母系社会の男たち(昭和56年)

母系社会の男たち

 女性が親族集団の成員権や財産の所有権をもつ母系社会では、社会の管理や監督権は男性にゆだねられている。

1.男女関係の不安定な社会

 野性動物の殆どが母親を中心とする社会生活を営んでいる。人間も決してその例外ではなく、インド東北部、メガラヤ州のカシ族は女性中心的な母系社会である。

 カシ族の社会では、親族集団の成員権や財産所有権は母親にあり、その継承権は末娘にあるので、男たちは他家の女性と結婚して生家を出る。末娘以外の女は結婚すると生家を出るが、親が近くに家を建て与えるので遠くへは行かない。

 婚姻は、男が女側に同居することだが、男には婚家の成員権や財産の監督権はなく、生家の姉妹の家族集団の成員権と財産の監督権がある。この監督権は、兄弟から姉妹の息子へと継承される。だから、男は結婚後も生家の方が居心地よく、たえず訪れるので、子供は父親よりも、母方の“おじ”に親近感を持つ。

 一般的に、男は夫や父親という家族関係に重要性が弱く、いつまでも母系集団に深く関りをもち、おじさんの社会的監督権が強いので、妻との関係が非常に不安定な状態である。

 同族結婚か厳禁されているカシ族の母系社会では、親族集団構成員は、母系子孫の四世代までとなっているので、婚姻を結ぶのはこの親族集団以外の者である。男女関係は女の同意があれば成立するが、結婚の決定権は母親にあり仲介役は生家のおじさんである。

2.女に権利を与える

 私か訪れたサングリアン家の女家長は78歳のツイナさん。彼女は客である私の手を握り親しげに挨拶した。孫娘の夫ローインさんは、彼女が出てくると部屋の片隅に座った。サングリアン家では、彼女の同意なくしては何ごとも始まらない。

 「どうして女性が男性よりも強いのですか」

 私はローインさんに尋ねた。「女性は男性よりも弱いからです」

 彼はごくあたりまえに答える。

 「弱いから権利を与えるのですか」

 「そうです。その通りです。しかし、本当は強いのです。女性は男性よりも神秘的な力を持っていますし、強い男を産むではありませんか」

 彼は、男が女に権利を与え、男はその女のために生きるのだという。彼のいう女性の神秘的な力というのは、女性の生殖能力のことである。人間にとって、新しい生命を生みだす女性の繁殖力と母性愛は絶大である。

 “弱き者、汝の名は女なり”という体力的な差のある自然界で、男と女が平等に生活するためには女に社会的な権利があり、男に自由な行動がある方がよいのかもしれない。

 メガラヤの母系社会を単純に表現すると、男たちが女に権利と義務を与え、自分たちの作ったルールに従って社会生活を動物的に営んでいるともいえる。

 これは、社会的に強い女性と、腕力の強い男性の和合した、女性崇拝の象徴的母系社会であり、母親を中心とするおじさんの後見社会でもある。

3.男たちの放浪

 結婚は、男が女の家に住みつくことであるので、娘がいないと姉妹や親戚の娘を養女にするが、男を養子にすることはない。

 ローインさんは、12年前、18歳のマエルさんのいるサングリアン家の仕事を手伝っているうちに、彼女の同意が得られて同棲し、すでに3人の子供がいる。妻の妹のツリナさんも、末娘ミルダさんも結婚した。同年輩の男が3人いても仕事はないし、居づらいので彼は家を出た。だいたい、男たちはよく他の村に出稼ぎに行くし、生家に戻るので、1、2カ月やそれ以上もの長い旅に出ることが多い。

 サングリアン家の家族は子供をいれて14名。ところが父親のノルシ(60歳)と次女の夫プラバツ(30歳)が遠くへ行って家にはいなかった。祖父は死んだので、同居者は末娘の夫一人である。だから私が女の多いサングリアン家に同居していると2人はまだ若いので、いつも女性に見られているような気がした。

 ローインさんもそうだが、男は他の家を訪れて話し込むとなかなか腰をあげないし、生家に戻ると何日間も滞在する。男がよく婚家を出るのは、旅をするだけではなく姉妹のために野良仕事をするからでもある。

 女は、兄弟がいないと男手がなくて一生辛い思いをする。夫がいても離縁すれば他人である。女にとって夫は、単なる労働者であり、夜の相手であることが中心で、一家の内部事情には通じていない部外者である。

 土地か開墾され、田畑が多くなると、女たちは自分の所有地なのでせっせと農作業に従事して収穫をあげるために努力するが、男には自分の管理する田畑はあっても所有地はないので、労働に自主性が乏しい。家を守る女よりも、自由に行動する男の方がはるかに行動範囲が広い。己を鍛えるためによく放浪の旅をし、村や女を守るために、思い残すことなく戦って死んだのかもしれない。

4.母親への回帰

 人が死んで火葬に伏されるのは早くて死後数日、遅いと風葬されて数年後にもなる。

 火葬された骨は、まず“マウスヤ”と呼ばれる第一の墓に安置される。そして、5~10年後にもう一度火葬され、“モバ”と呼ばれる第二の墓に移される。女の場合はモバで先祖たちと共に安らかに永眠できると思われているが、男の場合はまだ安らかに永眠できず、魂が母を求めてさまよっているといわれる。だから、モバに安置された骨を、男の姉妹や母方の姪がもらい受けにきて、生家に持って帰る。そして、母方の親族が集まって再び火葬に伏す。

 3度も焼かれた男の骨は、母方の直系の先祖たちのいる大地に安置される。その場所をペッバ(母の家)と呼ぶ。

 男は死後の世界でも生地の母のもとに帰ることによって、魂が永遠の安住を約束されるという。

 女性崇拝の母系社会においては、男と女の愛ははかなく、不確実なもので、母と子という関係こそが永遠であり、男は最後には母親のもとへ帰ると信じられているが、欧米などの文明社会には、どういうわけか父系的な社会が一般化していて、男と女の愛が永遠のものとされている。

      機関誌「野外活動(現:野外文化)第53号(昭和56年8月26日)巻頭より