民族の言葉と風習(昭和56年)

民族の言葉と風習

 自然環境によって培われた言葉や風俗習慣は、共同体験を通じてのみ理解されるものであり、理論的に比較できるものではない。

 

1.自然は創造の知恵

 中国の雲南山岳地帯の南に続くナガ高地にコニャック族と呼ばれる人々が住んでいる。彼らは山岳の農耕民で、稲や粟・芋を主食とし、王様のいる定住農耕型の社会を営んでいる。私は1979年にその北端のサンユー村を訪れた。

 コニャック族には“おはよう”とか、“こんにちは”という言葉がない。他人と出会った時には、相手の名前を呼ぶのが挨拶である。知らなければ、年下の者から“おじさん”“おばさん”の代名詞“パリー”と呼びかける。このような挨拶のできない者はコニャック族ではないという。

 彼らはズリバイ(ありがとう)いう言葉をよく使う。一般的に、感謝の気持を表現する言葉をよく使う民族は、比較的豊かな自然環境で定住した信頼社会を営んでいる場合が多い。砂漠や荒野など、自然環境の厳しい所に住む人々は、感謝の言葉をあまり使わないし、社会性に欠ける。

 彼らはまた“チューチュ”という別れの挨拶をよく交す。日本もそうだが、定住農耕型の信頼社会の人々は、形式を重んじ、建前と本音のある二重構造を好み、別離を表面的にも悲しみがちである。しかし、遊牧型の不信社会では、自己中心的で、別れることが日常的なのか、別離に際して特別な言葉を使わない。

 

2.言葉は民族の暗号

 言葉は意志を伝えるための音の記号で、モールス信号と同じようなものである。自然環境によって培われた複雑な感情を伝える方法は、共同体験を通じて考案される暗号のようなもので、異なった自然環境に住む人々には理解され難い。だから、他民族の使用する言葉は通じないものと考える方が自然である。しかし、自然環境が類似していると、他民族でも意志の伝達方法や暗号の表現に共通性が多い。

 “ハリバイ”と“ありがとう”、“チューチュ”と“さようなら”は同じ意味なのだが、表現する記号がちがう。しかし、その記号を使う人間の心理は同じ。ということは、自然環境に培われた風俗習慣の根底に類似性があるからである。

 民族の文化は自然環境を知らずしては比較すべきものではなく、文化を理論的に比較することは、知識の遊びごとにしかすぎないのだが、コニャック族の伝達記号の並べ方が、『主語十目的語十動詞』と日本語の文法に類似しているので、簡単な実例を次に列記してみた。

 「ク(私)モン(町の名前)卜(へ)力(行く)」

 「ク(私)エ(は)チカム(お茶)リセン(飲みます)」

  「ナン(あなた)チカム(お茶)リン(飲む)ジャ(か)」

 記号は異なっても、伝達方法が同じなので、音の記号さえ覚えれば、単純な意志伝達は容易である。伝達方法の異なる西洋諸国の言葉は、日本人にとって大変理解し難い。それは、自然に培われた風俗習慣のちがいに通じるからである。

 

3.大自然への願いごと

 コニャック族には日本と同じ“雨乞い”や“厄払い”の風習がある。雨乞いをするのは、彼らが農耕民であり、しかも定期的に雨が降るという自然条件下にあるからである。

 農民が予期した時に雨が降らないと、雨乞いをする風習は世界共通であるが、雨がいつ降るかわからない地域や、乾燥地帯や熱帯多雨地方の農民には雨乞いの儀式は見られない。

 雨を乞う人間の心理には、生きようとする強い欲望がある。その欲望が神を創造し、神の加護を願い、神を呼びよせる儀式を考案する。その方法は民族によって異なるが、生きようと願う心理から創造された神の本質は同じなので、文明の利器のように他民族のそれと比較すべきものではない。

 サンユー村の“雨乞い″は、王様に選ばれた四十歳以上の女性が、雄鶏の首を切り、その血を“シャオ”と呼ばれる聖地の周囲にまいてから天に祈る。

 「ザン、ザン、ザン」

 天を意味する。ザン”を3回繰り返して叫ぶ。

 「ポンニヤク、ポムトーゝ ゝ 」

  “黒い雲”“白い雲”と大きな声で天に向って4回叫ぶ。

 「ニーハオ ゝ ゝ」

 「お笑い下さい(お恵み下さい)」と大声で3回叫ぶ。

 これだけのことである。しかし、女性は心身ともに疲れてぐったりする。村人たちは僅か30分足らずの儀式で、雨が降ることを期待する。雨が降れば天の神が願いを聞き入れてくれたと感謝し、降らなければ何かの事情があって聞こえなかったのだろうと、再び同じ儀式をとり行なう。

 

4.健康祈願の厄払い

 コニャック族には、“カクソアプー”と呼ばれる厄払いの儀式がある。精霊の存在を信じる彼らは、人間にとって不快なことすべてが、悪霊の仕業だという。

 伝染病や悪事が起ったり、不吉な徴候があると、王様に選ばれた人が、犬か雄鶏を殺して、その肉を小さく切る。

 「悪病が村に入らないように、悪魔が村から出て行きますように」

 その人は、村の中の聖地から小さく切った肉を1つずつ投げながら叫んで村中を歩き回って、最後に村の外に出る。すると、悪霊は好物の肉につられて村の外に出るという。出なければ出るまで何度でも繰り返して“悪霊追い出し”の儀式を行なう。

 これは、日本の“福は内、鬼は外”と叫んで豆を投げる節分の行事に類似している。

 日本には、鬼神のなす業と思われる、傷害、疾病、天変地異、難儀などの“わざわい”を払い除く習慣がある。初詣や節分の豆まき行事は厄払いのための儀式であり、氏神への祈願に“絵馬”を捧げるのも厄払いの一種である。又、“厄年”に祝いごとをするのも厄払いである。

 厄年は、何らかの厄難にあう恐れがあるので、万事慎むのがよいという年齢である。男は25・42と60歳、女は19と33歳。これらの年齢を肉体的、精神的、社会的に考察すると、少年期から青年になる時と、青年期から壮年になる年であり、男の60は老年期である。

 厄払いは、厄を払ってもらった、厄を払ったという意識の持ち方だけが重要なのであって、その方法を科学的に解明することに意味はない。人間の本質と自然環境が変化しない限り、厄年の経験者のみがその存在理由を理解することができるものである。

 厄払いは。人間がより快活に、健康に生きようと努力する創造的行為であり、その方法は自然環境と切り離すことはできない。

    機関誌「野外活動(現:野外文化)」第54号(昭和56年10月20日)巻頭より