教育人類学的教育改革(平成8年)

教育人類学的教育改革

1.日常の学習動機づけ

 日常とはきわめて普通のことであるが、今日の日常は明日の日常ではない。「日々是新」の言葉どおり、平凡に見える日々も、大きな変化の一歩である。子どもたちは、ささやかであっても珍しいことが1つでもあれば、発見の喜びと感動にあふれ、すくすく育つ。しかし、惰性の日々では子どもらしく素直には育ちにくい。

 私たちは、元来怠惰な動物であるが、日常の人や物、自然とのかかわりの中にこそ学習の動機づけがあり、子どもにとっては、1人前の大人になるための種が少しずつ蒔かれている。

 ごく普通の日常の中で、意図的に行なわれる体験学習は、面白さ、楽しさ、関心の度合いだけによって評価されるものではなく、時には厳しさや社会性が必要なのである。

 学校教育はわずか9年から16年であるが、人生は60年から90年もあるので、学校が児童、生徒を独占することは、あまり意義深いことではない。

 資格をもった人が行う学校教育で、地域社会の人びとが知らないことを教えることはよいことだが、いつでも、どこでも、誰でも行える社会人準備教育では、地域社会の人びとと共に育つ子どもたちが、人間らしさを失わずに、生活知ともいえる“生きる力”を身につけながら育つことなので、理屈よりも自然とともに生きる大人の誰もが身につけていることを知るための体験学習が必要なのである。

2.文明社会の教育人類学

今日のように平和な文明社会では、都市化現象、ボーダレス化現象、金権化現象、情報過多現象、そして中性化現象等によって、かえって心が貧しくなってしまっては、よりよい生活の目的が失われる。私たちは理屈によって生きているのではなく、生き方に理屈がついてくるものなので、今必要な生活態度や価値観の基準を身につけることだ。

幸土に発達した文明社会に生まれ育つ子どもたちが、人間らしさを失わずに、生活知ともいえる“生きる力”を身につけながら育つことなので、理屈よりも自然とともに生きる大人の誰もが身につけていることを知るための体験学習が必要。

 これからの教育は、時間と費用をかけて意図的になされる、体験学習の新しい理論と方法がなくてはならないのだが、その新しい学問が“教育人類学”である。

 教育人類学は、私たちがこれまでに経験したことのない様々な科学的社会現象の中で生まれ育つ子どもたちが、社会の後継者としてどのように育ち、どのように生きるかを人類学的に調査、研究して、よりよい社会人を育成するための理論や方法を、教育学的に考え、実践することなのである。

3.新しき教育観と学力観

 今日の青少年は理知的ではあるが、大変利己的で自己陶酔型の性格の持ち主が多い。そして、社会的、人間的な成長が不十分で、人間本来の生命力である“生きる力”としての全体的能力が未発達でもある。

 自然環境に順応するための考え方や感情、自然と共にどう生きるか等、そのあり方が人類共通の文化であり、“生きる力”でもあるのだが、理屈によって身につけることはできないものである。

 このような観点から、新しい教育観は、知能の基礎、基本から、社会人として生きるに必要な能力の基礎、基本へと変わった。また、従来の学力観は、知識を頭の中に詰め込み、蓄える知識習得主義、すなわち記憶力重視であったが、これからの学力観は、なすことによって学ぶ力を基軸として、自主的、実践的な力を育成し、思考力、判断力、表現力、行動力等が重視されるのである。

 私たちは今、3~12歳頃の幼少年時代によく遊ぶことによって、感性と直感を豊かにし、13~22歳頃までの青少年時代によく学ぶことによって、知性を豊かにし、理性を強くすることが望まれている。

4.教育人類学的実践

 社会人とは社会に共通する生活の知恵、知識、体力などの基礎、基本を身につけている人のことであり、よりよい大人は、心身ともに一人前ということになるい。

 学校教育やマスメディアの発達によって、子どもたちは実に多くの知識、情報を身につける。しかし、単なる“物知り”では生きる力にはなりえない。社会人としての1人前の大人になれるかどうかは、少年時代の体験の量や質によることが多い。

 教育人類学的に考えた体験学習(野外文化教育)のしかるべき内容は、①生活体験、②労働体験、③自然体験、④没我的体験、⑤集団的活動能力の向上体験、⑥問題解決の克服体験等である。

 これからの教育改革は、長い人生を豊かに、楽しく生きるために必要な、社会人としての基礎、基本を身につける、教育人類学的実践としての野外文化教育か必要である。

            機関誌「野外文化」第144号(平成8年10月25日)巻頭より