40・50代からの教育改革(平成9年)

40・50代からの教育改革

1.民主教育50年

 戦後の民主教育が始まったのは、昭和22(1947)年4月であった。その年に小学校に入学した私は、新しい教科書の最初に書かれていた、“みんなよいこ、ぼくもあなたもみんなよいこ”を大きな声で読んだ。

 それからすでに50年の歳月が流れようとしている。いろいろなことがあったが、日本は今や、欧米諸国に追いつけ、追い越せの集団的目標を達成し、物質的には豊かな社会になった。しかし、夢や希望を持てない人が多くなり、個人も国家も目標を失って混沌の時代になった。

 半世紀もの間、学校中心になされた民主教育の理想は、良い子のみんなで仲良くやろうの「平等主義」であった。その結果、個人性の強い、優しくて孤独な日本人が多くなり、目に見えない形で起こっている、現代社会の多くの問題に対応して、一億火の玉になって突進することができなくなった。

 この辺で、民主教育のあり方を見直し、教育の目的を再確認して、根本的な改革をしないことには、私たちの社会は、衰退へと向かうことになる。

 

2.知的生産性の低い社会

 いつ、いかなる社会でも、学者は尊敬の対象になりやすいが、日本ではいつもそうではなかった。

 日本の学者の多くは、奈良・平安時代から江戸時代には中国大陸からの漢書を読んで理解し、日本人に伝えることを役目とした。そして、明治、大正、昭和には欧米の、戦後にはアメリカの学問を、書物や映像または現地で学んで私たちに伝えてくれた。

 彼らの大半が翻訳学者であったので、日本人の多くか、自国の学問を確立しようとしない学者をあまり尊敬しなくなった。

 学問に国境はないが、学者は己の社会を背負って立っている。社会の中で評価されないと、新しい学問や技術を進めることはできない。

 残念なことに、日本は、今日まで自主的な学問的研究熱が弱く、知的生産性の低い国家で、未だに学問の独立性が弱くて、自己評価ができない。

 社会が混沌とし、個人が何をすればよいかわからなくなり国家が目標を失った時、最も重要な役割を果たすのが、知的創造力のある学者だが、今もまだ期待に応えられるような状況ではない。

 

3.混沌時代の自己責任

 今日の混沌は、集団的目標を見失ったことと、戦後50年間も負の遺産を引きずったまま、主体性のない社会を営み、教育の荒廃と物価高を招いたことによるものだ。

 人々は、経済的、政治的、行政的混沌の時代というが、その原因は、昭和50年代から始まっている教育の混沌だ。2~30年後を見据えた教育政策を、政治の基本とすることのできない社会は、やがて衰退することが世の常である。

 戦後の日本は、社会の安定、継続に尽力するよりも、繁栄を最優先し、政治か経済政策中心であったため、社会生活に最も大切な土地と日常生活費の高騰を招いた。そして、国民は社会性や価値観の共通性を失い、集団的な夢や希望を持てなくなった。

 個人性の強い、豊かな国になった日本では、"日本頑張れ”的な集団的目標はもう通じないので、個人的な夢や希望が優先されなくてはならない。

 今日の集団的混沌の中では、個人個人が自己責任のもとに、創造力や活力を発揮して、活発に行動することしかない。

 

4.自分の20年後のために

 私は、本年(平成9)2月と12月に多くの会社を訪れ、総務部、秘書室、広報部の40代、50代の方々にお会いし、20年後の私たちのために、「学校外教育改革」の必要性を説明し、一社員であると同時に一社会人としての行動を呼びかけた。この17年間、行政職員や政治家、学者にいろいろ呼びかけたが、改革の本当の意味が理解されず、未だに「学校内教育改革」でしかない。最後の望みとして、「学校外教育改革」の波が財界から起こってくることを願って、5年計画の活動を開始した。

 いつの時代も、革命は10代、20代が興し、改革は中年世代がなすものだ。今日の混沌時代に、社会が衰退しないよう努力するのは、親であり、現場の責任者である40代、50代の人々の役目であり、社会的義務なのだ。

 みんな良い子の民主教育を最初に受けた私たちが、すでに50代半ばになった。個人主義で、主体性のない優しい社会人ではあるが、まだ2~30年は生きられる。私たちが、自分の安定した老後のために、今、自主的に奮起し、青少年の育成に努力しないことには、日本は物作りでは一流になったが、形だけで心のない人々が住む淋しい社会になってしまう。

 今日の日本人社会の本当の問題は、主体性のない、ぬるま湯のような民主主義社会に住み続けてきた、50代、40代の、私たちの中にある教育観なのだ。

 私たちにとっての学問、文化、道徳心、芸術、技術、そして活力や創造力等、全ての原点が、夢中になって友と遊んだ幼少年時代の体験であったことを思い出して欲しい。そのことを忘れず、個人個人が、“人づくり”の夢と希望と目標を持って、20年後の自分のために、もう一度立ち上がろう。

            平成9年4月18日 機関誌「野外文化」第147号 巻頭より