通じなくなった日本語③ 親切って何だい(昭和54年)

通じなくなった日本語③ 親切って何だい

 私は、夢をみているのではないだろうか。いや、確かに夢なんだ。本当の親切のない世界で、親切という夢を見ながら、青年と語り合っているのだ……。

1.親切は親切だって!

 「親切っていったい何だろう?」

 私は、知人の学生に尋ねた。尋ねる理由も知りたいという欲望もそれほど強くはなかったが、“親切”という言葉の叫び声に、私の良心は反応する。おそらく“親切”という、どこにでもころがっている言葉が不鮮明になったせいだろう、ふいと口から飛び出した。

 「親切は親切っていう意味ですよ」

 青年は、心やさしくない、ぶっきらぼうな調子で言った。親切は親切だ!?私は、なおさらわからなくなった。

 「いや、その親切がわからないんだよ」

 私は、日めくりを1枚めくってみると、また今日という日があらわれたような不安に憑りつかれた。

 「親切は日本語なんですよ。心やさしいという意味じゃないですか」

 「じゃ、どうすれば親切なんだろう」

 日本語だと言われた私は、また問い返さなければいられなかった。彼は、天井の唐草模様をみつめながら考え込んだ。

 「目の見えない人の手をとって横断歩道を一緒に渡るとか、老人に席を譲るとか、身体の不自由な人の手や足となってあげることですね」

 青年は、非常に明るい笑顔で言って、私を見た。

2.強制的に存在するもの

 この頃、電車に乗るたびになんとなく落ち着かない。私は電車に乗る位置が一定しているので、いつも端の車輛に乗る。すると、決まってシルバーシートがある。そのマークを見ると反射的に緊張する。外国にいるような違和感を覚えるのだ。

 シルバーシートのある車内にいると、自分が悪いことをしているような気分にさせられる。満席になるとなおさらである。シルバーシートでない席にすわっていても、60歳以上の人が目の前に立つとイライラする。席を譲ってあげたいが、シルバーシートには学生がすわっていたりする。『どうぞあちらへ…』と言ってやりたいが、言い出し方を考えているうちにやめてしまう。

 『どうぞお座りになって下さい』

などと言って立ち上がり『すみません』と口先で言い、当り前だという態度で座られても、また『いや、私はまだ…』などと断わられても、あと昧がものすごく悪い。何度かいろいろと経験しているうちに“ンルバーシート”という規則的で、強制的なものの存在が、全く無用のものに思える。老人や妊婦、身体の不自由な人に席を譲るのは、強制でも法律でもない。どんな場所でも、いつでも、本人が譲ってやるべきだと判断したときに、立ち上がれば良いものだ。道徳的良心を指示されたり、強制されたりすると、ほんとうに判断の基準に迷ってしまう。

3.心でなく行為が大事? 

「それじゃ、親切ってのは人道的な常識ってわけか」

 私は、紅茶を飲んで一息ついた青年に質問した。

 「エッ?」

 彼はふいをつかれて、目を見開き、私をみつめた。

 「親切の押し売りが良いものだろうか?」

 私は自分自身に問いかけるように言ったつもりだったが、彼は怒ったような表情をして、自分の考えをたたきつけるように、攻撃的に肩をいからせた。

 「日本人は不親切です。われわれは身体の弱い人に対して、もっと親切でなければいけません」

 「身体の不自由な人に対して、親切な行為をするということが、本当に十分な心づくしをしたことになるのだろうか」

 「なります。親切であればあるほど喜ばれます」

 「親切にするように決められているから、それとも、親切なんて稀少価値だから親切にするのかね?」

 「親切にするよう決められるべきです」

 学生は声高に言った。

 「親切は行為が大事なのか、それとも心が大事なのだろうか」

 「心だけでは何の役にも立ちません。行為が大事なのです」

 彼は、はっきりと言い切った。彼の身体には“親切”という言葉が山積みされているようだ。その“親切”は、目に見える決まった行為であり、時と場所によって変わる自由自在なものではないように、私には受け取れた。 

4.親切が不自由なものに

 「親切って不自由なものだね」

 私は、鉄板のようにカタイ親切を感じながらつぶやいた。ふと外をみると、窓の外に私たちの知り合いの78歳の老人がいた。

 「おじいさん、元気かね?」

 「ピンピンしているよ。おまえたちは、お茶なんぞ飲んでヒマつぶしか!いいご身分だね」

 老人は、憎まれ口をきいて去った。

 「面白いじいさんだよな」

 私は彼に笑いながら言った。

 「あのじじい、おまえの子供の頃は…、とすぐにいらぬことをいう。あんなじじい、早く死んでしまえばいいのに…」

 「いいじやないか。君の生まれた頃から知っているんだから、親切にしてやれよ」

 「とんでもない。あんな老人に親切にしてやったらつけあがりますよ」

 「別に大事にしてやらなくてもいい。毎朝、会うたびに声をかけてやればいいんだ。あれでもじいさん、さびしがりやなんだよ」

 「いや、僕は決して声をかけない。そんなことをしても何の役にも立ちません」

「いや、親切心からなんだよ」

 「あんな、ピンピンしている老人に話しかけることが、何で親切なんですか?」

 「老人は誰でも弧独なもんだ。だから生まれた時から知っている近所の子供の成長が、憎らしくもあり、頼もしくもあり、たまらなくおせっかいをやきたいものだと思うよ」

 「それは老人エゴですよ」

 「でも、それが老人の生きる楽しみなんだ。路上で会った時なんかちょっと一言、大学に入学したよ、卒業したよ、もう就職したんだよ、嫁さんもらった、子供ができた、なんて知らせてやると、たいへん嬉しいものだそうだ」

 「そんなことする必要はないじゃないですか。あの老人と僕は、親戚でもないし、何の関係もない」

 「いや、老人への親切心だよ」

 「親切なんてそんなものじゃないですよ。もっと現実的なものです。この世の中には親切を心要とする人々がたくさんいるのです」

 「見知らぬ老人に席を譲るのと、あの老人に“おはよう”と声をかけてやるのとどちらが親切だ?」

 「そりゃ、席を譲ってやるほうです」

 奉仕活動などで、老人ホームを慰問するという大学2年生の彼は絶対的な自信にあふれて言い切った。私は、彼の“親切”というコン棒で頭をなぐられたような気がした。 

      機関誌「ZIGZAG(現:野外文化)」第40号(昭和54年6月22日)巻頭より