野外文化教育への道標(令和4年)

野外文化教育への道標

1.民主教育による個人化

 日本の民主教育は、幼稚園時代から自主性、積極性、個性などの個人性を重視するもので、どちらかと言えば、知識偏重で、生きる基本的能力や社会性をないがしろにしがちである。

 社会は人により、人は教育により、教育は内容によるのだが、日本を安定・継続させるに必要な、生活文化の共通性を促す努力や工夫はあまりしていなかった。その代わり、自由・平等・権利を重視して、好き勝手な個人性を優先させ、まるで王子、王女を育てるように個人化を促した。

 その結果、日本を知らない利己的で無責任な人が多くなり、大義を損なって、犯罪、引きこもり、薬物乱用者が多くなり、金権的、刹那的、快楽的な人や自殺者など非社会的現象が多発し、経済的、社会的に不安定状態になっている。

 いつの時代にも少年教育は、社会人の根元を培う予防対応なのだが、そのことをなおざりにして、子どもたちの登校拒否やいじめ、巣ごもり、非行、薬物乱用など、枝葉末節の結果的現象に対応する、結果対応になっており、知識偏重による民主教育に行き詰まり現象が見られる。

2.社会と個人

 自然は悠久だが人の寿命は長いようで短い。個体は必ず去るが、社会は途切れることなく、川の水が流れるように続く。

 社会の継続を信じる者は、「社会のために」という大義を意識し、より良く生きようとするが、大義なき利己的な人は、刹那的、快楽的、金権的になりがちになる。

 人間は、自由気ままに生きようとする動物的習性と、他と共に生きようとする理性がある。他と共に生きる社会人には、生きる基本的能力としての生活文化が必要。それは、まず家庭で培われ始め、やがて村や町の小さな地域社会から、市や県などの大きな社会へと広がってゆく。その共通性は民族や国家へと拡大され、今では国際的にも必要になっている。

 本来の青少年教育の最大目的は、社会の安定・継続に必要な言葉や文字、風習、生活力、道徳心などの生活文化を身につけさせる、社会の後継者づくりであった。

 いつの時代にも、人心が落ち着き、社会が安定・継続するには、個々が生活文化をより良く身につけることが重要である。

3.人は弱く生まれて強く育つ

 人は、身を守るための言葉を話すことや二本足で立って歩くことも、食物を手にして食べることもできない、非常に弱い状態で生まれる。社会的人になる可能性をもって生まれた、非社会的、非文化的な動物的人間なので、長きにわたって人に護られ、育てられ、社会人になるための訓練が必要なのである。

 人は肉体と神経の作用による精神によって生かされている。肉体は自然に成長するが、精神作用は社会的刺激が必要。

 その人は、集団と個が対立するのではなく、いかなる個も集団的規定をなくしては存在しがたいので、神経作用によって認知される文化を共有することが重要。

 人は、生きるための力が他の動物のように遺伝子に組み込まれていないので、生後に模倣と訓練によって、創意工夫する能力を培い、15歳頃までに生活文化を身につけ、他のいかなる動物よりも、社会的、文化的に強い状態の社会人に育つ。

4.社会化に必要な野外文化教育

 私たちは、自分が納得できないことを他人に伝えようとはしない。納得するには、原体験や見習い、見覚えた後に理屈を知る必要がある。

 古来伝承されてきた生活文化には、生きるになくてはならない基本的なものと、なくても生きられる感性的なものがある。その基本的な文化で最も重要なのが道徳心

 人の心には個人性と集団性が同居し、絶えずせめぎ合っているが、社会人には集団性の道徳心が強く求められている。

 社会人に必要な社会的危機管理能力で最も大切な道徳心は、変化しがたい文化で、社会の善悪を判断する基準でもある。それは、覚えることではなく、感じるもので、言葉や活字、視聴覚機器などで教え、伝えることは難しい。しかし、6~15歳頃までの少年期に、異年齢集団の体験活動によって、見習い的に会得することは容易である。

 これからの科学的文明社会に対応する少年期の社会化教育に必要なことは、見習い体験的学習活動を中心とする野外文化教育である。

 野外文化教育は、さまざまな新しい社会現象の中で生まれ育つ子どもたちを、見習い体験的学習活動を通じて、生活文化を身につけるより良い社会人を育成する、社会人準備教育のことで、これからのAI・IT時代には一層重要になる。

              機関誌「野外文化」第233号 令和4年4月20日発行より