不透明な時代を生き抜く力(平成21年)

不透明な時代を生き抜く力

1.不透明な文明時代

 人類が有史以来続けてきた青少年教育の目的は、社会の後継者を育成し、社会の安定と継続を図るためであった。その点からすると、日本における青少年、特に少年教育は、日本人の価値観や生き方、食文化、風習等の生活文化を教え、示すことが最も重要である。しかし、今日の日本は、平和で豊かな科学的文明社会に発展し、国際化や情報化の波によって社会環境は刻々と変化している。その上、諸外国の言語、宗教、風習、行事や出来事等が身近なこととして伝えられ、多くの国の人々が受け入れられている。そのため、社会の安定、継続、そして安心に必要な生活文化の共有性が薄れ、発展思考の強い利己主義的な不信社会になり、安全、安心が脅かされ、先が見えなくて不安感の多い、不透明な時代になっている。

2.身勝手で犯罪の多い社会

 テレビやテレビゲーム、PC、携帯電話、漫画等の世界に浸って直接体験の少ない今日の子どもたちは、対人関係の持ち方を知らず、会話がうまくできない上、身体の柔軟性を欠き、バランス感覚や距離感がうまくとれず、勘が鈍く直感的な行動が取り難い。それに規則を守ることを知らず、自分勝手に考えて行動したり、気に入らなかったり、聞き入れてもらえないとすぐに癇癪を起こしがちで、忍耐力に欠け、我慢することができない。

 どちらかと言えば、社会的に何が正しくて何が悪いのかの判断や,区別がつけられないまま成長しているので、大変自分勝手・身勝手で利己的。だから、社会的善悪と個人的な好き嫌いの区別すらできず、社会的善としての道徳心を、個人の好き嫌いの感情で判断しようとさえするので、犯罪の多い社会になっている。

3.文明化に対応する生活体

 私は、これまでの40年間以上も地球上の多くの国を踏査しながら、日本で青少年教育活動を続けてきたが、世界で最も画一的に発展した日本での少年教育には、合理的な教科書教育と、非合理的な体験的教育の両輪が必要なことを痛感させられてきた。特に今日の日本のように情報文明の洪水に溺れかけている青少年を救うには、人間教育の原点に立ち戻って、古より実践されてきた素朴な体験活動に勝る方法はないと思われる。

 ここで言う“体験活動”は、野外レクリエーション的なキャンプ活動や、林間、臨海学校及び近代的なスポーツ、職場体験的なことではない。それは、今日の日本が画一的に突入している、豊かで平和な科学的文明社会に対応する“生き抜く力”を育成する少年教育に必要になってきた、社会人の基礎、基本を培う野外文化教育としての“生活体験”である。

 これからの不透明な科学的文明社会に対応する少年教育としての“生活体験”は、よりよい青少年であるためよりも、共通の生活文化を身につけてよりよい社会人・よりよい老後を迎えて、安全・安心のもてる社会的な心の保障を得てもらうためになすのである。

4.生き抜く力“生活文化”の習得

 私たちがそれほど意識しないでなすさまざまな生活習慣は、先祖代々に培われた生活文化なのである。ここでいう生活文化とは、その土地になじんだ衣食住の仕方・あり方・風習・価値観・言葉・考え方等の生活様式のこと。

 生活文化は、それぞれの時代の人々にとって創り出されたり、改善されたりしながら伝承された歴史的社会の遺産であり、他と共有することのできるものである。

 社会は、個と集団の対立するものではなく、いかなる個も集団的規定なくしては存在しえないので、社会人である以上、社会的あり方としての生活文化を当然身につけていなければならない。

 私たちは、ITを中心とする豊かな科学的文明社会がどのように発展しようとも、あえて肉体的機能の低下や生き抜く力を退化させることなく、安全・安心を保つための知恵として、社会的遺産である生活文化が必要不可欠。

 よりよい人間的状態には、健康な肉体と健全な精神が必要だが、肉体の安全についてはよく学ぶので、身体活動としてのスポーツやレクリエーション活動の重要性についてはよく知っているが、心のよりどころ、安心を保つに必要な生活文化については案外無頓着で、意識してこなかった。

 しかし、これからの競争の激しい不透明な国際社会で、アイデンティティーを保ち、よりよく生きるためには、少年期に生活文化の習得が重要なのである。

               機関誌「野外文化」第200号(平成21年8月28日)より