社会の素養を育む野外文化活動を(昭和59年)

社会の素養を育む野外文化活動を

 野外文化活動は、スポーツ的な要素、娯楽的な要素、情操的な要素を含み、青少年の社会性、人間性を培い、知的欲望と体力養成を同時に満たすきわめて重要なことである。

1.自然と風習

 南北に長い日本列島の自然は活力と緑に富み、めぐり来る季節によって多くの幸を恵んでくれる。しかし、自然環境は地域によってかなりの差があり、生活習慣に僅かな違いがある。特に言葉に特徴があり、日本人といえども、お互い理解し得ないほどであった。

 東北地方では、半年もの長い間雪に埋もれる自然環境から、耐え忍ぶ生活習慣を日常のこととし、九州、四国地方では、1年中太陽と青い空に恵まれ、野外での行動が日常化し、屋内にいることが少ないせいか、開放的で、感情をむきだしにする人が多い。

 自然は決して私たちに歩調を合わせてくれることはないので、いつでも、どこでも順応できる知恵を沢山習得する必要にかられ、日本人は青少年時代から野外文化活動を通して徐々に素養を育む努力を続けてきた。

 自然に調和する素養を持っていた日本人は地域性が強く、先祖代代守り続けた風習もあり、その特徴を理解すると、出身地を知ることができた。そして、地域社会の団結や共通性が大変強く、自然に順応するための運命共同体的な意識すらあったように思われる。

2.日本人の素養

 いかなる民族も、より豊かに、より安全に、より楽しく生活できる条件を求め続けてきた。その第一条件が自然環境であることに疑う余地はない。千数百年もの間、世界に例のないほど豊かな自然と共に生活してきた日本人は、各地方でいろいろな風習を持ちながらも共通した素養がある。

 年末に門松を立て、元旦に雑煮を食べることは、その方法を異にしても、お互いにわかり合う感受性を持っていた。桜の花の咲く時や、場所か異なっても、美術・工芸・思想などの世界で通じ合えるものがあった。

 祭りや踊りにもいろいろあるが、夏祭り、秋祭り、盆踊りといえば、日本全国どこでも共通する感性があったし、自分たちのそれを想う世界がある。地方弁や太鼓のリズムや、形は異なっていても、日本の祭り、日本の踊りという基本的な共通性がある。例えば青森県の“ねぶた“京都の“祇園祭岡山県の“裸祭”、徳島の“阿波踊り”など、日本人に共通した素養が感じられる。

 夏の川や海は、それだけで絵になり、詩になった。誰しもが思い出の世界にサクラ貝を手にした喜びと悲しみがあった。誰がどんな説明をしても、理解し合える共通の話題が満ちあふれる夏があった。

 日本人であれば誰でも稲作の思い出があったにちがいない。早苗の緑、黄金色の稲穂が頭を垂れた様子……。

 私は稲を刈るのが好きだった。稲ワラの香りが好きだった。ワラの上で相撲をした。ころんでも痛くなかった。運動会で早く走れたのは、田圃で練習したからだった。稲ワラと麦ワラを見違えることはなかったし、トマトやなす、かぼちゃの花や葉を見わけられ、そのつくり方も知っていた。

 地球上のいろいろな民族を探訪したが、日本人ほど自然の恵みをうまく使いこなしていた民族は少なかった。しかし、いつの日からか、私たちの先祖が培った素養は、異文化に併合されたり、吸収されたり、その大半が、近代文明の大きな津波に押し流され、海の藻屑になった。

3.画一化による不安

 戦後、縁の美しかった日本の大地にコンクリートの建物が林立し、大都会の東京や大阪も、中都市の仙台や高知も、小都市の町々もすべて同じ光景になった。家の形も、調度品にいたるまで日本中が画一化した。日本人の話す言葉も、着ている物も、食べている物も同じなのである。

 東北のずうずう弁も、鹿児島弁も土佐弁も消えかけている。日本中のラジオ、テレビが、早朝から深夜まで話しまくっている。マスコミュニケーションに育てられた日本人が、まるでおしゃべり人形のように同じ言葉でよくしゃべる。

 数年前、イタリアのローマで日本の青年二十数名と生活を共にする機会があった。言葉は横文字の多い新日本語ともいえる単調で語尾上がりのアクセント。夜になると、ギターを奏で、皆、流行歌を大変上手に歌った。自分たちの故郷については殆ど語らなかった。

 夏だったが、祭りのことも、盆踊りのことも話さなかった。日本全国から集まっていたが、共通話題はテレビ番組と漫画本以外になかった。自分が話している時は楽しそうに笑うが、静かになると、他人とのかかわりを拒否するかのような、気くばりのない表情に驚かされた。

 此の頃、私は日本人の不思議な目を見るようになった。パソコンを相手に遊ぶ少年の鋭い目、何もしないで傍観する青年のうつろな目。面白い服装をした男女の狂気の目。どの目も自己を主張し、満足しているのではないかと思ったが、皆淋しそうな表情である。彼らは、日本の自然に培われた共通の素養を持ち合わせていなかったし、共通の体験がなかった。それぞれが独自の文化を持って孤立していた。

⒋野外文化活動の共同体験

 いかなる民族、いかなる社会も後継者たる青少年の心身を培い、素養を育むために最大の努力を払っている。しかし、戦後の日本においては、知識教育と能力主義に徹し、後継者づくりに必要な素養をなおざりがちにしていた。

 これまでに、日本人の素養を育む野外文化活動として、各地で続けられてきた素朴な活動は今もまだ少少残っている。

 例えば、祭礼行事の和船競漕、綱引き、力比べ、草相撲、みこしかつぎ、盆踊り、どんど焼き、凧上げ、鬼ごっこなどや、山登り、木登り、竹馬、走り、歩き、石投げ、石けり、羽根つき、毬つき、合戦、遠泳、草遊び、水遊び、そして。山菜採り、潮干狩りなどである。これらは主に、青少年時代の基礎体力づくりと、情緒やふるさとを育み、情操を培うための通過儀礼的な行事であった。日本人たる由縁は、これらを通じて育まれた共通の知性と道徳心によるものだった。

 野外文化活動は、学問としての分野かまだ確立されていないが、教育人類学的な観点から考察すると、次のように大別することができる。

 これらは、いかなる民族にも共通する普遍的な素養を育む野外文化活動であるが、未だ組織的な研究や調査が十分ではない。

 野外文化活動は、スポーツ的な要素、娯楽的な要素、情操的な要素を含み、青少年の社会性、人間性を培い、知的欲望と体力養成を同時に満たすもので、青少年の健全育成にとってきわめて重要なことである。

     機関誌「野外活動(現:野外文化)」第69号(昭和59年4月20日)巻頭より