防災訓練としての“かち歩き” (平成4年)

防災訓練としての“かち歩き”

1.大人になるための鍛錬

 世界の各地に古くから心身の鍛錬があり、忍耐力や克已心、向上心などを培うためのいろいろな行事があった。

 例えば、日本では、力だめし、相撲、肝試し、遠泳、山登り、綱ひき、和船競漕など。これらは、大人になるための通過儀礼として青少年期に必ず1度は体験することであった。そのため、明治以後の学校教育にも取り入れられ、学校体育として広く普及した。

 しかし、こうした日本の伝統行事は学問的に充分な研究がなされていないままであったため、教育的効果についての認識を深めることはできていなかった。

 そのせいか、戦後の日本では、こうした伝統行事が評価されず、欧米から導人された競技スポーツやㇾクリーションが重視され、学校体育のみならず社会体育までも、画一的なスポーツになってしまった。

 青少年時代に心身を鍛錬しておくことの重要性は、その体験者のみが知っていることなので、大人や親が必要だと思われることは、子どもたちが少々いやがることでも体験させるよう努力することである。さもなければ、社会人の義務と責任を果たしたことにはならない。

 文明がいかに発達しようとも、社会の共通性や心身の忍耐力なくしては、よりよい社会人とはいえない。教育人類学的見地から、高度な文明社会におけるよりよい社会人を育成する、対応策としての鍛錬事業が「かち歩き」なのである。

2.自己鍛錬としてのかち歩き

 『かち歩き』の“かち”は、“徒”と“勝”の同音異義語で、ひらがなで書く。かち歩きとは、長い距離を飲まず、食わずで、飢えや渇きや疲労などの煩悩に打ち克って歩くことである。だから、戦前からある「歩け歩け」とは発祥を異にする。また、ハイキングや遠足、登山などとも目的が少々異なる。ましてや、競技スポーツの1つである競歩とは目的が違う。しかし、歩くという行為では類似している。

 かち歩きは、健康管理、体力維持、持続力向上などもあるが、あくまでも已の煩悩に打ち克って歩く自己鍛錬が目的である。だから、目的地に早く着くことではなく、どのくらいの時間で、どこまで行けるかの自己確認が大事なのである。自分の判断で、これ以上無理だと思えば、途中でやめることも必要なので、自己管理能力が重要。

3、かち歩きのねらい

 集団で行うかち歩き大会には、大まかでも規則が必要。それは、飲まない、食べない、走らない、の3原則と、歩行距離は、15歳以上の正常な人の場合は、25~43キロまでとすることである。これより短いとほとんどの人が渇きや飢え、疲労を味わうことができない。また、これ以上だと、生命が危険な状態になりがちである。

 青少年が大人になるための通過儀礼としての“かち歩き大会”には、次の7つの教育的ねらいがある。

 (1)集団行動の体験

 共通性のある集団の中で、お互いに励まし、助け合ったり、競い合ったりしながら規則を守っての行動。

 (2)距離感の養成

 歩きはじめはウォーミングアップを兼ねて時速5キロで、1~2時間歩くので距離を体感できる。

 (3)判断力と方向感覚の養成

 歩きながら周囲の物を見るのは、判断力や方向感覚を養成する基礎訓練になる。

 (4)体力的自信の養成

 長い距離を歩き通せば体力の自信になる。

 (5)忍耐力の養成

 長い距離を歩くことは、忍耐力、持続力、集中力などを養成する。

 (6)足腰の強化

 長い時間一定の速さで歩き続けると、足腰の筋肉の持続力を増す。

 (7)飢え、渇き、疲労の体験

 飢えや渇きや疲労の体験は、食べ物、飲み物のうまさ、大切さを教えてくれ、文明に麻痺されがちな野性本能を蘇生させてくれる。

4.防災の必要条件

 9月1日の防災日には、防火訓練や簡単な避難訓練など、形式的なことしか行われていないが、必要なのは自己鍛錬ではあるまいか。

 防災とは、地震や台風などの天災によって引き起こされると予想される災害を防止することである。しかし、その後に発生する、人間の不注意などがもとで起こる災害である人災防止も大事なことである。もしも、1ヵ所に5万もの人が集まって水がなければ、10時間もしないうちにパニックが起き、大きな人災になる。

 都会では、天災の後、水や食糧が1日や2日は補給できないことを予想した対応策が必要である。その第1は、集団の60%以上が飢えや渇きの体験があり、集団行動体験のあることである。

 今日の日本では、天災の後に人災が起こりやすいと予想されるので、「かち歩き」は防災の必要条件でもある。

            機関誌「野外文化」第121号(平成4年12月18日)巻頭より