自己防衛能力の開発(昭和59年)

自己防衛能力の開発

自己防衛能力の基本を子に伝えるのは親の義務であり、自己防衛能力の高い後継者をつくるのは社会人の義務と責任である。

1.人間は無防備な動物

 この早春、氷の張った山中湖で東大生数名が死亡した。親や周囲の人々は、「まさか!・・・・」と驚いた。しかし、彼らの自己防衛能力は小学生程度のようであった。

 長い人生を生き抜く知恵を得るためには、今日の受験用の知識は、あまり役立ってはいない。ところが、親も子も、そのことに気づいていないかのように受験勉強に走る傾向が強いため、つい、自己防衛能力の養成を怠ってしまう。

 もともと人間は、最も防衛力の弱い動物の1つである。まず、身体に特徴的な武器がない。犬のような牙も、猫のような爪もない。ふくろうのような目も、馬のような駿足や猿のような毛もない。大自然の中で毅然と生きられるに必要な能力を身につけていない。し

かし、そのせいか、弱者として生きる知恵をもっている。

 大自然の中で、なんとしても生きなければならなかった人間は、身を守るいろいろな道具を発明し、自然現象の特徴を発見し、絶えず工夫し続けてきた。先祖代々のその知恵が、人類の繁栄と幸福を約束してくれているのである。そのことを忘れた時、人間は大自然の中においてひ弱な存在でしかない。

 特に、他の動物には出来なかった、2足直立歩行の能力を開発し、子々孫々に伝えてきた人間は、生活習慣の基本である歩行能力を世世代々啓発しないことには、健康で快活な生活を保障されない。

 

2.動物的防衛能力

 “可愛い子には旅をさせよ”とか、“獅子は我が子を谷底につき落す”などという諺をよく耳にする。これは、防衛能力を培うための愛のムチなのである。

 もし、愛のムチが親の手に握られていたとするならば、あの青年たちは、凍結するほど冷たい湖面を小さなボートで100メートルも漕ぎ出すようなことはしなかったに違いない。たとえ酒を飲んで酩酊していたとしても、自然環境と状況を本能的に感知するのが動物的防衛能力なのである。酒という気狂い水のせいにするなら、酒の度量を知ることも防衛能力なのだといわねばなるまい。

 彼らが、もし、幼少年時代に自然を友として遊んだり、泥まみれで遊んだ経験や仲間との共同体験があったりしたならば、あのような事件は起きなかったにちがいない。

 「自然を知る者こそ知恵者だ」

 モンゴル族の諺であるが、いかなる民族にも共通することである。

 自然は前ぶれなく、またそれらしき現象なくして、人間を暗い世界へひきずり込むようなことはしない。自然現象を正確に判断する能力こそ生きる基本的な知恵である。その知

恵の伝承こそが、古来から社会人準備教育の基本であった。人間は大自然と共に生きるために学習してきたが、今日の複雑化した文明的社会では、更に多くの知識を得る必要にかられて学校教育を発展させてきた。

 冒険家、登山家の植村直巳はマッキンリーの山に消えた。彼は社会的防衛能力については知る由もないか、動物的防衛能力は充分に培っていた世界的な男であった。しかし、その彼にしても、地球のはるか北にある高い冬山の自然現象を理解しえなかったのかもしれない。いや、それよりも、生きるために学習した知恵を過信したのかもしれない。

 生命をかけて行動することが冒険であり、繊細な神経によって判断し、未知への挑戦を社会に還元する行為が探険であるとするならば、個人には冒険もよいが、社会にとっては探険的行為の方が防衛能力の開発に役立つにちがいない。しかし、自然は恐しい。その恐れをなくした時に人は滅びる。

 人間が長い人生を生き抜くためには、己自身である体内の小宇宙的自然と、体外の大自然の諸現象を正確に判断し、勇気ある行動が必要なのである。その能力は、幼少年時代からの体験によって培われ、開発されるものであって、決して机上論の知識によって養成されるものではない。

 私の座右の銘は「繊細かつ大胆」である。

 

3.社会的防衛能力の養成

 “自由な社会では不安と孤独があり、規範と道徳心のある社会には安心とゆとりがある”

 これは私か世界の諸民族を探訪しての実感である。

 青少年は、いつ、いかなる時代でも自由と冒険を求め、不安と孤独に文学的世界を求めるロマンチストである。しかし、今日の高等な文明的社会に育った青少年の不安と孤独は、いささか異なっているような気がする。彼らのその大きな原因は、幼少年時代から異年齢集団による共同体験によって啓発される知恵が十分身についていなかったからといっても過言ではない。なんといっても、体験的な知恵、見覚えた知恵、自己啓発の知識、予想する知識、見本を沢山知ることなどが、自己防衛能力を開発するためには重要なことである。

 よく、「臨機応変な処置」を望まれるが、いかなる人間でも、突然の出来事に遭遇した場合は一瞬自分を失うものであるが、より早く平常心にもどって正しい判断のできることをいっているのである。より早く正常な自分にもどるためには、その状況に類似した見本をより多く体験的に知っておくことが大事だ。

 自然環境においても、社会環境においても、いかなる場合にも自己防衛能力を発揮できるのは、状況の類似した見本をより多く体験しているか、見覚えているか、または聞き覚えているかである。最も役立つことは体験しておくことであり、聞き覚えていることはあ

いまいになりがちである。

 自己防衛能力は、臨機応変の処置ができるほど効果があり、一層開発されるものである。その基本を子に伝えるのは親の義務であり、自己防衛能力の高い後継者を育むのは社会人の義務と責任である。

 健康で快活な生活は、いかなる医学的な知識や薬品でも保障されるものではなく、幼少年時代から培われる体験的防衛能力の開発によって約束されるものである。そのためにも、幼少年時代から青年期にかけての身心を培う野外文化活動は、長い人生を生き抜くために大変重要なことなのである。

     機関誌「野外活動(現:野外文化)」第70号(昭和59年6月25日)巻頭より