ボーダレス社会の文化(平成3年)

ボーダレス社会の文化

1.これからの文化

 この地球は、文明の発展と共にますます国境、境のないボーダレスな世界になるだろう。そして、個の確立が要求され、共通性の少ない不安定、不確実な社会になるにちがいない。中でも日本は、最も早くそうなるだろう。

 日本は今世紀に入るまで他民族に侵略され、支配された経験がなく、周囲が海のせいもあって、国境とか民族性を日常的に意識する必要がなかった。そのことが、今日の国際的経済活動の手段としてのボーダレス化現象に同調しやすくしているのだが、日常の生活感覚ではまだ理解されてはいない。しかし、経済活動中心的なボーダレス社会になりうる可能性は日本が最も高い。

 そのボーダレス化する国際社会にとって最も大事なことは、社会人の基本的能力である生き方や考え方の“文化”を、より多くの人か習得することである。

 文化には、基層文化と表層文化と呼ばれる2種がある。基層文化とは、自然環境に順応して社会生活を営むために必要な、衣食住や安全、衛生などの観念や言葉、風習、そして心身の鍛練などである。表層文化とは個人の感性によって培われ、流動的で生活にうるおいをもたらすものとされており、美術、工芸、文学・音楽、芸能などである。

 しかし、ここでいう文化とは、主に基層文化のことである。そして、それを共有していないとボーダレス社会においては一層個の存在が認められ難い。

 その基層文化とかかわりの深い、自然環境が強く認識されるであろう1990年代のテーマは、「地球にやさしく」であるが、これは地球と共に生きている、地球に生かされているという立場でのやさしさでなくてはならない。この場合の地球は自然のことであり、人間中心的な立場で解釈したり、挑戦したり、征服したりするためのやさしさであってはならない。

 ここでの文化とは、自然環境による人間の生き方、価値観、生活態度などのことである。客観的にいえば自然と共にどう生きるか、どう考えるか、そのあり方が人類共通の文化なのである。それは、これからの高度な文明的社会においては大きな力をもつようになる。しかし、自然を科学的に知ることは技術や学問のためには大事なことであるが、生きるためにはそれほど重要なことではない。

2.自然は普遍的真理

 人間は物や金銭だけでは決して満たすことのできない心の世界をもっている。幸福、満足、安心感などやゆとりを感じる心を満たすのは、自然そのものなのである。これまでは、宗教や思想などと呼ばれる概念によって心が支えられ、満たされると考えられがちであった。しかし、宗教観念は膠着化しやすく、発展や変化を阻害し、権力と結びついて壁や境をつくり、いろいろな幣害を生じさせてきた。主義思想や宗教などの概念を信じて主張すれば争いのもとになりやすい。なぜなら、概念は、ある社会状況の中で、個人又は集団がつくりだす一時的な部分的真理でしかないから、人間にとっての普遍的な絶対的真理とは自然そのものなので、これからは自然と共に生きる生活態度が大切になってくる。

 地球にはさまざまな自然環境があり、それぞれに順応して生きる人間の考え方、生き方がある。しかし、自然環境に順応して生きる人間のあり方の理念は共通する。自然の一部でしかない人間が、自然に生かされており、自然と共にあるのは絶対的真理である。それを意図的な概念の世界に押し込んでしまうのではなく、ありのまま認めることこそ大事なのだ。

3.基本的能力の発達を

 その自然と共に生きるに必要な文化を“野外文化”と呼んでいるのだが、これからは、その体系的研究と、実践や啓発活動がますます重要になってくる。これまでは、その認識が不足しがちであったが、科学的文明社会に応用された東洋の倫理感による“ファジイ論”によって、やっと世界的に評価されるようになった。

 日本は、東洋的な自然観による野外文化を習得した人々の努力と工夫によって、1970年代には「世界の工場」と呼ばれるほど工業化が進み、80年代になると国際的経済活動の中心国となり、「世界の金庫」と呼ばれるほど豊かになって国際社会へ参入した。

 90年代の日本のあり方は、自然と共に生きる文化的な生き方・価値観を伝えていく役目を果すことである。そのためには、より多くの青少年が、野外文化の習得活動をして、自然と共に生きる基本的能力を十分に発達させることである。日本の60%の人々が野外文化を身につければ、いかなる社会になっても安定と繁栄と継続が図られる。これからの日本は、自然と共に生きる文化的情報の発信地となることが望まれている。

           機関誌「野外文化」第110号(平成3年2月20日)巻頭より