野外文化活動に関するお願い(昭和55年)

野外文化活動に関するお願い

 私は日本の社会人であることに疑問も不満もないが、共通語を持ち、風俗習慣を同じくして生活する日本人社会で、日本の生活文化を子供たちに伝承する義務と責任がある。

1.社会と無縁な価値観

 「偉い人ってどんな人ですか?」

 私は、これまでに世界111力国を訪れ、いろいろな人に質問した。

 「社会のために努力してくれる人」

 「社会の将来を考え、公正な立場で指導してくれる人」

 「社会の平和と安全と繁栄のために努力してくれる人」

 地球上のどこの人々も、自分たちの社会を中心に考えるのか、答えはだいたい同じであった。

 「有名人ってどんな人ですか?」「名前のよく知られた大金持ち・芸能人・大悪人・スポーツマン・タレント…・」

 「有名人は偉い人ですか?」

 「そうでもない。社会のために尽してくれる偉い人は社会に必要ですが、単なる有名人はいなくてもよいものです」

 世界各国の“偉い人”の価値観は、自分たちの社会への貢献度によるもので、知名度だけではない。

 日本はマスコミュニケーションが非常に発達しているので、営利目的のために有名人を簡単に乱造している。そのせいか、『子供は王様』『有名人は偉い人』『金持ちは偉い人』などの価値観が一般的になっているようで、なんでもかんでも大ぼら吹いてしやべりまくり、好き勝手に書きまくる方がよしとされているが、自分たちの社会についての関りや認識は薄い。なにより、子供たちが王様になる社会は、価値観の多用化というよりも幼稚化である。

2.子供は動物

 今から60年ほど前、インドにオオカミ少女がいたそうだ。彼女は8歳でオオカミから救い出され、人間社会に住んだが、17歳で死ぬまで四つ足で歩き、物を手にするより、犬のように這って食べ、オオカミのような発声を得意としたそうだ。

 これは、作り話であるかもしれないが、人間が動物であり、幼少年期の生活環境によってはどうにでも変ることを証明している。

 だから、生後間もない日本人の赤ん坊を、中央アフリカのビソケ山中に棲息するゴリラに育てさせると、ゴリラと会話ができ、四つ足で歩いたり木に登ったり、二本足で立って胸を叩き、野生のごぼうを食べるようになる。

 日本人は、日本の子供は誰でも日本語を話し、日本の風俗習慣を身につけていると思いがちだが、子供は周囲の人々に教えられて覚える。

 日本人の子供を、アメリカ人がアメリカで育てると、英語を話し、オートミールやパンを食べ、ミルクやコーヒーを飲み、フォークやナイフで大きなビーフステーキを食べ、九月に新学期が始まることに不思議を感じなくなり、人種的には日本人でも社会的にはアメリカ人に成長する。

 アメリカ人の子供を日本人が日本で育てると、日本語を話し、茶碗の飯を箸で食べ、魚貝類や鯨・納豆・漬物を食べ、みそ汁や緑茶を飲み、桜の花が咲き、新緑萌える4月の入学があたりまえになり、社会的には日本人に成長する。

 4、5歳頃までの子供は社会的な特徴が弱く、文化的には無国籍で、順応性が強く、動物的である。

3.社会人の本質

 私は35歳になるまで、世界中どこの民族を訪れても、同じように生活ができ、何でも食べられた。が、本年1月、ネパールの奥地ムスタン地方の標高4000メートルに滞在中、米飯や漬物、みそ汁、魚、持に目刺しのような干し魚が食べたくて仕方なかった。私はいつの間にか日本の食生活が最も適しているようになっている。これは、人間誰でも、自然に順応する防衛能力があるからで、年齢とともに地域社会の生活文化に精神的、肉体的に適応するからだ。

 世界のいかなる民族でも、子供は異文明や異文化に順応できるが、防衛能力が未発達のため保護を必要とするので、社会では準社会人。15歳から30歳くらいまでの青年は、異文明に順応できるが、異文化には順応しきれず悩む。防衛能力はすでに十分発達しているので、自分の選択によって社会を変えることもできるが、確かな価値観を持っていないし、精神的には不安定な社会人。

30歳から45歳くらいまでの人は、異文明に順応するのに時間を要するが、異文化にはなかなか順応せず、拒否反応を示し、社会の安全を考えるので、精神的、肉体的に地域社会に密着した社会人になり、安定感を好むようになる。だから社会人という場合は35歳以上の人が好ましい。

 45歳以上になると、異文明には順応せず無視する傾向にあり、異文化には強く拒否反応を示し、自分の社会に固執し、社会人の権威を主張するようになる。

 これは地球上のいかなる民族にも言えることだが、自分の社会で30年間も生活すると、精神的肉体的に最も都合よく順応した社会人になり、異なった生活文化の社会にはなかなかなじめなくなっている。そのせいか、今の私は日本と日本人が一番素晴らしく思える。

 私は日本の社会人であることに疑問も不満もないが、共通語を持ち、風俗習慣を同じくして生活する日本人社会で、日本の生活文化を準社会人達に伝承する義務と責任がある思いに駆られる。

4.地域社会と野外文化活動

 地域社会というのは、範囲を決められた、または決めた社会のことで、子供から老人までが一緒に生活している所。

 社会は、共通語を持ち、風俗習憤を同じくする人間の集合体のことだから、社会人は子供たちに、自分の文明や文化について社会人準備教育をするのが普通である。

 主義、思想、宗教による価値観は時代と共に変化するが、社会を営む人間の基本は、どんなに文明が発展しても、古代からあまり変っていない。世界中のどこの民族にもあるお祭り、年中行事、農林水産業、助け合い活動、遊びと競技大会など、子供から老人までが同じ条件で、同じように共同体験できる野外での活動、すなわち、人間性を培い、生活文化が伝承される野外文化活動の機会と場がこれからますます望まれる。

 世界で最も画一的に発展した、平和で豊かな日本をより長く維持するためには、これからの社会人の質が問われる。理想を百万回唱えるよりも、地域社会の社会人が、今すぐに豊かな人間性を培い、活力ある社会人を育むための野外文化活動の重要性を理解し、実践するよう努力していただきたいものである。

    機関誌「野外活動(現:野外文化)」 第45号(昭和55年4月19日)巻頭より