人づくりは安全な食物から(平成4年)

人づくりは安全な食物から

 ソ連解体で社会主義が負けたといわれているが、大統領がセールスマンの役目をせざるおえないアメリカ資本主義もまた勝ったとはいえない。両国に共通することは、不十分な国民教育と膨大な軍事費に負けたし、極端な管理主義と自由主義に負けたことだろう。しかし、いずれにしても人がなすこと。基本的には、“人づくり”に失敗したといえるのではあるまいか。

 政治の重要な3本柱は、社会の安定、継続、繁栄であるが、全て人がなすことなので、人づくりに勝る政策はない。その人づくりに最も大切なことは、心身の健康である。健康はスポーツや医療や生活環境によってのみ維持できるものではなく、命の源である食べ物が重要なのである。

 食べ物の3大必要条件は、新鮮、おいしい、身休に良いことである。有機物である農産物は画一化か困難なので色や形や見映え等は、さして重要な事ではない。

 ところが、経済観念と科学技術の発達した今日では、見映えや便利さが優先され、生活の技術やレベルが向上した代りに、健康管理や生命維持に気配りが必要になってきた。

 地球の環境管理や自然保護、公害防止などはその現れであるが、最も大事なことは、食物の安全性である。ところが、ウルグアイラウンドにおける農作物の自由化は、その安全性については問題にならず、工業製品と同じレベルでの関税問題でしかない。これはより高度な文明的な生活のための道具と生命の源である食物を同じに見なした経済的国際化への手段でしかない。

 農産物について、食料安保以前の問題点は、各国における農薬残留や使用の規定、又は食料の添加物、保存料、着色料その他の基準か異なることである。それは、食文化と大きくかかわりあっているので、一定にするのは困難である。例えば、日本人の主食は米、アメリカ人の主な穀物は麦とトウモロコシ、ドイツ人はじゃがいもなどである。

 経済と科学技術は競争によって発展し、勝ったり負けたりすることによって良い結果をもたらす。しかし、有機物である食べ物は、無機物の画一化された工業製品と同じように、生産性を高め、合理的に多量に生産すれば良いというものではない。なんと言っても、外見ではなく身体によく、安全であることなのだ。

 アメリカの大統領か日本にやってきてもっと車を買ってくれというのはわかるが、アメリカの規定や基準に従った食べ物、米を買ってくれというのには不安を感じる。強制するのは属国扱いであり、日本人の生命や健康を無視した危険な商人でしかない。

 無機物である工業製品の自由競争は、品質の良し悪しによって消費者が判断するので結果的な勝負には納得できる。しかし、安全の基準が一定していない食料品の自由競争は、生命と健康と子々孫々にまでかかわることであり、不安と心配がいつまでも尾をひくのであまり賛成できない。だから、社会の価値観や生活文化が統一されない限り、食料の自由貿易は警戒すべきことである。

 食物は、安ければ、沢山あれば見かけがよければ良いというものではない。また経済や科学技術の立場でのみ考えるべきものでもない。命と同じく大事なものと考えるべきものである。

 経済的、科学技術的に国際化を叫ぶ日本が、これからより長く安定した繁栄社会を続けるためには、心身の健康な人材を育成する“人づくり”を忘れてはなるまい。それには身体に良い、安全な食物の確保を最優先すべきだ。そのためには多少の社会的犠牲を払い、国際間の安定した協定をより早く結ぶべきである。

 人間は、平和で安定した生活ができるようになれば、誰もが自分の健康を気づかうものである。これまでの青少年の健全育成は、訓練やレクリエーションが重視されてきたが、これからは安全な食物を優先し、食文化についても認識を深めるべきである。それは、子供にだけではなく、遺伝子をもつ親にもいえることである。

 手間ひまかける子育てに最も重要な食物は、やはり手間ひまかけて作る新鮮でおいしく安全な農水産物であることが望ましい。その認識こそ、これからの“人づくり意識革命”の第一歩なのである。

            機関誌「野外文化 」第116号(平成4年2月20日) 巻頭より