日本的家族の崩壊(平成13年)

日本的家族の崩壊

1.アラブの家と日本の家

 去る1月25日から17日間、アラビア半島サウジアラビアとイエメンの子どもたちの遊びを踏査し、要塞化した町と家を見た。

 乾燥した砂漠に生きるアラブ人にとって、物事に対する静観と受動とは滅亡を意味し、生きることは自然を征服し、他部族を征服して統一することであったそうだ。そのため、常に戦闘的態勢が必要で、石や土で作られた家は集団化し、要塞と化している。彼らは、一族が身を守るために共同生活をしているので同族意識が強い。

 日本の大半は温帯気候であるが、寒帯的な冬と熱帯的な夏があるので、人々は自然に敵対するよりも順応して生きる忍従性が強い。湿気が多く変化の激しい豊かな自然に順応して、稲を栽培して定住する日本人の家は、木と土と紙で作られ、大変開放的である。独立家屋が集落をなした村や町でも、家族単位で生活していたので、一体化していないし、壁による囲いもなく無防備であった。

 

2.家の“うち”と“そと”

 孤立した日本の家の玄関には錠があり土間があるので、出入りする時に履き物をぬいだり履いたりする。私たち日本人は家の内と外を世界で最も強く区別している。

そして、家を“うち”とも呼び、うちにおいては個人の区別はなく、家族として一休化した存在であった。そのため同じ家に住む人を“うちの人”と呼び、隔てなき間柄とした。ところが、家の外に住む人を「そと(よそ)の人」すなわち隔てある人々・世間として、共通性を重要視はしなかった。しかし、家を中心とする家族単位の社会であったので、うちの人は家、家族の対面を汚さないため世間と合わせることに気を遣った。

 要寒化して部族単位で暮らすアラブ諸国やヨーロッパには、日本のような家の“うち”“そと”の区別はない。石やレンガや土で作られた厚い壁の家の内部は個々独立し、各部屋に錠があって距てられている。だから、鍵をもつ人のみが土足で出入りするので、同じ家の住人としての一体感はない。個人の心の内と外や部屋の内外、家屋の内外、それに街を囲む壁の内外のように個人や共同体の“うち”と“そと”の区別がはっきりしているので、利己的ではあるが、集団の掟や規則が強い部族単位の社会である。

 

3.日本的家族の特徴

 アラブ諸国やヨーロッパの厚い壁のあるマンション的な家に住む人には、錠のある部屋から出ることは、日本人が家の玄関から外に出ることとほぼ同じ意味を持つが、生活共同体の外ではない。彼らにとっては、家の内の食堂も街中のレストランや映画館、公園等も共同生活の場で、日本人にとっての家庭内の食堂や応接間のようなものである。彼らにとっての外は、共同体を囲む壁の外のことで、いろいろな人が雑多に住む街は内なのである。

 だから、彼らは部屋と城壁の間にある家はあまり重要ではなく、他と隔てのある街で個人的だが、楽しく社交的に生活する習慣を身につけている。

 ところが、日本の家の各部屋は襖や障子で仕切られているだけであったので、家の内に住む人は一心同体の家族であり、家の中では裸でいようがステテコ1枚でいようがお構いなしとして、茶の間の団欒が持たれた。

 かつて日本の「家」は家族を意味し、家長によって代表されたが、その家長も家名のためには犠牲になった。だから、家に属する人は親子、夫婦、兄弟姉妹の間柄だけではなく、先祖(祖霊)と子孫の関わりが強かった。そして、親子の絆が強く、親のため、子のため、家族のための犠牲は、当人にとっては最も高い意義とみなされ、家族か社会の最小単位であった。

 

4.孤立化する日本人

 “勇気の貴さは、家族のために自己を空しくする所にある”とも思われていた日本的家族の絆が、工業化による経済的発展によって稲作農業の衰退と共に崩壊した。

 家の構造が家族の間柄にも反映するといわれているが、今日の日本の家は、アラブ諸国や欧米と同じようにマンションか多くなり、厚い壁や扉で部屋が仕切られ、錠までついて孤立化している。そして、市場経済中心の社会は、人間を個人の労働者や消費者とみなし、家族は個人の結合とみなしているので、人々は否応なく利己的になりがちである。

 今日、日本の多くの人々が、働くことの社会的意義を失い、金銭的価値観を身につけ、家族の意義すら知らないままになっている。

 アラブ諸国や欧米の人々は、今も伝統的な共同体の規則を承知し、内と外の区別をしっかり持っている。ところが、伝統的な家族の絆と世間を失った日本人は、共同体の内と外の概念や規則の重要性の意識が弱く、国際化の美名の下に自由と利己主義を謳歌しているが、寄って立つ所を失って、男女参画の中性化社会の中で、不安と不満の渦に呑まれますます孤立化している。

            機関誌「野外文化」第169号(平成13年4月13日)巻頭より

                    ※和辻哲郎著「風土」(岩波文庫)を参考