日本人としての在り方(平成30年)

日本人としての在り方

1.個々に多少の犠牲

 この地球上に74億人以上も住んでいる人類は、残念なことに、集団生活を営みなから自己を主張して他を否定したり、抹殺したりするという残酷を極める本質がある。しかしもう一方では、集団の中でより良く逞しく生きたいという願望があり、個に徹するのではなく、思考という精神活動によって、言葉を話しかけて孤独を癒す特定の相手を求め、お互い認め合い、許し合える寛容さも併せ持っている。

 私たちは、好むと好まざるとに関わりなく、集団的規約を受けて生活しているので、集団と個、個と個が対立すれば安心・安全な生活は望めない。だから、一般的には理性が働いて残酷極まりない人間的本質を抑えて、集団が分裂しないように様々な規約や道徳心により、個が勝手放題にはできないようになっている。

 日本人の社会を内部衰退などによる崩壊から守るには、個々に多少の犠牲があっても、あらゆる工夫や努力を惜しまず、お互いを認め合ってゆくしかない。

 

2.安心感を求めて

 私たち日本人の社会的存在価値は、1人1人が個人的存在を主張するのではなく、個々がお互いを尊重し合い、心配りをして認め合う絆を重視することであった。そして、精神生活は年功序列的な縦社会において、“恥”という不名誉なことにならないように心がけていた。世界広しと言えども、日本は私の知る限り最も家族の絆の強い、人間愛に富んだ信頼社会であったとも言える。

 様々な人が集う日本人社会には、集団と個や個と個の対立はあるが、日本人としてより良く生きてゆくためには、個々が様々な精神的試練に耐え、お互いを認めて信頼し合うことである。

 そのためには、私たちの先祖が、血の滲むような試行錯誤によって獲得した、より良い生活の知恵としての生活文化を、これからの科学的文明社会に対応する心の糧とするのは、決して無駄なことではない。

 日本人としての自分を正当に認識する自己認識にとって大事なのは、私たちの日常生活における安心感に必要な心の拠り所としての、生活文化を知ることである。

 

3.生活文化の認識

 これからの国際化する社会に対応する知識や技能は、一層発展する情報文明によって、否応なく身近にあふれるので自然に身に付くだろうか、日本人としての安心・安全な日常生活を過ごすための生活文化については、自己努力によってしか身につけることはできない。しかし、多くの人はそのことに気付かずに、文明社会の情報化に対応することに追われて余裕のない孤独な生活になり、精神的な不安と不満か多くなりがちである。

 私たちは、自然環境に順応して生きてきた先祖たちの知恵を、知れば知るほど心が豊かになり、安心な気持ちになれるが、知らなければより良く生きるに役立てられず、心の拠り所を失って不安な日々を過ごすことになる。

 日本人が、これからの文明社会にどのように対処してゆくのか、ますます激しさを増す経済競争の渦巻く国際社会でどのように対処し、振る舞ってゆくのか、不確実なことが一層多くなる社会で、各個人が自信を持って行動してゆくには、言葉や道徳心、風習、衣食住、生活力などの生活文化を基盤とした、日本人としての在り方を自覚・認識するしかない。

 

4.日本人としての生き甲斐

 日本人としての在り方は、まずは日本人社会の生き甲斐であり、―個人の自己認識による人間的在り方であり生き方である。

 その日本人としての在り方を具体的にすると、自分は子供をこのように育てたいという育児感、自分はこのように教育していきたいという教育観、自分はこのように社会に貢献してゆきたいという社会観、自分はこのような仕事をしたいという労働観、自分は社会にこのように対応したいという処世観、自分は日本人としてこのように振る舞いたいという人生観などである。

 私たち日本人の喜びや悲しみは、物質的な面よりも他の人々との絆や信頼、協力、協調などの心の面によることの方が強かった。

 自分を正当に評価する日本人としての自己認識は、長い長い歴史上に先祖たちか培ってきた、かつての主産業であった稲作農業を中心とする、生活文化を更に深めることによって高めることかできる。

            機関誌「野外文化」第226号(平成30年10月20日)巻頭より