知恵者たちの青少年教育(平成8年)

知恵者たちの青少年教育

1.文明社会の諸現象

 自然とともに生きてきた私たち人類は、より豊かに、安全に、幸せに生活するために、いろいろな道具を生み出してきた。ところが、その文明器具が、私たちの価値観や生活観・行動様式にまで大きな影響を及ぼすようになってきた。

 文明器具の洪水によって、心や身体が蝕まれるようになってしまっては、文明化の意味を失うことになる。

 文明化の象徴として機械化・合理化・消費化が浸透した。そしてその結果文明人たちは、なるべく身体を動かさないで目的を果たせるような合理的な生き方を好むようになった。そのせいか、利己的、刹那的、欲望的で社会性が乏しく、ストレスに悩む人が多くなった。それは、社会人の基本的能力未発達性症候群的現象でもある。

 利己的な人々が集う社会は、中性化・幼稚化・金権化・ボーダレス化等が進み、刹那的で欲望的となり、汚職や犯罪の多い弱肉強食の不安定社会となる。

 今日こうした文明的社会の諸現象の中で生まれ育った子どもたちは、いじめや登校拒否、非行や暴力、アレルギー等の度が強くなり、心身のバランスを失いがちになっている。

2.知識者の対処主義

 文明的社会の多くの知識者たちは、諸々の社会現象の対応策に安易な対処療法を考える。まるで“木を見て森を見ず”的な悪い部分を切り取るか、隠してしまうような対応策では、根本的な解決にはなり得ない。

 例えば、いじめ防止に小学校にカウンセラーを置いたり、選挙の投票率を上げたりするための若者たちへの対策などは、青少年教育の目的を見失った安易な処置でしかない。大切なことは、子どもの心身を強くし、若者の社会意識を高めるための予防療法だ。

 青少年の育成は、短期間にできるものではない。理屈ではなく、日常生活の中に、よりよい社会人に育つ種が蒔かれるものなのだ。15歳の少年少女は10年以上の日々の生活が、25歳の若者は20年以上の日々の生活が積み重ねられている。15歳や25歳になって急に対応するのでは、学者たちの調査・研究した資料による画一的対処でしかない。

3.知恵者の予防療法

 人は生まれながらにして文化や文明を身につけているわけではなく、日々の学習と訓練によって、よりよい社会人に育っていく。

 今日社会問題になっているいじめ、登校拒否・非行・暴力等は、古代から変わらないごく当り前の子ども社会の現象である。

 しかし、このような現象かそのまま青壮年社会にまで広がると社会が安全に維持しにくくなる。そこで経験豊かな大人である知恵者たちが、予防療法として、4~5歳から20歳頃までに、さまざまな対応策を施してきた。それが、幼少年時代に家庭中心に行なう“しつけ”と呼ばれる習慣的能力の養成であり、青少年時代に地域社会中心に行なう、“素養”と呼ばれる精神的能力の養成であった。それらの大半は、異年齢集団で行なわれる体験的学習によって身につくものである。

 知恵者は、ものごとの経過を大切にし、結果を洞察する力をもっている。10歳の少年が20歳や40歳になった時のために、今何をなすべきかを伝えることのできる人こそ知恵者なのだ。それを考えずに対処する人は知識者でしかない。知恵者の青少年教育は、「先憂後楽」的な予防療法で、発達段階にふさわしい体験的学習、すなわち野外文化教育なのである。

4.明るく・楽しく生きるために

 私たちは、人生を面白く、楽しく意義深く暮したい。より健康で、明るく、楽しく、安心して、快活に生活するためにより多くを学び、より良く働く。

 しかし、そのためには忍耐力、努力、工夫が必要。しかも、厳しさのないところには楽しみも、面白味も持続させることはできない。

 私たちにとって、考えることは容易だが、行動することは苦難が多く、結果を確認することは一層つらくて厳しい。“なすことによって学ぶ”ことは、過去、現在、未来いかなるときにもごく当り前のことである。

 明暗や苦楽は対をなすことによって、その価値が分かるように、努力して学び、苦労して働く厳しさの中でこそ、本当の楽しさや喜びを発見することができる。

 人材不況といわれる今日の社会現象は、私たちがこれまでの人類の英知を忘れ、あまりにも短絡的に、しかも安易に、物欲の虜になった結果である。

 古代より続けられてきた社会の後継者づくりである青少年教育は、より明るく、楽しく、安心して生きるための努力と工夫の賜物であった。

           機関誌「野外文化」第145号(平成8年12月20日)巻頭より