通じなくなった日本語② バカと馬鹿の違い(昭和54年)

通じなくなった日本語② バカと馬鹿の違い

 昭和54年の今年は国際児童年である。世界中の子供の・幼児の泣き叫ぶ表現の共通点は、やがて異質な話し言葉となる。子供はまず自分の両親から言葉を習い、自分の周囲の人々と共に生活文化を身につける。

1.通じないニュアンス

 私が訪ねた地球上のどんな所でも、赤ん坊は人間の言葉を知らないし、風俗習慣も知らない。それが5歳にもなると、その地域に住んでいる人々の言葉を話し、風俗習慣を身につけるようになる。そして、10歳にもなると、もうその地域社会の人間なのである。

 人間は自分の子供に自分と同じ風俗習慣や言葉を教え、祖先から習ったすべてのことを子供に伝えてきた。日本で育った私もその例外ではありえなかった。私が幼少の頃には、父母や近隣の大人たちによく叱られ、色々なことを教えられ、そして模倣してきた。そのために、私は生れ育った高知県宿毛市という、人口わずか3万人ほどの豊後水道に面した比較的自然の豊かな農山漁村文化にひどく感化された。これは、いかに私が世界中の民族を訪ねても、未だに抜けきらない。

 ところが、どうもこの頃、この私の話し言葉が時々不調和音に悩まされている。

「馬鹿馬鹿言わないで下さい」

 私はよくそう叫ばれる。別に頭脳が悪いとかうすのろという意味ではないのだが、つい「バカだなあ」とか「バカ」と言ってしまう。私の“バカ”という意味は“バカ、どうしたんだ”とか、“バカなことをするな”の気軽な接頭語であり、親しい人にちょいと反抗したり、叱ったり、からかい半分であったり、愛を半分感じていたりする時などに、ふいと口をついて出る気軽な言葉である。

 「私を馬鹿呼ばわりしないで下さい」

 「バカだなあ、そんなに深い意味はないよ」

 「馬鹿馬鹿といいますが、私はそれほど馬鹿じゃないです」

 「馬鹿だって言っているわけじゃないよ」

 私はなんとなく言葉のニュアンスが通じないことを感じる。

2.生活文化と言葉

 4年ほど前に韓国を訪ねた。決して“バカ”という言葉を使うなと忠告された。何故かと尋ねたら“バ力”はかって日本人が韓国で威張っていた頃使われた代表的な言葉だそうだ。韓国の人々は、多分“バカ”という言葉の多様な意味の文化性を理解せず、軽蔑用語、差別用語の代表としてしまったのではないだろうか……。

日本語の“馬鹿”の使われ方はたくさんある。

“馬鹿は休み休みに言え”

“馬鹿と天才は紙一重

“馬鹿とはさみは使いよう”

“馬鹿につける薬はない”

“馬鹿の一つ覚え”

“馬鹿を見る”

“馬鹿正直”“馬鹿騒ぎ”

 “バカ”というのはもともと仏教語で“莫迦”と書くそうだ。莫迦に無知を意味する僧の隠語であったという。ところがいつの間にか、馬と鹿とを見違うような愚か者とでもいうのか“莫迦”が“馬鹿”という俗語に変化したのだそうだ。ところで、バカに大きいとか、バカにうまいというのは、仏教用語の“摩訶”(大きな、偉大な)という意味から、後世の人の話し言葉として変化したものだそうだ。そして、“摩訶不思議”“摩訶力”の摩訶は、非常にとか、大きなという形容詞なわけである。

 私たちが一般に“バカ”という言葉を使う時には、現代の話し言葉の接頭語や形容詞に使う場合が多く、軽蔑用語としての度合いは低いし、それほど意識して使っていないような気がする。その“馬鹿”という馬と鹿を取り違えたようなこっけいな書き文字からの発想と、時と場所の違いによって使い分ける話し言葉の“バカ”は必ずしも同義語ではない。話し言葉の“バカ”は、生活文化として感じる会話そのものであって、色々と体験したり、人とよく会話したり、行動を共にしたり、口論をしたりしないと理解し難い、ニュアンスの異なる体験用語でもあるような気がする。

3.叱る時の接頭語

 「バカだね、こんなことさえわからないの」

 「バカなこというものではない」

 「そんなことする子はバカだよ」

 私は幼い頃から先輩や両親などに何度も叱られた。何故か、彼らが叱る時、たしなめる時に“バ力”という言葉がつくのである。だから、バカだといわれても教えてくれることの前ぶれくらいの受け方だった。何より私に色々なことを教えてくれた人は、実際、私の知らないことをよく知っていた。叱られた時は頭が熱くなって反抗的になるが、話を聞いて共に行動しているうちに、納得することが多かった。教えてくれる内容の大半が、学校では学ぶことのできない現実的なことだった。先輩たちからすると、体験の乏しかった私のやることは間が抜けていたのだろう。しかし、私は全能力を投じて、これ以上の努力はできないつもりでやっていた。

 昭和22年に小学校に入学した私も、すでに30代の後半である。十数年前の自分と同じ理論走って知恵のない青年と行動を共にすると、つい私の先輩たちが私に言った言葉が、不思議なほど同じように口から飛び出してしまう。

 「バカ、何を言うか、よく聞くんだ。こんなことがわからんようではバカだよ」

 「馬鹿とは何ですか、馬鹿とは…」

 青年が理をかざして論で押しかけてくると、もう会話などできなくなってしまう。何よりも、私が言葉使いを強くすると、顔色を変えて黙りこくるか、逃げてしまう。

 「あなたはどうして怒るのですか」

 「怒っているんじやない、教えているんだ。君はどうしてこんなことがわからないのか」  

 「わからなくてもいいです。怒られるより知らない方がましです」

 「馬鹿/怒られても知る方がましなのだ」

 「他人を馬鹿呼ばわりして怒るんだったら、教えない方がいいですよ」           

 私は不協和音にいささか平衡感覚を失ってしまう。私に同調しない世代は、バカと叱られたことも、強い口調で教えられたこともないせいか、バカという言葉にも、叱られることにも、一種のアレルギー反応が生じるようだ。

4.お互いに頑張ろう

 私はこんなことを記すと、時々自分が馬鹿者!と叱られるような気がする。叱って欲しいとも思う。しかし、誰も叱ってはくれない。ただ理を旗じるしに、論を張り巡らせてピエロのように作り笑いをする人は多い。だけど、私が幼い頃感じたような、なるほどなあ……という納得は得られない。 私が“バ力”というのは、差別語でも軽蔑語でもない。しかし、この頃“馬鹿!”と叫びたくなる気持ちが強くなったので、なんとなく、地に足のついた文化が、ウセロ、ウセロと吹き抜けていくような気もする。これは夢なのだろうか、青春の終りのせいだろうか。それとも、人類史上どこにもなかった、高等な日本文化の果実の皮をむく現象なのだろうか……。

 それにしても、この頃時々日本語がわからなくなって「馬鹿野郎!」と叫びたくなる。でも本当には誰も馬鹿だと思ってはいない。

 「気をつけてくれよ!」「このままじゃ困るよ!」「なんとかしなきや!」「今に困るぞ!」「お互いに頑張ろうや!」「やれる時にやっておこうよ!」という意味であって、「どうにでもなれ!」「俺はもう知らんぞ!」「勝手にしやがれ!」という意味ではないのである。 

      機関誌「ZIGZAG(現:野外文化)」第38号(昭和54年2月26日)巻頭より