日本人が誇れるもの(平成元年)

日本人が誇れるもの

 これ程世界の知識、情報、技能、文化、物資を一堂に集めていながら、青年が自分の国を誇れないのは、社会の価値基準が狂っているせいかもしれない。それにしても、大人がもう少し自信と誇りをもつべきではあるまいか。

 

1.社会に役立つなんて

 平成元年1月に、総務庁青少年対策本部から“世界の青年との比較からみた日本の青年”という報告書が出版された。この調査は、昭和63年1月から6月までの間、日本・アメリカ・イギリス・西ドイツ・フランス・スウェーデン・オーストラリア・シンガポール・韓国・中国・ブラジル計11ヵ国の18歳から24歳までの青年を対象に、家庭や学校、職業・友人・余暇・地域社会・国家・社会・人生観等についての考えを質問したもので、サンプル数を1000枚ずつ取った。

 それによると、国家に対する考え方では“自国で誇れるもの”の回答率は、日本青年の1位が『歴史や文化遺産』56%、2位『科学や技術』48・5%、3位『教育の水準』30・7%、4位『社会の安定性』28・3%、5位『生活水準』27・5%である。1位の項目は各国異なるが、シンガポールスウェーデン・韓国が70%以上、オーストラリア・アメリカ・中国・イギリスが60%以上である。残念なことに、日本は全ての項目がブラジルについで低いのである。

 “自国に対し役立ちたいか”の設問中、『自国のために役立つと思うようなことをしたい』は、シンガポール・韓国・中国’アメリカが80%以上で、スウェーデン・オーストラリア・ブラジルが70%以上なのに、西ドイツについで低く、41%。そして、『そのためには自分自身の利益を犠牲にしてもよい』は、最低の5・5%である。

 社会に対する考え方では、“個人生活志向”が53・9%と、西ドイツ・イギリスについで高く、“社会生活志向”は32・4%と、西ドイツに次いで低い。

 “社会に対する満足度”の中の『不満である』は11%、『やや不満である』は30・8%と7番目に高い。

 社会に対する不満の理由では、“まじめな者が報われない”が44%で1位、2位は、“正しいことが通らない”で43・8%である。この傾向は、社会主義の中国と同じである。

 私たち日本人は、大変な努力と犠牲を払って、豊かで平和な高等な文明社会をつくり上げてきたが、青年たちはこの社会に満足していないし、評価も低く、社会の一員としての義務と責任を果そうともしていない。どちらかといえば、自分本位である。

 

2.見習い教育の伝統

 日本に倣えと叫ぶシンガポールの青年たちが誇る『教育水準』は67・6%で一番高く、次がスウェーデンの55・2%、そして韓国47・2%、西ドイツ37・1%、イギリス31・8%で、日本が6番目である。しかし、教育政策に失敗したとされるアメリカは、この一覧表には出てこない。

 日本は明治以後、ヨーロッパ、特にイギリスに見習って学校教育制度を導入し、他国にはなかった全人教育を始めた。その成果は大きくて、就学率が高く、世界で文盲率が最も低かった。そして戦後は、アメリカの教育制度を見習って6・3・3・4制の民主教育を徹底的に実行し、自由・平等・博愛の名のもとに世界一の就学率を誇ってきた。

 世界の最先端にある高等な文明国日本の教育は、すでにいかなる国をも見習うことかできない状態になっていながら、未に独自の教育方法を考案しようとせず、教育学者や政治家は、明治以後の伝統により欧米に見習おうとしたり、制度を変えようとしたりするだけである。

 アメリカは、アメリカ式民主教育に失敗し、今では日本に倣おうとさえしている。しかし、日本には、世界の多くの国が倣おうとしているにもかかわらず、日本的な教育理論ができていないし、自信もない。

 明治から昭和にかけての全人教育の成功は、今日の繁栄した日本国をつくった日本人によって証明されているが、戦後の民主教育は、21世紀の日本人によってしか証明されない。

 日本の戦後の教育者の多くが、高邁な教育論の妄信によって、社会人としての基本的能力を教えようともせず、安易に知識偏重教育を続けてきた結果が、今日の青年たちの姿なのである。

 私たち日本人は、もうすでに、世界のどの国よりも先んじて、高等な文明社会における教育内容や方法を研究、開発してゆかねばならない立場に立たされている。

 

3.価値観の定まらない世代

 学校で学んだり経験したりしたことの中では、“友人と深い友情で結ばれた”が1位で54%、2位は、“一般的・基本的知識を身につけた”の52・3%である。大学卒が評価される要素については、“大学でどのような専門分野を学んだかということ”が1位で36・3%、2位は“一流大学を出ているかどうかということ”26・7%。3位“大学でどのような成績を修めたかということ”7・1%である。これは、多くの国が日本と逆の『成績』が1位で、西ドイツ53・2%、イギリス52・4%、オーストラリア46・8%、アメリカ42・6%で、『一流大学』の%は非常に低い。

 職場に対する定着意識では、“続けたい”が最低で26・2%。“変わりたいと思うことはあるが続ける”が最高で25・3%。“機会があったら変わりたい”が27・9%で、中国、オーストラリア・シンガポール・フランスについで五番目。日本青年は職業への定着意識が大変弱い。

 職場生活の満足度については、“満足”は最低で11・2%。“やや不満”は最高で24・5%である。

 今回の調査対象青年は、10年前の昭和53年には8歳から14歳で、小学から中学生であった。が、その頃から家庭内暴力や校内暴力が始まっている。

 社会的には“列島改造論”による価値観の激動期である。また、ロッキード事件による金権政治が露見したり、オイルショック後にやってきた活発な経済活動や円高による機械化などによって、日本はアメリカに伍して発展し、債務国から債権国へと躍進した。

 一方では、教育改革が叫ばれ、祖国のない国際化や比較文化論などが重要視され始め、日本が最も社会的価値基準を失って、経済的価値観によって社会が営まれ始めた頃でもある。

 要するに、彼らは価値観が多様化して定まらない、日本人社会の鏡のような世代なのである。

 

⒋.世界に誇れるもの

 人の暮し方についての考え方では、“自分の好きなように暮す”が46・1%で中国についで低く、“経済的に豊かになる”は38・7%で他の国と比べ極端に高い。“社会的な地位をえる”は最も低く5・1%“社会のために尽くす”も、最低のスウェーデンとほぽ同じ2・8%と2番目に低い。

 “生きかいを感じるとき”は、1位『友人や仲間といるとき』62%、2位『スポーツや趣味に打ち込んでいるとき』58・3%、3位『仕事に打ち込んでいるとき』27・6%。4位『家族といるとき』21・3%。5位『他人にわずらわされず、1人でいるとき』13・7%となっている。しかし、『社会のために役立つことをしているとき』は、7項目中最低で、なんと9・7%である。他の国はすべて5位までに入っており、韓国や中国は2位、ブラジルは3位である。

 この結果によると、日本青年には、自分の社会も、自分の国も意識の中にないのではあるまいか。実に自分本位で無責任であり、無気力で誇るものすらもっていないようである。

 幸福感については“幸福だ”と答えたのは30・8%で、中国、韓国についで低い。悩みや心配ごとは、1位が“お金のこと”で他国とほぼ同じであるが、5位の“健康のこと”が21%で、他国と比べて高いのが特徴であるが、幼少年時代によく遊んで基礎体力を培っていなかったことの現れかもしれない。

 日本の青年たちの調査結果は以上のようであるが、私がこれまで25年かけて世界111ヵ国を歩いた実感によると、日本の多くのことがすでに世界のトップレベルにある。

 日本は、奈良・平安の時代から中国に見習い、明治維新以後はヨーロッパに見習い、戦後はアメリカに見習ってきたのだが、10年程前から、すでに世界で最も安全で、平和で、豊かな、発展した文明国になっている。

 私たち日本人が、世界の中の日本を意識する時、社会の安定はゆとり、平和は幸福、経済力は繁栄、発展は自信、継続は国力であることを十分に認識すべきである。

 今、日本人が世界に誇れるものは、自然、長寿、文化遺産、教育水準、科学技術、繁栄、生活水準、社会の安定、平和、自由などである。誇れないのは政治と食料自給率だけだろう。

 昔ながらの謙遜によるものかもしれないが、これ程世界の知識、情報、技能、文化、物質を一堂に集めていながら、青年が自分の国を誇れないのは、社会の価値基準が狂っているせいかもしれない。それにしても、大人がもう少し自信と誇りをもつべきではあるまいか。

 干上がった河口にも、やがて潮は満ちてくるが、長くなれば、中洲の生きものたちは逃げてしまう。

            機関誌「野外文化」第100号(平成元年6月20日)巻頭より