日本の国際化と国民化教育(平成20年)

日本の国際化と国民化教育

1.孤独で不安な社会

 本年(平成20年)3月21日の新聞によると、今日の日本人社会は、7割もの人が、他人や企業を信用できず、不安を抱いているそうである。

 某新聞社の社会意識調査によると、政治家と官僚に対する信用度は、なんと18%しかない。そして、治安を担う警察官は63%、教育者である教師は60%しか信用されていない。

 社会意識の弱くなった今日の日木人は、「他人(社会)の役に立とうとしている」人が僅か22%と少なく、「自分のことだけ考えている」という人が67%を占めている。

 このような不信社会でも家族には97%の人が信用を寄せている。しかし、家族を結びつけるものは「精神的なもの」が一番多く、次が「血のつながり」だそうである。

 私たち日本人は、不信社会では自然的に犯罪が多くなり、多くの人々が孤独で不安になりがちなことを、まだ十分には理解できていない。

 

2.独自性のない国際化

 この地球上のいかなる部族、民族、国家も、有史以来いろいろな戦争を繰り返してきた。残念なことに今もまだ地球上の各地で戦争は続けられている。幸いにも日本だけは、もう60年余も戦争のない平和で豊かな国で、しかも、教育施設の普及率は世界一である。

 社会は、個と集団が対立するものではなく、いかなる個人も集団的規定なくしては存在し得ないものだが、戦後の日本は、社会の大義を失って、社会を守る社会的目標のない利己的な教育が続いた。

 一方、米国の支援があったこともあるが、戦前の教育を受けた人々が中心になって、日本の伝統文化的特長である勤勉、正直、組織力によって逸速く経済的復興を達成し、やがて世界第二の経済大国に発展した。そして、米国化の経済的国際化に尽力した。

 米国方式の経済的国際化、すなわちグローバライゼーションは、“科学・技術”の進歩によって起った“IT革命”による、コミュニケーションの飛躍的な発展によって、一層拍車がかかった。しかし、経済的国際化は、いかなる国の人々にとっても生活手段であって、社会的目的ではない。

 ところが戦後教育を受けて社会意識の弱くなった日本人は、経済的国際化には邁進したが、肝腎な自国の安定・継続に必要な、社会の後継者育成である国民化には無頓着で、半世紀以上も米国式民主教育をそのまま続行し、信頼社会であった日本の独自性を失った。

 

3.国民化を忘れた日本人

 民族とは人間の形質的特徴ではなく、生活文化を共有する人々の集合体のことである。

 戦後の日本で生まれ育った日本人の多くが、伝統文化否定の名残のせいで教えられなかったこともあり、社会的遺産としての生活文化を共有することの重要性を知らず、利己的・個人的になっている。

 その結果、日本人社会にとって最も重要であった信頼や絆が揺らぎ、十数年前から不祥事が多発するようになった。

 3~40年前までの日本では、両親が日本人なら自然に民族的日本人になれたが、今日の国際化した不信社会では、日本で生まれ育った日本人が日本を知ることなく、自然に社会的日本人、すなわち国民になるとは言えなくなっている。

 私たち日本人は、社会、国にとって最も大切な生活文化を共有する社会化・国民化を忘れ、知識・技能を中心とする個人的学力主義を追い求めているが、社会人としての栄辱を弁えていない人は、協調性や忍耐力、向上心、信頼感が弱く、主体性を失ってフリーターやニート、引きこもりになりやすい。

 

4.安全・安心に必要な国民化教育

 地球上の多くの国、特に移民によって成り立っている米国は、多民族、多文化、多宗教の国民国家である。世界の国民国家の大半は、民主主義的議会政治によって国家の統合を第一目的としている。そして、スムーズな統合の手段として“多文化主義”を採用している。

 世界の中では大変珍しい単一民族的国家に近い日本は、戦後、米国式の多文化主義を取り入れたが、すでに統合が成立していたし、やがて安定した国民国家にもなった。しかし、米国を筆頭とする多くの国は、今もまだその途上にあって貧富の差が大きく、政治や経済、教育等の政策は全て統合のためにある。

 地球上の至る処で今もまだ起きている宗教や文化の違いによる紛争や、エネルギー・環境・食料・人口問題、それに米国経済の失速等、これからの多様化する国際情勢に対応するには、まず日本国の活力・安定・継続を図る国民化教育が優先課題である。

 そのための公教育は、青少年時のためのみではなく、社会人としての主体性・アイデンティティーを促す内容が必要である。

           機関誌「野外文化」第196号(平成20年4月16日)巻頭より