大東亜戦争の人類史的考察(平成27年)

大東亜戦争の人類史的考察

1.日本の旗手を担いだ選手たち

 1964年10月10日から始まった、アジアで初めての東京オリンピック大会は、天候に恵まれ、大会は見事に運営されて、滞りなく10月24日に閉会式を迎えた。

 閉会式では、各国の選手団が、旗手を先頭に整然と行進するはずだったが、各国選手たちは、係員の制止を振り切って入り乱れ、肩を組み、群れをなして笑顔で入場した。そして、日本の選手団の旗手を肩に担ぐ人、日の丸を持って歩く選手たちがいた。

 海外旅行の準備中であった私は、その光景をテレビの画面に見入った。某新聞によると、その時のNHKアナウンサーは次のように報じたそうだ。

 「国境を越え、宗教を超えました。このような美しい姿を見たことがありません。誠に和気あいあい、呉越同舟。なごやかな風景であります」

 “平和の祭典”と呼ばれる五輪だが、他国の選手が寄り集まって、何故に日本の旗手を担いだり、日の丸を持ったりして歩くのだろうか? 私は、感動と疑問と希望に胸が熱くなり、暫く興奮状態であった。

 

2.アジアーアフリカからの称賛

 私は、1964(昭和39)年3月に大学を卒業したが、その年の4月から海外旅行が自由化になり、オリンピック大会開催年でもあったので、いろいろ啓発され、海外へ出る準備に追われていた。

 旅行費の工面や両親の許しを得るのに半年近くもかかり、閉会式直後の11月初めにやっと横浜港から出発し、シンガポールへ向かった。そこから陸路でアジア大陸を東から西へ横断した。

 東南アジアの各国を訪れ、多くの人から歓迎された。日本を出発する前に警告されたことは、戦後まだ20年足らずなので、地方に行けば殺されるかもしれない、危険だから気をつけなさいであった。

 ところが、何処へ行っても「日本はすごい、日本人はえらい、日本人は久し振りだ、日本のお蔭で独立できた」などと大歓迎され、家に招待されて食事を共にすることが多くあった。

 南アジア・中央アジア・中近東を訪れても、日本人はえらい、日本はすごい国だなどと称賛され続け、大東亜(アメリカでは太平洋)戦争を懺悔する必要などなかった。

 そして、ヨーロッパでは、日本の商品をおもちゃだと思って買ったら、5年も10年も使えているなどと、トランジスターやカメラ、時計などが誉めそやされた。

 アフリカ大陸を縦横断したが、そこでも日本のおかげで独立できた、日本人はえらいなどと、見ず知らずの人々から支援・協力していただいた。

 貧乏旅行をしていた私は、世界の人々から称賛される祖国日本の後ろ楯のおかげで、アメリカ大陸をも縦断して、世界72ヵ国を探訪し、約3年後に無事帰国できた。

 

3.戦争は相互的行為

 世界旅行直前に感じた、他国の選手たちが日本の旗手を担いだり、日の丸の国旗を持って歩いたりしたことの疑問が、地球を一周してやっと解けた。

 戦争とは、集団的残虐行為であり、どんな戦争も相手がいることなので、よい戦争などありえない。しかし、これまで多くの民族・部族の集団は、自分たちの安全・安心・権利などを御旗に、少々の犠牲を承知で紛争や戦争を繰り返してきた。

 古代から、勝てば官軍負ければ賊軍と言われてきたが、勝者が有利なことは今も変わらない。しかし、戦争は相互的行為なので、敗者にもそれなりの理由と意義がある。

 1945年頃は、アジアやアフリカの殆どが欧米諸国の植民地であった。ところが、日本だけがアジアで欧米植民地国と戦った。欧米文化とアジア文化の戦いとも言えるインドシナ半島インドネシアインパールなどでの戦いは、アジアやアフリカの人々の目を開かせ、独立運動の火蓋を切るきっかけとなった。

 欧米以外のアジアで最初のオリンピック大会に参加した、第二次世界大戦以後に独立を果たした各国の選手たちは、そのことをよく知っていた。そして、原爆投下を受けて荒廃した敗戦国日本が、僅か20年足らずで不死鳥のように復活し、見事にオリンピック大会を開催した。

 “我らが同志、我らが旗手、日本万歳”その自由と平等・平和を称える叫びが、あの閉会式で日本の旗手を担いだり、日の丸を先頭に群れをなして歩いたりすることになった。

 長い間戦争の負い目を感じていた私は、アジア、アフリカ諸国の独立を確かめた地球一周後に、人類史における大東亜戦争の意義を考えさせられた。それが、その後40年近くも日本の民族的、文化的源流を探る、アジア諸民族踏査旅行のきっかけになった。

 

4.人類史上の大東亜戦争

 人類は、古代からいろいろな理由や目的によって戦争を繰り返してきたが、科学技術が発達するに従って、その愚行に気づかされ、伝統や民族の強い国家主義を浄化し、希薄なものにして、グローバリズムこそが幸福をもたらし、未来を切り開くものとされてきた。

 しかし、そうした楽観的な歴史観は、アメリカ的な経済活動中心の市場主義や発展主義には都合がよかったが、人の生きがいや社会の安定と継続には効果的ではなかった。かえって人心の不安や社会の不安定を招き、倫理観や価値観を失わせた。

 そこで、これからの私たちは、グローバリズムとか国際化という美名に飾られた近代的歴史観を見直し、国際化における国家の重要性と在り方の再確認が必要になっている。

 日本的呼称の大東亜戦争は、多くの犠牲を払い、悲惨な状態を招いたが、欧米中心の史観や植民地制度、それに人種差別(奴隷制度をも含めて)などを無くするきっかけとなったので、私たち日本人は、戦勝国アメリカ)の立場に立っての見方だけではなく、敗戦国日本が果たした人類史的役目を認め、世界の平和と安全について考察する時がきた。

 戦後70年の節目を区切りとして、2020年の東京オリンピック大会を迎える上にとって、人類の理想に近い信頼社会日本の生活文化が、次にはよリ多くの国の人々から評価・称賛されるように、我々日本人の最善の努力・工夫が望まれている。 

           機関誌「野外文化」第216号(平成27年1月20日)巻頭より