公教育に必要な生活体験(平成18年)

公教育に必要な生活体

1.人類未経験の社会

 “必要は発明の母”と言われてきたが、人類は多くを創造してきた。例えば照明、電気、電子、電波、汽車や電車、自動車、船、飛行機、ロケット、その他諸々の化学物質や医薬品、医療器具等、数え切れない程沢山ある。

 それら科学的技術による文明諸器具が、日常生活に及ぼす影響は大きく、社会的現象の変化は想像を絶する速さであり、人間の社会的あり方が不明で、子どもたちへの人間教育が対応しきれていない。

 闇を征した照明器具、時間や空間を征した電子頭脳、社会的価値観を征した貨幣、移動の困難を征した乗り物等、必要性が生み出した多くのことが、これまでの社会性や人間性を狂わせ、多くの人が対応に迷っている。

 特に、電子頭脳の発展は日進月歩で、社会生活への影響力が大きく、不安定な心理状態を生じさせている。そして、自信の持てない大人たちは、受動的に対応することがやっとのことで、子どもたちへの人間教育については、まだ配慮が足りない状態である。

 しかし、われわれ日本人は、65億もの人類が生活する地球が、いかに広くても、科学的文明が日本ほど画一的に浸透している国は、他にないことを認識すべきである。

 物が豊かで、安定した科学的文明社会は、日本の他にはどこにもない事実を認識しない限り、人類が経験したことのない新しい社会に対応する人間教育、すなわち社会人準備教育の必要性が、自主的に芽生えてはこない。

 これからの日本人は、後を追いかけてくる国の人々のためにも、人類未経験の科学的文明社会に対応する、少年期の人間教育のあり方を発見、発明する努力をし、産みの苦しみをしなければならない。

2.科学的文明社会への対応

 これまでの人類は、社会生活や教育のあり方、その他全てのことが、社会発展のためにあった。今もまだ、その必要に迫られている国は多い。

 しかし日本のように、科学的文明が画一的に浸透している豊かな社会では、かえって人間性や社会性の発展が阻害されがちになって、文明化の意義とあり方の再確認が必要になっている。

 古代から発展的思考によって生きてきた人類が、今やっと、安定的・継続的思考の重要性に気づき始めている。特に日本では、情報文明社会に生まれ育つ子どもたちが、成長過程において、個人的、刹那的、虚無的発想の生活観を身につけて、ニートやフリーターと呼ばれる、非社会的な若者が多くなっている。このような非社会的な人が多くなる現象には、これまでの教科教育を中心とする教育観では対応しきれない。

 人間の本質は、今も100年前や1000年前とあまり変わっていない。特に幼少時代の子どもは、変わることのない動物的人間である。

 変わらない子どもの本質を、科学的文明社会に対応する生活の知恵を身につけた、社会的人間に成長させる対応策が、新しい教育観による人間教育、すなわち社会人準備教育には必要なのである。

3.生活者の育成

 いつの時代にも、大人は子どもたちに、まず自然と共に生きるに必要な生活文化を伝えた。そのことからすると、教育の目的は、生活者を育成することであった。

 ところが人口が増加して、文化が複雑化し、文明が発展すると、物事に対応する知識や技能が要求されるようになった。特に日本では、明治5年に学校教育制度が導入され、近代的産業化の進んだ欧米に追いつけ追い越せ式の、知識や技能である学力が重視されることになった。

 そのため、これまでの日本の教育では、生きるに必要な生活の知恵、すなわち生活文化の伝承が無視され、新しいことに対応する知識や技能の習得、すなわち学力中心に考えられていた。

 しかし、これからの日本に最も必要な公教育の目的は、社会意識を身につけた生活者を育成することである。

4.社会人準備教育としての生活体

 生きる力を身につける人間教育に最も重要なことは、自然と共に生きてきた伝統的な生活文化の伝承が基本である。

 科学技術がどのように発展し、豊かな社会になったとしても、生活者の知恵である生活文化を身につけていなければ、安心感のもてるよりよい社会人にはなれない。

 社会人準備教育の基本は、自然なる産物を料理して食べる、生活の知恵を身につけさせることだが、それらを言葉や文字、視聴覚機器によって教え、伝えることは困難である。

 これからの高度に発展した、豊かな科学的文明社会に生まれ育つ子どもたちを、より効果的に人間教育する、社会人準備教育としての公教育には、10~13歳の間に5日から12日間の、自炊による共同宿泊生活をする、1~2度の生活体験が必要である。

           機関誌「野外文化 」第191号(平成18年10月24日)巻頭より