通じなくなった日本語⑤ おはよう(昭和54年)
通じなくなった日本語⑤ おはよう
朝の挨拶は「おはよう」これは当り前のことで理屈なんかありはしない。挨拶は人間関係の基本であって、およそ義理で使うものではないのだが……。
1.おはようは義理の言葉
「おはよう!」
私は青年たちに笑いながら言った。なんとなく気持ちのよい朝だった。
「あなたはどうしておはようなんて言うのですか?」
21歳の斉藤が尋ねた。私はどう答えようかと彼をみつめた。
「君たちはどうして言わないのかね?」
「私は言いませんよ。おはようなんて言う奴は信じません」
「おはようというのは、朝の挨拶で日本人なら誰でも知っていることばなんだ」
私は、斉藤と大学1年生の秋葉をみながら言った。すると秋葉が、「知っていますよ。だけど使う理由がわからない。おはようなんてことば、なんとなくなじめません」
「君たちは大学を卒業して、実社会で勤めはじめても、朝みんなに挨拶しないつもりかね」
「必要のないときはしませんね。どうしても挨拶する必要があるときにはします」
斉藤が、俺は秀才だと誇っているような澄ました表情で言った。
「じゃ、挨拶するときは何と言うのかね」
「さあ……おはようと言うでしょうね」
「やっぱり、おはようと言うじゃないか」
「そう、おはようというのは、義理で使うことばですから……」
「そんな!………」
私は、口をあんぐり開けて斉藤をみつめた。
「日本には義理で使うことばが多いんです。労働して、その代償に報酬をもらうのであり、金をもらうから働くのであって、義理で働いているのではないのです。しかし、金をもらっている以上、こちらにも弱い点がある。だから儀礼的な挨拶ぐらいは仕方ないです」
秋葉が斉藤の代わりに説明してくれた。
私は秋葉の口からポンポン出ることばを聞いていると、暗示にかけられたような気がして、フイと片目を閉じてみた。でもやっぱり彼らの表情は同じだった。彼らは正常に話している。
「それじゃちょっと聞きたいんだが、おはようと言うのと、グッドモーニングと言うのと、どちらが言いやすいだろうか」
「同じですよ。全く同じですね」
秋葉がすかさず答えた。斉藤も頷いたので同意見のようだ。私が彼らに『おはよう』と言ったのは、起きてすぐ洗面所に入って顔を洗い、なんとなく嬉しくて、よし!今日も頑張ってみるかと思ったし、太陽が東から昇り四月の香りが漂っていたからだ。同じ屋根の下に住んでいる彼らも同じ気持ちだろうと思ったのだ。だから、『おはよう』という答えが返ってくるものだと思っていた。
2.仲間内の挨拶
「じゃあ君たちは、朝会ったとき、お互いに何と言うのかね」
「言いたくなければ何も言いません。言いたいときは、『よお!』とか『どう!』とか『おい』ですね」
斉藤が私に答えてくれた。彼はあたりまえのことを言っただけというような表情で私を見た。
「そう、『よお!』か… それだけでいいの?」
私は感心したように笑いながら言った。
「しかし、仲間内ならいいかも知れないけれど、先生や近所の老人たちや両親にはそうはいかんだろう?」
「先生にも近所のお年寄りにも、両親にもおはようなんて言ったことないよ」
「そんなことないだろう?」
私は彼らへの視線を強くして言った。
「僕は先生に挨拶したことないし、先生も僕らに『おはよう』なんて言ったことない」
秋葉がふて腐されたように言った。
「どうして君たちのほうから『おはよう』と言わないのだ?」
「あなたはね、古いのよ。僕たちの世代では誰も『おはよう』なんて言わないんだ。そんな挨拶する奴は仲間じゃないから無視するんだよ、わかる?この意味…」
斉藤が私をたしなめるように言って笑った。私は彼らからみると、古いのだろうか?
3.挨拶は社会生活の知恵
「私にはわからないね。私にとっては、『グッド モーニング』と『グーデンターク』と『ボン ジュール』と『サラアレコム』と『ジャンボ』とは同じだよ。同じ挨拶のことばでしかないんだ。しかしね、日本語の『おはよう』ということばはその裏に言い尽くせない気持ちや心づかい、そして喜びや励ましや信頼関係があるんだ」
私は、自分が古いと言われたので、つい胸を張って言った。古くなんかないんだぞと言いたかったような気もするが、口に出たことばは違っていた。
秋葉が私をからかうように笑いながら言った。
「それ、どういう意味? わからんことを言うのね」
「私は日本語をしゃべっているんだぞ!」
「そう、それは日本語だけど・・・日本語はむずかしいね」
秋葉が斉藤に同意を求めるように言って両手をあげ、首をすくめて笑う。
「おはよう!おはようございます!なぜ言えないのかね。いいことばだよ。朝の挨拶なんて、どの民族でも一番使いやすくて、良いことばを使っているんだ」
4.朝を知らない世代
「おはようなんてことば、いったい誰が作ったのですか? 僕にはそのことばを使う意味がよくわからない。朝になると、みんなが決まったように、おはよう、おはようございます、なんて言うけれど、その意味も必要もないではないですか?」
斉藤が怒ったような表情をして言った。
「意味なんか考える必要はないんだ。朝、夜明けと共に起き、日が昇るのを見れば誰だって気分がよくなるだろう。その気持ちを伝えることばなり記号なり、音なりがあればいいんだ。それが日本ではおはようなんだ」
「日が昇るって、日の出のこと?」
「そうだ」
「僕は日の出など見たことがない。起きるのはたいてい八時頃だけど、朝、太陽なんて見ないもの」
秋葉が驚いたような表情で言った。私は言うべきことばを失って、彼をただみつめていた。深夜放送を聴いてか、本を読んでか、駄弁ってか、夜遅くまで起きている若い文明人の代表が、彼のような気がした。
私は、日の出を見たことがないという秋葉の表現に、とまどった。私は自分の目がしらに右の掌を当てた。するとまっ暗闇の中に線香花火のような赤い星が散った。秋葉の説明に驚いたからか、怒ったからかわからない。
「おはようなんて言う必要ないよ」
斉藤と秋葉は、あっけらかんとして洗面所を出ていった。私は1人になって目を開いた。朝の光が目にしみた。
機関誌「野外活動(現:野外文化)」第42号(昭和54年10月27日)巻頭より