生涯学習社会の精神的貴族(平成6年)

生涯学習社会の精神的貴族

1.第10回無人生活体

 豊後水道の御五神島で、昭和60年の夏から毎年開催されてきた最終回の無人生活体験は、小中高校生と大人のスタッフなど総勢125名で、7月25日から8月3日まで、9泊10日の間、大自然のもとに開催された。電気、ガス、水道、自転車もない、非文明地で、強い陽射しのもと、各自が生きるために日々の生活をした。自分の安全と意欲を保ちながら、集団生活をするのは楽なことではない。文明的な社会では想像できない苦労と努力と工夫が必要。私たちにとって、自然と共に生きることが、いかに大変なことであるか、否応ない事実を具体的に見せつけられる日々であった。

 参加者にとっては決して楽しいことばかりではなかったが、彼らは、自然に順応しながら確実に生きる知恵を習得し、自然児へと野性化していった。

子供たちの無人生活体
2.自然とともに

 波の音、風の音、鳥のさえずり、虫の音、草木の緑、暑さ、涼しさ、そして雨や霧など、あらゆる自然現象の中に身をおくと、人間もその一部でしかない事実に気づかされる。

 自然は、私たちの意識と関わりなく存在する。しかし、私たちは自然の恵みなしに存在することはできない。つまり、私たちは自然に生かされているのである。無人生活体験を10年間やり終えて分ったことは、自然と対立するのではなく、うまく利用して生きることの重要性であった。

 無人島では、小学5年生から高校生までの多くの青少年が赤褐色に日焼けしながら、理屈抜きに自然とともに生きることを体験した。彼らは、今、そのことをそれほど重要に感じてはいないだろう。しかし、この体験は自然を具体的に知る知恵となって、これから歳月が流れるに従って大きな力を発揮し、人生の自信の核の一つとなって、その価値を高めるだろう。

3.生涯学習社会と保障

 「自然を愛しましょう」「植物を大切にしましょう」「自然との共生を考えましょう」などと標語的にいくら叫んでも、人の心を変えるほど効果は上がらない。そんなキャンペーンに時間とお金をかけるよりも、1週間から10日間の無人生活体験を1回した方が、遥かに効果的である。

 私たちにとって重要なことは、まず第1に生活の保障である。私たちは、安全に、快活に、しかも豊かに生活するために働き、努力し、苦労をしている。自然は私たちの生活の保障にとって、最も大切なものである。

 これからの生涯学習社会は、あくまでも完全保障社会を目指しての努力である。しかし、物や金が豊かになって、物質的な保障はできても、精神的な保障、心の保障がなければ、完全保障社会ではない。物質的な保障は他人でもしてくれるが、心の保障は他人がどうこうしてくれるものではなく、自らが培っていくしかない。それは、幼少年時代から自然との関わりをもつことが一番よい方法なのである。

子供たちの10泊11日間の無人生活体験、最後の夜
4.精神的貴族の養成

 これまでは、宗教や思想などと呼ばれる観念によって心が支えられ、満たされると考えられがちであったが、その原点すら自然観によるものである。主義、思想や宗教などの観念を信じて主張すれば争いのもとになりやすい。なぜなら、観念は、ある社会状況の中で個人または集団がつくりだす一時的、かつ部分的真理でしがないからだ。

 私たちにとって、自然は万民共通の普遍的真理である。人によって向き、不向きなどない。高度な文明社会になればなるほど、自然、特に生活と最もかかわりの深い植物について知ることは、心の安らぎ、生きる喜びになり、困難に遭遇したときに心の拠となり、いかなる社会でも生きていける励ましになる。何より、精神的ストレス解消の最高の知恵となる。例えば、人生をともに歩むことのできる沈黙の仲間の樹木は、私たちを裏切ることなく、常に心の安らぎと支えとなる存在である。

 社会の貴族とは、自然を愛でる余裕と教養を身につけた人である。心のゆとりと豊かさこそ、いつの時代にも本当の精神的貴族の必要条件なのだ。自然を身近に感じ、楽しめる心を培うことこそ精神的保障なのである。

 10年間開催してきた“無人生活体験”は、生涯学習社会の原点である精神的貴族の養成を、具体的に実践する方法の1つとして遂行してきたのである。

            機関誌「野外文化」第131号(平成6年8月29日)巻頭より