たなばたの原点(昭和58年)

たなばたの原点

 千数百年も続いた年中行事である“たなばた”は、日本人にとって、夢のある家族的な祭りとして、夏のある限り続けられるであろう。

 

1.たなばたとは

 たなばた………誰もが口にし、知っている言葉なのに、まじめに考えると、なんのことかその意味がなかなか理解し難い。たなばたを、“七夕”とか、“7月7日”“棚機”“棚旗”と記すが、一般的には“七夕″がよく使用されている。しかし、七夕をどうしてたなばたと読むのだろうか。

 たなばたのいわれについては何も知らなかったが、大変ロマンチックで、夢の多い年中行事として、幼少年時代の兄弟姉妹の面影と共に、今も残像のごとく尾をひいて脳裡にとどまっている。

 誰もが思いだすことは、少年少女時代、五色のたんざくに願いごとを書き、葉のついた竹枝に結びつけて飾ったことではないだろうか。私は、その竹を七日の夕方、浜辺にかついで行き、海にすてた後、暮れなずむ沖合いを眺め、たんざくを結んだ竹がどこへ流れ着くのか、心配しながら砂浜に座っていたことをよく覚えている。

 どのような理由でたなばたの竹を海に流したのか知るよしもなかった。ただ、たなばたに雨が降ると、天の川の両岸にある牽牛星織女星が会うことのできない物語を聞かされているだけだった。

 七夕は、もともと陰暦7月7日のことであり、その日の行事をも含めていうのだそうだ。しかし、今では陽暦の7月7日であり、中には1月遅れの8月7日に行なう地方もある。

 日本中どこにでもある年中行事のたなばたは、中国の七夕(ひちせき)の祭が伝来し、日本の古代信仰であった、神の来臨を願って作った棚旗、すなわち依り代を作る行事と複合された風習のようである。

 

2.星祭り

 中国古来の節句は、陰暦の一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日の奇数月の重日で、これを五節句と呼んでいる。これらの節句には、星の神々が地上に降りてくると信じられていたので、娘たちは、機織りをして、その技術向上を祈るのが習わしであった。この祈願のための行事を七夕(たなばた)と呼んだのである。

 中国に古くからある七夕の風習から、天の川の牽牛星織女星の物語ができたものと思われるが、中国の人々は、この七夕伝説を好んで伝承したようである。

 「陰暦七月七日の夜、年に一度の逢瀬を天帝に許された織女が、雨の降らない時だけ、天の川にカササギが翼を並べて作った橋を渡って、対岸にいる牽牛に会うことができる」 物語は簡単であるが、夫婦星が見事逢瀬を楽しむことができたなら、その年は洪水がなく、秋の収穫が無事であると信じられ、星祭りには雨が降らないことの祈願がこめられていた。

 このような七夕伝説は、中国で紀元前七世紀頃すでに成立し、4、5世紀頃には、文学上のよい題材となっていたといわれている。女性好みのロマンス物語のせいか、中国の女子は、天の川の織女星を祭って、その技術の向上を願う、乞巧奠(きっこうでん)という行事を好んで行なったという。この風習が奈良時代に輸入されると、日本でも大変好まれたのか、万葉集の中にもうたわれているし、星の祭りとして宮廷に普及したようである。

 

3.日本古来の風習

 たなばたを“七夕″とか、“七月七日”と表記するのは、中国の節句文化の影響であることは理解できるが、今日ほとんど使用されていない。“棚幟”又は“棚旗”にはどのような意味があるのだろうか。筑波大学の宮田教授は次のように説明して下さった。

 「旗は、空中にいる神霊がめざして降りてくる所、すなわち依り代である。もともとは、樹木又は竹であったと思われる。それは、よい神霊だけが降りてくることを祈って、今でも葉のある大きな竹をたてることからもわかる。この神霊信仰が、山から神を招くという意味で、山に行って花を手折ってもち帰り、入口におく“立花”の風習となる。この立花は、棚旗の竹と同じく、神霊を山から迎える儀式用の依り代である。やがて、立花の風習が家の中にもちこまれて“生花”に変化したものだと思われる。」

 棚旗、これが日本古来のたなばたの原点であるらしい。しかも、旗ではなく、大きな竹をたててあったにちがいないという。そして、山から神を迎えるための依り代であった立花が、華道の原点であるらしいこともわかった。

 もう1つのたなばたは、祓いの行事でもあったようだ。ということは七月七日に水浴びをし、女性は髪を洗い、衣類をすすぎ、家具を洗い、井戸をさらって1年のけがれを禊ぐ風習があり、雨が降った方がよいという地方もあるからである。これは星祭りとは関係なく、日本の自然環境からきた風習だと思われる。

 陰暦の6月下旬から7月上旬は、湿度や温度が高く、物が腐敗しやすいので、伝染病なども多く、最もいやな時候である。そのため、古代から人々は、雨か降って川に水が増し、すべての物を押し流してしまうことを願ったのだろう。日本には、川や海に物を投げ捨てると、きれいになるという風習がある。これは、雨が多く、川の流れが早い日本での生活の知恵で、水がすべてのものを押し流し、清めてくれるという概念によるものである。

 棚を作り、背丈の高い竹をたて、守護神である神霊を迎え、雨が降れば周囲の汚物を流し、清めてくれる日本的風習が、中国伝来の、大変ロマンチックな七夕祭りと複合し、日本古来の年中行事棚旗に、“七夕”の字をあてたのがたなばたの呼称のはじまりではあるまいか。

 

4.願いをこめる家族的な祭

 奈良時代に中国から伝来した七夕祭りは、宮廷貴族を中心に伝えられ、機織りの技術が向上することを願うよりも、書道の上達や恋愛の成就などを祈願する風習となったといわれている。それが江戸時代になって、幕府が年中行事にとりあげたので、武家の風習となってまたたくまに全国的になった。そして、やがて、寺小屋の手習い師匠などの役割によって、庶民へも普及した。

 手習いするものが、里芋の葉にたまった露で墨をすり、文字を書くと上達するという習わしから、五色のたんざくなどに、思いや願いを書いて竹枝につるす風習が広まったといわれている。そしてまた、庶民は、たなばたの棚に野菜や果物などの初物を供えることも考えついた。又、地域ぐるみで大規模なたなばた祭りを行なう地方もある。たとえば、仙台市商店街の七夕飾りである。

 現在のたなばたは、子どもたちが願いをこめてたんざくを竹枝に結ぶ、ロマンチックな年中行事となっている。私の思い出にあるたなばたは、今の私にとってのゆとりであり、生きがいであり、活力の原点であり、父母や祖父母のいる故郷なのである。

 千数百年も続いた年中行事である“たなばた”は、日本人にとって、夢のある家族的な祭りとして、夏のあるかぎり続けられるであろう。

            機関誌「野外文化」第64号(昭和58年6月20日)巻頭より