少年教育に望むこと(昭和56年)

少年教育に望むこと

 地球上のより多くの民族が、宗教や思想の組織化のためではなく、自主管理のもとに吸収型の国際化ができるよう努力している。

1.人間に共通した能力の開発

 いかなる人間も社会の一員としてしか生きていけない弱さがある。その範囲の大小にかかわらず、他人との共通性の拡大が自己の能力をより以上に開発する手段でもある。

 今日の発展した文明社会で生きるために必要な最少の共通性として、自分の所属する社会集団の文化とその背景を認識することが望まれる。その観点に立って、これからの青少年教育に望まれることは、まず第1に国語を正確に話し、理解する能力を培うこと。第2には、健康で快活に生きるに必要な体力を培うよう努力すること。第3に、風土と生活文化の実体験を通じての社会性を高めること。

 この3つのことが、社会生活を営むに必要な基本的要素であり、この社会人に共通した能力を欠いた者は被保護者の立場でしかない。

 いかなる民族社会でも、生きるために必要な基本3要素は、古代より、社会人の義務として青少年が学ぶよう強制されてきた。まずこの最少限の共通性を培わない限リ、社会人としての個性の開発や尊重の必要性がなくなってしまう。受験のために必要な知識は、この3要素の後に要求されるものであり、決して優先するものではない。

2.自然環境と土着文化の関連

 人間は自然環境に順応して生きるために、いろいろな生活文化を培ってきた。その結果だけを理論的に比較することは、知的な遊びではあるが理解するために十分な手段とはいえない。

 条件の異なった地域に住む人々が、お互いに異なった生活習慣や思考方法があることを理解し合うためには、まず、自分たちの土着文化を認識すべきである。また、自分たちのことを知るために他を見ることは大いに役立つことである。

 何より、自分たちの特徴を知るためには、まず、自分たちの自然環境を理解することが最優先である。民族の特徴や社会の特質は、自然の見えない力で人間が知らず知らず培ってきたものが大半である。だから、その特質の発生の要因と思われる原点と、今日まで改革、改善された経過と、その結果との関連を認識することが重要。物ごとには、必ずその経過と関連性があることを理解する能力は、結果の特質を知る上において重要なことである。そして土着文化の経過と自然環境との関連の理解力は、他民族の特質を知る上において、大きな情報源であり、判断の基本的な能力になる。

 物ごとの成り立ちを知ることを理解したと表現するのであって、結果だけを知ることは理解したことではない。理解せずして努力の成果は望めないし、向上心や意欲も湧いてこない。個人にとって理解する能力を培うことは、自己の活力を増すことであり、社会にとっては、土着文化の成り立ちの理解を深めることである。国際間では土着文化を理解し合うことが協力の第一歩である。

3.異民族との協力

 私はこれまでに111ヵ国を訪れ、地球上にはいろいろな民族がそれぞれ特徴ある生活文化を培って社会を営んでいることを知った。すべて理解できたとは思えないが、日本とは異なっていることを知ることによって、日本の特質を少々理解できたように思える。

 ところで、地球上のいろいろな民族を同じ生活文化に統一することは、大変な犠牲と努力を払ったとしても不可能である。それよりも、異民族の特徴を認め合うことの方が容易で可能性があるように思える。

 いろいろな民族がお互いの特徴を主張し合い、社会を営むために必要な最少の共通性は何かを話し合えば、お互いの文化の特徴の成り立ちを理解することができよう。そのためには、青少年時代から土着文化の経過と関連性を深く理解することが望まれる。

 異民族の文化の成り立ちも知らずして、単に言葉が通じたり、握手して笑い合ったり、交友や交流が盛んだからお互いに理解できると思うのは、主観的な錯覚のような現象で、社会環境が変化すれば価値観が変ってしまう。まず、相手の生活文化の特質を理解し、その存在を尊重する人間性を培うことが重要。そのためには、自分たちの特質を知っていなければならない。その上で話し合いによって協力し合うことが、今後の世界情勢の中では望まれよう。しかし、異民族間の協力、援助は、民族の自主管理能力の高揚を図るためでなければ、社会状況の変化によっては、内政干渉にもなりかねない。

 日本以外の多民族国家では、指導者の交代によって全体が変化する傾向が強い。このような国家には、社会全体の向上を望むよりも、個人又は一部族の向上のためにしか努力しない人が多い。そうした場合には注意しないと、本当の意味の国家間の協力にはなりにくい。今後の世界情勢の中では、お互いの協力なくして発展は望めないので、民族の社会的、文化的特徴を理解する努力が、これからの国際間協力では一層望まれる。

⒋.国際的組織の非支配化

 人類は有史以来国際化を拡大するために、今日に至るまでいろいろな戦争を経験し、いろいろな努力をしてきた。最も多くの試みがなされたのは、自分の国の文化を他に武力によって与え、押し付けた植民地政策である。しかし、その時代はもう終った。他には、積極的に他から文明や文化を吸収する国際化もあった。明治維新以後の日本はその代表例であり、最も成功した例である。今日では、高等な文明の発達によって、地球は物理的に非常に狭くなった。その狭さによる国際化が今進行中である。

 これからの国際化はますます強くなるが、その本質は、各民族の自主管理能力の発展による、吸収型が望まれる。物理的狭さの国際化は、経済力や政治力によって、他民族を無視しがちな結果が生まれそうな気がする。

 国際化による物の豊かさが、社会の活力を失ったり、平和を破壊したり、生活文化や自然環境を破壊してはならない。

 何より青少年教育で、最も警戒しなければならないのは、文明という名を借りて今日もまだ侵略し続けている、宗教と思想の国際化である。

 人類は。国際化の道具にこの宗教と思想を使ってきた。平和と文明の使者として錯覚されたり、政治や権力闘争の道具に使われたり、過去に多くの実例がある。

 今日のいろいろな国際間の紛争は、すべてこの宗教と思想が原因である。そして。平和と文明の名のもとに、国際的組織の拡大が今も続けられているが、決して支配化に役立ててはいけない。国際的組織の非支配化か現実にならない限り、日本が見事成功した、吸収型の自主的国際化は、これ以上望めない。

 地球上のより多くの民族が、宗教や思想の組織化のためではなく、自主管理のもとに吸収型の国際化ができるよう努力している。そのことを理解させることが、今後の青少年教育に最も重要なことである。

     機関誌「野外活動(現:野外文化)」第55号(昭和56年12月15日)巻頭より