人間は個人化より先に社会化を(平成28年)

人間は個人化より先に社会化を

1.まずは動物的社会化

 人生の基礎が培われる少年期は6~15歳くらいまでだが、前半の6歳~10歳くらいの子どもは、家族から離れて自然に仲間を求めて群れ遊ぶようになる。そして、仲間同士で集まっている安心感や存在感、居場所などの心理作用による集団化によって、規則、競争、義務などの必要性を体験的に学ぶ。

 大人になるための通過儀礼的な動物的集団化は、子どもたちに仲間外れになることを恐れさせ、用心深く同調する知恵によって、帰属意識を高めさせる。

 動物的子どもは、帰属化によって仲間意識が高まり、他を思いやる心や助け合い、協力、協調、親切心などの守る立場の、文化的な社会化か芽生える。

 いつの時代にも、少年前半期にまずしなければならないことは、動物的な群れなす集団活動により、帰属意識を高めて個人化する前に社会化を促すことである。

2.文化的個人化としての個性

 少年期前半に群れ遊んで社会化した子どもが、少年期後半(11~15歳)の学習によって、自分は何者なのかを考えるようになり、自我の覚醒によって独立心か強くなるので、他との違いに気づき、自由・平等・権利などの人権に目覚めて、他から守られるべき立場を意識することによって唯我独尊的に個人化する。

 社会は、ある種の儀礼や形式を守ることについての同意がなければ、共同体としての共存は成立しない。私たちは知識の習得や競争をしたりするだけでは、社会人に必要な社会化を身につけることはできない。知識や情報、技術はそれをうまく活用・応用して、集団の中で役立つことの特性・力としての個性にすることが大事なのである。

 私たちの個性は、作ろうとしてもなかなか作れるものではないが、いざと言う時に自分で考えて行動することによって培われるものである。だから、個性は予定や計画通りにならない時に対応する力のことでもある。しかし、まず社会化されていないと文化的個人化としての個性はうまく育まれない。

3.好き、心地よい感情と愛

 私たちは、文字や言葉、視聴覚機器などで、心までもはなかなか教えられない。かえって知識や技能が豊かになればなるほど利己的・刹那的になり、信頼と愛の心情を忘れ、不信感に駆られがちになる。

 社会人としての人間力の要素は、言葉・道徳心・愛・情緒、情操などの心・風習などの生活力や精神力・体力などだが、これらの大半は幼少年期の家庭や地域社会による、異年齢の集団活動によって培われる。

 人は、幼少年時代に誰かと共にいたい、遊びたい、一緒にいると楽しいなどと言う体験をし、“好きや心地よい感情”が培われていないと、成人後に愛・尽くす、協力する心情を育むことは大変難しい。

 好きとか信頼する愛の心情は、絵に描いた餅ではなく、日々目にしているご飯やみそ汁、漬物・沢庵のような極く普通のものである。

 心と言うのは精神的な心理作用のことだが、信頼心とは、誰かの側にいると安心・幸福、満足な気持ちになれることで、それが恒常的かつ相互的になると、“絆”になる。愛とは誰かと一緒にいたい、一緒に遊びたい、一緒にいると楽しいとか心地よいという素朴な気持ちで、他人を大切に思う心情である。愛の心情が身についていない利己的な人は、なかなか結婚しないし、簡単に離婚しがちである。

4.思いやりとしての社会化

 本来、利己的な動物である人間は、生後の模倣と訓練によって、社会性や人間性豊かな社会化が促される。社会が安定・継続するには、より多くの人が家族的信頼心によって、できるだけ同じ方向に向かって協力し合うことが必要だが、今日の日本は、家族か崩壊しているので、家族的社会化を知らず、皆が自分の都合によって別々の方向を向いている。

 そのため、今日の日本では人々の社会意識が弱く、国際化がどんどん進み、金銭的価値観による格差が生じ、貧困率が高くなっている。しかも、自殺率が世界で最も高い。その主な原因は、少年期前半の群れ遊ぶ集団活動の体験が少なく、安全・安心が感じられず、心の拠り所をなくした利己的で孤独な人が多くなったことによる。

 私たち人間は、少年期前半の群れ遊ぶ集団活動によって仲間意識が芽生え、他を思いやる心や助け合い、協力・協調・親切心などの、守る立場の社会化が促されていないと、対人関係かうまく保てない。

           機関誌「野外文化」第219号(平成28年1月20日)巻頭より