『平成改革』のすすめ(平成3年)

『平成の改革』のすすめ

 日本は、明治維新以来欧米化の波に洗われて和洋折衷の文化・文明をつくり上げ、世界にも例を見ない画一的な統一国家を形成してきた。しかし、第二次世界大戦以後は、アメリカナイズの傾向があまりにも強く、個の権利を主張する民主社会の名の下に、価値観や生活態度の基準をも失ってきた。そして、自然感の乏しい工業立国に邁進し、世界の工場となったが、徐々に社会の内部衰退によるかげりが現われ、今では豊かな管理社会が極まった感がある。そして、教育も政治も、経済も社会目的を少なからず失っている。日本はあたかも大海を漂流する船のごとく、航海することのみに全力を尽くしてきたかのような印象を残している。しかし、今や単なる政治論、教育論、経済論ではなく、生活者としての根底を確立する個々の日常的改革の実践か必要となっている。

 「昭和」という、文化と文明の激変した時代をやりすごし、工業化の極まった日本は、今や伝統文化の再認識にせまられ、新しい生活文化の創造にとりかかる平成の時を迎えている。これまでの営利追及の時代は終り、日常的な生活レベルでの豊かさとゆとりを求める時代に突入した。それは、大海を安全に航海するために船そのものを改造し、船員の質を高め、条件をよくして、寄港地で富と恵みを分ち合いながら目的地に向うがごときことなのである。

 平成もすでに3年を過ぎようとしているが、これからは単に天下国家を論ずるより、生活者として、1人1人が社会を維持していく気概と知恵をもち、ごく身近なことを具体的に改善することが必要。

 統一国家としての明治維新は、多くの人々の犠牲によって成就したが、国際化における豊かな文明国日本の平成時代の改革は、多くの人々の見識によってなされるべきである。

 歴史はいろいろな社会現象を見せてくれたが、いつの時代も社会か悪いのではなく、人々の心の中に問題かあると思われる。大切なのは、個々の人がしっかりした考えや見識をもつことだ。

 昭和の後半から、経済活動を中心とした“国際化”という美名の下に、日本人の共通性を弱め、社会人としての基本的能力(野外文化)を培う機会と場を失って、本来の見識を高めようとはしなかった。共通性の多い個の集団が社会であり、民族集団や国家なのであるから、共通性の少ない個の集団は社会であっても、民族集団や国家とはいい難い。より高い見識は、伝統文化の保存と開発のバランスのとれた生活者の知恵なのではあるまいか。そして、これからは、見識のあるしっかりした個の集団である社会が望まれている。

 昭和の時代に破壊された伝統や規範を、ゆるやかに回復し、1人1人の見識である基木的能力を高めるのが、平成の改革である。その1つの例が学校教育における「生活科」や「週五日制」である。

 運命共同体としての地域社会の人々が、長い人生を健康で快活に生き抜く生命力と、社会人としての基本的能力を培う野外文化活動の機会と場を、幼少年時代から日常的に与えてやることが、平成の改革の原点なのである。そして手段や方法が目的化している今日の教育が、自然と共に生きる力と人間らしさを身につける、初歩的なことの重要性の認識こそ、平成の改革の第一歩となる。

 “歴史は人をつくり 人は改革の歴史をつくる”

 昭和から続いている惰性を、平成の時代に生活者の一人一人が身近なところから改善すれば、積り積って平成の大改革になる。

“人は行動の後に知識を渇望し 自らの見識を高める″

           平成3年12月20日発行 機関誌「野外文化」第115号巻頭より