コロナウィルスと共に生きる(令和2年)

コロナウィルスと共に生きる

1.生き物は常時戦場

 生き物には、植物のような独立栄養体と、有機物を体外から取り入れて生きる動物のような間接栄養体がある。

 いずれにしても、生命ある物が生きるには、絶えず自然的(気温・乾燥・嵐など)、社会的(戦争・窃盗・詐欺)、生物的(各種ウィルス・各種動物・体内外の障害など)災害との戦いに勝ち抜かなければ、生き続けることはできない。

 私たち人間は、意識する、しないは別にして、生まれてから死ぬまでの間、あらゆる物への抵抗、戦いを続けているので、生きている以上、常時戦場に立たされている。

 今日地球上に生きている人間は、古代からあらゆる災害に対して抵抗力があり、戦い抜いて生き残った、生命力、抵抗力の強い人類の子孫なのである。

 生き物である人間は、今も、各種災害を恐れるのではなく、災害に抵抗する力をつけて、勝ち抜く知恵としての文化を培い、広めていくことが必要。

2.ウィルスは生き物

 ウィルスとは、普通の顕微鏡では見えないほどの微生物で、インフルエンザや天然痘結核などの病原体でもあり、ある一種の細菌である。細菌は、植物に属する単細胞微生物で、他の物に寄生して発酵や腐敗作用を起し、病原となるものもある。ギリシヤ語では、バクテリアとも呼ばれている。

 ウィルスは、細菌であり、バクテリアであるが、いずれにしても微生物で生き物である。

 令和元年12月に中国の武漢で発生した、新型コロナウィルスは、何かの動物に寄生していたのか、人工的に変化させられたのか、それとも自然現象的に変化して悪性化し、伝染力を強めたのか分からないが、人間にも寄生するようになった。

 ウィルスは生き物なので、人間に寄生するようになった以上、インフルエンザや結核菌と同じように、簡単には死滅しないで、徐々に人間と共に生きるように変化するだろうし、人間もコロナウィルスに対して抗体か生じ、抵抗力をつけて生き続けられるようになるだろう。さもなければ、人間はウィルスと共に死滅することになる。

3.オンライン化する社会

 人類は、あらゆる災害に対応して生き残り、なるべく長く生き続けられるように、いろいろな工夫、努力をなし、今日の豊かな科学的文明社会を作り上げてきた。

 今回のコロナウィルスの感染拡大によって、一層科学的技術を発展させ、ITやAIなどによって、オンライン化やテレワークがますます進化することになる。

 オンライン化やテレワーク化は、合理的で効率良く目的を達せられるので、経済的活動を中心に考えると、発展的在り方であり、明るい未来像のように思える。

 しかし、社会生活の点からすると、人間を孤立化させる危険性があり、オンライン学習やテレワークは、人間疎外になりがちになる。SNSなどは個人的には便利なのだが、社会的には不都合が生じ、利己的社会になりがちになる。今だけ、金だけ、自分だけの利己的社会は、心理的には不安定で、日常生活において、社会的対応が困難になる。

4.社会化を促す教育

 人類は、安全・安心が守られるなら、利己的に生きるのが理想的である。そのため、理屈をこねる知識者は個人主義を主張、絶賛するが、現実的に社会生活を営む人間は、個人的には守り切れないことが多いし、不安がつきまとう。日常生活の安全・安心は、心理的なことなので、金や物だけでは保障されない。

 人間の安全・安心に最も必要なことは、他との生活文化の共有である。言葉、風習、道徳心、生活力などの生活文化を共有することが、より良く生き抜く力であり、方法なのである。

 オンライン学習は科学的であるが、人間的ではない。教育は効率よく知識を伝えるだけではなく、社会的人間としての生き方もつたえることか必要。

 人間には食欲、性欲、集団欲等のような本能的な欲望があるが、食欲は食べることによって、性欲は異性と交わることによって、集団欲は群がることによって満たされる。

 人間は、集団欲が満たされないと、言葉の理解力は身につくが、言葉を話す表現力が悪く、攻撃的な性格になりがちで、行動も無統制になりがちだといわれている。

 社会化の原点は家族の絆。家族は、祖父母、両親、子供と縦のつながりで成り立っており、閉じた世界ではない。家族が生活を共にする家庭は、子どもにとっては社会化を促す身近な人間教育の場である。

 これからのオンライン化やテレワークの進む社会での教育は、人間各自が持っている固有の権利である人権よりも先に、考え方や行動に反映する社会化に必要な人格を培うことが重要である。 

            機関誌「野外文化」第230号(令和2年10月20日)巻頭より