少年教育の基本は予防対応 (平成26年)

少年教育の基本は予防対応

1.いじめ・非行等はなくならない

 人間が社会的動物である限り、争いや不和は起こり得る。ましてや未熟な子どもの世界では、いじめやけんか、そして非行等は起こり得ることである。

 だからこそ、学校教育も社会教育も、それらを未然に防いで、より良い元気な社会人を育成する予防対応として必要なのである。

 まだ未熟な少年期の子どもは、動物的本能に従って利己的になり、集団になるとどうしても誤解や不快感から、いじめやけんか、それに未熟故の同調し難い反抗心から非行に走りやすい。

 しかし、子どもの心理的状態のまま大人になると、より安全で平和な、安定した社会を営むことができないので、知恵のある大人が、予防的に協力・協調や利他的な心を培い、育む少年教育を仕掛けることが必要なのである。

 一般的には、少年期の子どもの単純ないじめや非行は、より良い社会的大人になるための登竜門でもあるので、それらの体験をせずに成長すると、守られる立場のひ弱な社会人になりがちだ。

2.結果対応では効果は弱い

 少年期の子どもの世界では、いじめや非行がおこりがちであることを知っている大人は、子ども時代に少しでも利他的精神を培わせるために、いろいろな機会と場を与えてきた。それは、信頼社会であった日本では、家庭や地域社会で行なわれてきた、社会人準備教育としての他を見習う、見習い体験的学習活動であった。

 日本のような信頼社会では人間の絆や信頼心が強く、起こる前の予防的対応が重視されるが、欧米や中国等のような多民族・多文化の不信社会では、共通性が少なく、絆や信頼心が弱いので、起こった結果に対応する策が重要で、社会的な予防的対応策が取り難い。

 欧米的な価値観に同調しがちな今日の日本では、いじめや非行、自殺、登校拒否、そして今問題になっているネット中毒等に負けないようにする予防的対応策よりも、起こっている結果に座学的知識によって対応しがちである。

 本来の日本は予防対応的で大人の知恵が活用されていたが、今日では文献学者の結果対応の座学的な理論が優先し、子どもが王子・王女のようになりがちで、孤立して大人になるための準備教育がなされていない。

3.今も必要な大人の知恵

 社会が発展するための知識・技能等の情報文明は、日進月歩で止まることを知らないが、日常生活を安心・安全に暮らすために必要な生活文化は、急に変わるものではない。

 いつの時代にも必要な社会人準備教育は、大人が日常的に親しんでいる生活態度や価値観を伝えることである。その方法の1つとして古代から行なわれてきたのが、「見習い体験的学習活動」であった。

 子どもが一人前になると親になり、親が一人前になると祖父母になると言われているが、生活文化の伝承は隔世伝承で、祖父母から孫の世代へ伝承されがちである。

 戦後の日本は核家族化し、祖父母と孫の世代が断絶しがちで、日本の生活文化が伝承されなくなっている。親は単なる知識や技術は伝えられても、生活文化を伝えるだけの知恵がまだ十分備わってはいない。

 今日の子どもたちは、言葉や活字、視聴覚機器等による知識の伝達をされているだけなので、生活文化を体験的に身につけることができず、なかなか大人になれない状態にある。

 そこで、これからも、社会が安定・継続するためには、座学的知識よりも、何十年も現場で生き続けて来た大人、特に老人の知恵としての言行動か必要なことに変わりはない。

4.予防対応としての見習い体験的学習活動

 人間本来の「教育」とは、人間性を豊かに培って、生活と労働の準備をすることであり、社会生活を楽しく元気に過ごせる人を育てることである。

 その方法として、日本では古くから見習い体験的学習活動や自己鍛練等があった。ここでの「自己鍛練」とは、日本の人間教育的用語で、心身を鍛練して人間性を豊かに培い、自分自身を高めることである。これは欧米のキリスト教文化圏ではあまり重視されていないことで、日本の特徴的文化でもある。

 社会人準備教育としての少年教育の基本は、いつでもどこでも予防対応が重要で、社会的無責任が作り出す結果対応になってはいけない。

 いつの時代にも起こり得る子どもたちのいじめや非行等が、陰湿にならないようにする予防対応の策は、少年期に長期的集団活動のできる見習い体験的学習活動の機会と場を与えて、自炊等による共同宿泊生活としての、「生活体験」をさせることが最も効果的である。

            機関誌「野外文化」第214号(平成26年4月22日)巻頭より