新日本人からの提言(昭和55年)

新日本人からの提言

 防衛論議が盛んであるが、武器戦争だけが恐ろしいのではなく、日本の生活文化に対する間接的な文化的侵略によって社会的衰退を招くことの方が恐ろしい。

1.人類史の中の戦争

 8月はテレビや新聞などで、“戦争物語”をする月だが、今年(昭和55年)はいつもと少しちがっていた。国防や憲法第九条について、戦争を体験している旧日本人たちが、これまでになく、いろいろと論評し合っていた。しかし、戦争を知らない、戦後の民主主義教育を受けた新日本人たちにとっては、社会だとか国の概念が明確に認識されていないので、何を基準に考え、どう判断すればよいのか判明せず、単なるマスコミのニュースショーでしかないし、その具体的な事例には戸惑いすらあった。

 “全世界を敵として戦うという暴挙をあえて行なった軍国日本は、敗戦と全土占領の結果、非軍事化されてしまった。これはいわば天罰である”

 或る著名な旧日本人の論評だが『全世界』とは、かつての欧米諸国の植民地国のことだろうか…。東南アジアや中近東、アフリカの諸国は被植民地国であったわけだが、現地の人々は日本の戦争は暴挙であったとは思っていないし、ましてや『天罰』などという表現は決して使わない。彼らは、1945年以後のアジア・アフリカ諸国の解放及び独立のきっかけが、日本のアジア・太平洋戦争、日本的には大東亜戦争であったことをよく知っている。

 新日本人の1人である私は、欧米だけではなく、アジア・アフリカ諸国もくまなく探訪し、いろいろな人々から人類史を欧米中心だけではなく、全体的に見る必要性を教えられた。

2.祖国愛は大地への信頼から

 平和であることの楽しさ、素晴しさや物質的な豊かさについては、戦争を知らない新日本人よりも、旧日本人の方が、はるかに具体的な事実として認知されていることだろうが、『天罰』と表現したり、いつまでも臭いものには藍をしてアレルギー反応を示したりすることは、新日本人に社会への信頼と自信を喪失させることになる。

 私たち、昭和20年代に小学校に入学した新日本人の最初の世代は、入学以来、いやというほど懺悔教育を受け、祖国と自信喪失の不安と不満が胸いっぱい詰っている。そのことによって、文化的な土着性に欠け、精神的放浪者の自由と平等を根底とする個人主義を身につけているわけだが、それがかえって不幸になるのではないかと、気になり始めている。

 世界中、どこの国を訪れても、庶民は自分の大地を信じ、自信と誇りに支えられて社会生活を営んでいる。中には大地を捨て去る者もあるが、それは少数。だから自分たちの過去を批判し、改善することはしても、否定することはしないのが普通だ。

 主義や思想が文明の高度化に適応しきれなくなって、修正をやむなくされるように、戦争という、領土と生命を奪う軍事的な行為だけが恐ろしいのではなくなってきている。それよりも、巨大な政治力や経済力の間接的な侵略によって、地域社会の生活文化を破壊し、価値観や人生観の基準をなくして、社会生活の意欲や自信を喪失させられることの方が恐ろしいことなのだ。

 いかなる文明の利器によっても大自然を変えることは不可能。大地と共に培われてきた生活文化の本質を、文明によってかえられると錯覚した民族は、すでに精神的放浪の民なのである。

3.日本文化の衰退

“日本にできて、アメリカができないのは何故か”

 本年8月下旬、アメリカのテレビ番組をNHKで紹介していた。アメリカ至上主義の教育を受けた私には、信じられない思いと痛快な気持ちとがないまぜに、興奮状態で画像を追い、アナウンサーの声に聞き耳を立てた。

 アメリカの自動車業界が、日本のメーカーとの競争に負け、経済的不況から失業者が続出し、大きな社会問題になっているとのことだが、何でもアメリカの真似をする現在の日本では対岸の火事ではない。しかし、多民族国家の物量主義に麻痺したアメリカ社会に、何かの“非”があったことは否定できない。人間の偉大さは、努力と工夫を絶えず繰り返すことのはずだが、もしかすると、アメリカはそれを忘れていたのではないだろうか。とすると、豊かさと強さを誇ったアメリカの社会と人間の質が、日本よりも優れていたという確証はなくなったわけだ。

 「アメリカ人はタバコのつり銭をよく間違える」

 「アメリカ人は手先が不器用だ」

 「アメリカ人は足腰が弱い」

 「アメリカ人はあまり働かないで、楽しむことばかり考えている」

 「アメリカ人は四歳にして独立心を持ち、他人をあまり信用しない」

 「アメリカ人は自分の“非”を認めないで主張ばかりする」

 旧日本人たちは、アメリカ人に対するコンプレックスのせいか、優越感を誇示するかのように、昭和20年から30年代にかけて、私たちによくこんな話をしてくれた。ところが、今日(昭和59年)の新日本人が、そっくりそのまま同じ表現をされるようになっている。旧日本人たちは、一体いかような新日本人を育てようとしていたのだろうか……。今のアメリカ人は、旧日本人たちの努力と工夫によって発展した日本を見習おうとしているのだが、これからは、アメリカナイズされた新日本人が、ますます多くなる。

4.社会の敵は内にあり

 社会の敵は外にばかりあるのではない。長い人類史をひもといてみると、殆んどが、内部の衰退によって外の敵を招いたものである。日本の場合は、アメリカの政策的意図かあったようだが、戦後35年にして、土着性の喪失による社会的衰退の傾向がみえ始めた。

 今日の日本が最も気をつけなければならないことは、軍備を拡大して外敵に備えるよりも、内部の社会的衰退を招くことだ。

 資源のない日本の豊かさは、アメリカの支援もさることながら、敗戦によっても消滅しきれなかった日本文化の特徴がいかされたことにもよる。政策的に否定を強いられてきた日本文化の継承には、世界的視野の見識と洞察力のある政冶家が必要。

 もし、本当に日本の安全と社会的衰退を心配するならば、たとえ憲法であったとしても、たえず討議し、論争して、必要ならば改革、改善を加えるのが自然ではないだろうか……。外圧がなければ、こけのむすまで守り通すことの好きな国民性なのかも知れないが、かつての勅命を盲信したと同じように、硬直状態では万民の納得が得られず、砂上の楼閣になる恐れがある。

 物質的な豊かさのみにあぐらをかいていると、イギリスやアメリカが社会の内部衰退という思わぬ身近な伏兵によって衰退したと同じ道を、日本もまた進まざるをえなくなる。

     機関誌「野外活動(現:野外文化)」第48号(昭和55年10月25日)巻頭より