日本の元旦の習わし(平成29年)

日本の元旦の習わし

1.元日の朝

 2017(平成29)年元日の朝、東京は雲ひとつない、突き抜けるように澄み切った青空で、摂氏12、3度と大変穏やかであった。

 午前7時過ぎに起き、まずは神棚に手を合わせ、9時から近くの井草八幡宮へ、自転車で初詣。すでに7、800人が列をなしていたので、30分近くも並んで待った。

 家内安全と健康を祈願し、本年から始める、“健康寿命を延ばす歩く国民運動”の遂行を誓った。そして、1,300円の破魔矢を買い、200円でおみくじを引くと、“小吉”であった。

 我が家に戻って年賀状を受け取り、10時過ぎから家族で、「明けましておめでとう、今年も元気で頑張ろう」と言ってお猪口で酒(おとそ)を飲み、妻の作ったおせち料理と雑煮を食べた。

 5人の子供はみな成人し、家族か集う元旦と言えども、残念なことだが3人は仕事があるとかで帰って来ず、妻と長男、3女の4人だけ。

 普段はあまりしない雑談に花が咲き、11時半までお正月気分の和やかな時が流れた。

 

2.祖霊を迎える風習

 天変地異の自然現象は、天の神による仕業だと考えていた古来の日本人は、自然を魔物、不可抗力、神として崇め、恐れていた。

 その神への使者の役目を、長寿で生命力の強かった先祖の霊が、きっと果たしてくれると考えた人々は、先祖崇拝と言う“先祖信仰”の精神世界を発展させてきた。

 これまでの日本人は、災害を恐れても、共に生きる神の加護を願い、祖霊が神への連絡役を果たしてくれると信じて、天(神)、山(自然)、祖霊(人)が一体化する理念を培ったようだ。

 日本の元旦は、自分たちの先祖を崇拝する祖霊信仰(神道)によるもので、先祖の霊が家に戻り、家族が揃って絆を深め合い、気力や元気を確かめ、分ち合う神人共食の儀式なのである。

 年の暮れに山から戻ってくる先祖霊、年神さまの依り代が、山から切り出してきた門松や松飾りなのだ。そして、家族は、祖霊を迎えて三箇日を共に過ごすため、大晦日おせち料理を準備し、元旦に酒(おとそ)を供え、皆が揃って祖霊神である年神さまと共食をする習わしになっている。

 各家だけではなく、共同体の村や地区である地域社会の祖霊神、氏神の依り代としての神社に、年明け早々に参拝するのが初詣。その意味を知ってかどうか分からないが、今日の日本人の約62%が初詣をするそうだ。

 

3.元日の挨拶

 おせちやお雑煮を食べ、お屠蘇を飲んでご機嫌な私は、12時から1人で散歩に出かけた。

 近くの妙正寺公園に行き、そこから始まる妙正寺川の両岸に歩道があるが、日の当たる左岸(北側)の道に沿って南東の方に歩いた。天気は快晴で風もなく、3月中旬の温かさなので、冬用のシャツの上にセーターを着てのんびりと歩きながら、行き交う人に「明けましておめでとうございます」と声をかけ、頭を下げた。

 杉並区から中野区に入り、区立鷺宮体育館を通り過ぎ、洪水防止用の溜め池のある、“やよいばし”まで4~5キロを歩いた。そこから今度は右岸のウォーキングコースを引き返し、家にたどり着いたのは午後1時40分で、一万二千五百六歩であった。

 この間、約200人に元日の挨拶をし、頭を下げると、相手の反応は様々であった。

 「あっ!おめでとうございます」

 驚きながらも多くの方が言葉を返してくれたが、中には、「あっ!」と驚いて声を呑んだままの人、黙って頭を下げる人、黙ったまま立ち止まり、怪訝な表情で何も言わない人、無反応な人、スマホに夢中な人など色々であった。

 

4.正月行事は生活文化

 元日に散歩して、多くの人に新年の挨拶をすると、約半数の方が、快く「おめでとうございます」と返してくれた。実に気持ちがよく、自分が今、日本で元気に生きていることを実感し、何とも楽しい、平和で幸福な気持ちになった。そして脳裏では、「よし、今年も頑張るぞ」などと、自分を励ましていた。しかし、無反応や無視されると、異文化人のようで、何となく淋しく、不安な気持ちになる。

 歩きながら各家の門や扉を見たが、門松や松飾りのない家が半数近くもあった。

 祖霊を迎える依り代のない家が多くなっていることは、やはり淋しい現象だ。

 日本は、戦後急にアメリカ化して、日本の生活文化を知らない人、異文化人、異教徒か多くなっているが、50%以上になると、社会は不安定化し、衰退する。

 日本人にとっての元日は、初詣もさることながら、家族そろって祖霊神と共食し、絆を深め合うことであったのだが、今日では、門松の意味も知らず、新年の挨拶もなく、1人ぼっちで過ごす人が多くなっているそうだ。

野外文化 第222号(平成29年1月20日)巻頭