは、自分たちが体験した野生的な人間の強さや楽しさを非文明的とみなし、生長過程に必要な体験としては認識し得なかったのかもしれない。
親たちは額に汗して働き、よく歩いて強健な足腰を培ったが、豊かさを知らなかった。その物質的な豊かさの願望か強かったせいか、子供たちに同体験をさせないように努力している。そうすることがかえって子供を弱くすることを知らないかのように……。
心身を培うことを強制されてきた親たちは、今豊かな社会で、裸足になることも、歩くことも、額に汗して全身で働くことも忘れている。その姿を幼少年の時から見てきた新日本人たちは、裸足になることも、歩くことも、全身で働くことも良くは知らない。
3.自然環境とはきもの
足腰の弱い人は一生不健康に泣くにちがいない。健康であるにはまず幼少年時代に足腰を強くするためによく歩くことである。特に、幼少年時代には、自然な姿が最も望ましく、裸足で歩くことである。しかし、屋内や特定の場所以外は危険が多いので、足の裏を守る必要
かある。子供たちが野外で歩く場合、日本で最も理想的なはきものはぞうりである。
地球上にはいろいろなはきものがあるが、すべて自然環境の条件によって考案されたものである。
寒冷地帯は長靴、亜寒帯地方は、短靴、高温の乾燥地帯はサンダル、温帯地方の日本ではわらじ又はぞうりや下駄。熱帯地方は殆ど裸足である。
零下30℃にもなるモンゴル高原で生活する人々は、長靴をはき、馬を足代りに走らせる。モンゴルの長靴は歩くには不向きだが、乗馬用で暖かい。
日本の夏、靴を履くと中がむれて暑いので水虫になりやすい。夏はげたが最も自然環境にあったはきものであるが、天候のよい時にはぞうりの方がよい。ぞうりは、足の指がよく動かせ、大地の感触が足の裏に伝わりやすい。
冬を除けば、日本では屋内外を問わずぞうりが自然に叶ったはきものである。文明は一夜にして世界を駆け、画一化するが、自然環境をかえるのは不可能に近いので、西欧の寒い地方で考案された見かけのよい靴は、日本の夏にはあまりふさわしくない。ぞうりは、日本人の文化であり、技術であり、道具である。
4.ぞうりは足を強くする
子供を野外で活動させる時、外見のよい靴は足を過保護にし、足の機能を充分に発達させない。靴の型に足をなじませ、1本ずつの指の力をつけない靴は、幼少年時代の基礎体力を培う時には理想的なはきものとはいえない。それよりもぞうりの方が良い。もともとはきものは労働用であるが、今は歩くことを主目的としているので、ぞうりを子供の健康的な歩行用として考えるべきである。
ぞうりは5本の指の動きが自由であり、足の裏を全面的に刺激するので、足の機能を充分に発達させて強くする。足が強くなれば歩くことを嫌がらないので筋肉が発達し、脚や腰が自然に強くなる。そうすれば、数十分の朝礼を嫌がったり、耐えられなかったりする子供は少なくなる。
子供にとってぞうりは足を充分に保護してくれないので、寒い、痛いなど危険が多く、自然を直接肌に感じることができる。
中学生になってもぞうりをはけとはいわないが、せめて、小学3年生頃までは、学校や町中ではぞうりを履いて遊ぶことを奨励してはどうだろうか。
私は“異年齢集団の野外文化活動”の提唱者として、子供の野外での活動又は教室内ではぞうりをはくことをすすめたい。すでにそのことに気づいて実行している先生がいるようだが、まだ日本全体からすると少数である。
21世紀を生きる日本人の健康は、親である私たちが今気をつかってやらねばなるまい。同じ世代を生きる多くの日本人に、このことを御理解いただきたい。
機関誌「野外活動(現:野外文化)」第67号(昭和58年12月20日)巻頭より