自然災害は人間を鍛える(平成23年)

自然災害は人間を鍛える

1.自然災害は万民共

 地球上に約70億人が、193の地域や国に分かれて暮らしている。これらの国や地域によって自然災害のあり方は異なるが、地震・雷・火事・津波・火山・台風・竜巻・洪水・乾燥・高温・寒気・生物の異常発生、異常気象等、非日常的な畏怖的自然現象は、人間の心身の安全にとっては害である。

 しかし、このような自然災害は、大小にかかわらず万民が共通して体験することで、人類の敵ではなく、生き方や考え方等をいろいろ工夫させてくれ、苦難を乗り越えてよりよい

社会を築く知恵を与えてくれる、なくてはならない神・又は仲間のようなことだ。

 もしも、自然災害がなかったなら、人類は驕り高ぶって自滅し、ここまで生き長らえて、社会的発展を遂げることはできなかった。

 いずれにしても、人間はこのような特徴的自然現象に対応して、より安全に、しかも安定・継続するための努力、工夫を重ねて乗り越える知恵である生活文化を培ってきた。その特徴的な生活文化を共有する人々の集団が民族であり、政治的統合体が国である。

2.畏敬の念を忘れる人類

 不可思議な自然現象は、神秘的で畏敬の念にかられ、苦境にあっても天(自然)を恨まず、諦めと許しの覚悟が芽生える。日本では、昔から恐い物は地震・雷・火事・親爺と言われてきたが、“喉元過ぎれば熱さを忘れる”がごとく、人間は恐ろしいことや苦しい経験でも、過ぎ去るとすっかり忘れてしまうのが普通である。

 しかし、人間に恐い物がなくなると自己中心的になる。その上、安全で、平和で、豊かな自由主義社会になると、非社会的で利己的になりがちだ。

 今日の科学的文明社会では、世界的に利己主義や唯物主義が蔓延し、自分勝手で驕り高ぶる人が多くなっている。

 時々発生する白然災害は、そうした人間に、ひ弱で無力なことを知らしめ、自己を見つめ直す機会と場を与えてくれる。そして、1人ではどうにもならず、謙虚な気持ちでお互いに助け合い、協力し合って困難から脱出しようと努力・工夫させられる。

 自然災害は、驕り高ぶる人間を戒め、諭し、畏敬の念を起こさせ、他者と協力し合い、愛し合い、絆を大切にする信頼的共同体を創るきっかけとなってきた。

3.災害に負けた民族は衰亡する。

 国の成り立ちは、自然・人・社会的遺産の三要素によるが、どのような時にも、自然との共生を忘れては国が成り立たない。

 災害には、人が起こす戦争や事故等の人災と、自然の異常現象である天災がある。人災には恨みつらみや怒りがついて回り、責任問題が尾を引き、天災には恨みつらみがなく、許しと諦めがある。

 人災も天災も、起こってしまったら同じ災害である。いずれにしても社会の動揺が長引いたり、感傷的になりすぎたりして災害に負けてしまえば、民族や国は衰亡する。

 大きな災害に見舞われた今日の日本で起こっているもう1つの珍しい災害は、社会意識や覇気が弱い男女の未婚率の上昇が止まらず、人口減少が続いていることである。

 しかし、人災による社会意識の弱い利己的な男女は、お節介おばさんでもいないかぎり相手を決められないし、結婚して子作りの義務感もないだろう。

 いつの時代にも、災害は想定外の事態なので、統治者は迅速に対応する新たな規則作りが必要だ。

 人類はこれまでの長い歴史上、災害に負けた多くの民族が、古里を追われたり、路頭に迷ったりして衰亡してきた。

⒋.自然の用意した人間教育

 自然は人間にとって衣食住のすべてであり、神であり、仲間なのだ。その自然の戒めである災害のおかげで、私たち人間は賢くなり、平和で豊かな社会を発展させる知恵と力を培ってきた。

 だから、災害の多い国の人々は、逞しくておおらかで、絶えず前を向いて歩み、気候変動による自然の脅威にも、仲間に敬意を払って乗り越えてきた。

 そのことを忘れて、人災による弱者の立場で単純に助けを乞うようになっては立ち上がれない。頑張れと言われなくても、各自が頑張らないと全体が衰亡する。天災と人災に見

舞われた日本は、まずは何よりも社会意識を向上させる教育から復興を図ることだ。

 季節によってあらゆる物を恵んでくれる自然と共に生きてきた我々日本人が、この度の災害を自然の用意した学びの機会と場にして、不便や不足、不安等に負けることなく、更によい、安全で豊かな愛や絆の強い共同体を創ることができれば、人類にとっては、新しい生き方、あり方への大転換になる。

 私たち人間は、災害に負けないため、普段から心がけていることが大事だ。それは、社会の後継者である少年としての子どもたちに、日常生活で最を必要な生活文化をしっかり伝えることだ。

            機関誌「野外文化 」第206号(平成23年8月30日)巻頭より