通じなくなった日本語① 奉仕とボランティア(昭和53年)

通じなくなった日本語① 奉仕とボランティア

 最近、日本語が通じなくなっていると痛感することしきり。ここに交される高校生との会話でも、遂に私の真意は分かってもらえなかった。

1.実感のないボランティア

 「ホウシとは何語ですか?」

 私は質問の意味がすぐには理解できず、高校3年生の男子を見た。悪気も恥ずかし気もない。まるで中国語か英語の単語の意味でも尋ねるようだ。

 「日本語だよ」 「どういう意味ですか?」

 彼はオーム返しにまた尋ねる。どこかに真剣な眼差しがキラリと光る。私は、彼が日本人だと思い込んでいるので、からかわれているのではないかと思った。すると“何のためにそんなことを私に尋ねるのか”と好奇心と不信の念でいっぱいになった。

 「奉仕というのは……」

 私は、彼の顔を見ながら話しているうちに、どういうわけか頭の中が妙に涼しくなった。いったい私は、何を考え、何を言わんとしているのだろう。私の頭の中を空白の時が走った。まるで、宇宙からの指令を受けているかのようだ。

「ええ、何ですか?何と言ってらっしやるのですか?」

 彼は怒ったような表情で私を見ながら言った。私は、彼の言葉にはじかれたように思わず叫んだ。

「ボランティアのことだよ」

言った後で、心臓がコトコト高なるのを感じた。どうも後悔をしているようだ。

 「そう、ボランティアなの。初めからそう言ってくれればすぐ分かったのに」

 彼は笑いながら、物知り顔で言った。すっかり理解できたというさっぱりした彼の表情を見ると、私はピンポン玉を飲み込んだような異物感を喉に感じ、それを吐き出すように言った。

 「ボランティアつてどういう意味だい?」

 「ええ!ボランティアを知らないの?」

 彼は、言葉の通じない異国人を見るような驚きを込めて言った。

 「ボランティアというのは、身体の不自由な人や身体の弱い老人を無料で世話してあげることですよ」

 彼は非常にわかりやすく、はっきりと自信を胸にいっぱい吸い込んで一息に言った。

 「困った人を助けることか……」

 背中をトンとたたかれた拍子に出る咳のように、ふいと言葉がついて出た。

 「まあ、わかりやすく言えばそうなりますね」

 頭を縦に振りながら、彼は自分で納得するように言ってから、考え込むような表情をした。

 「老人ホームを慰問したり、寝たきり老人を世話したり、身体の不自由な人を助けたり、とにかくボランティアというのは弱者の面倒をみること、弱者救済なわけか」

 「そうです。だから、現在はいろいろなボランティアグループがたくさんあるのです。ボランティアは、民主主義社会の必然であり、社会福祉の基本です。」

 彼は右手の拳を握りしめ、演説口調で声高に話した。

2.社会の潤滑油

「ボランティアというのは何語だね?」「日本語ですよ。意味わかるでしょう」

 彼は不安そうに私を見ながら言った。私は言葉の意味ではなく、その実態が具体的につかめなかった。ボランティアという言葉はしばしば耳にするが、それが私の生活文化の中に定着していない。

 私は、身体障害者や老人を世話するのは正常な社会人の義務であり、民主社会のなすべき保障であると信じている。それを、人道的ロマンスに酔わされた希望者が個人的に無料で世話しろなどというのは、押し着せがましく、かなり犠牲的な気持の上になされているのではないかという思いがぬぐえない。

 ボランティアが日本人社会にとって必要なものなら、組織作りをする必要もなく、指導されることもなく、ごく自然に社会の潤滑油となるべきではないか。そして、その行為はいずこからともなく、誰からともなく盛り上がってゆく道徳的なものであるはずだ。

3.生活文化に重なる言葉

ボランティアの意味に、私の生活文化の中で重なる言葉は“奉仕”なのだ。すると“奉仕”にまつわる体験や想い出が具体的にいろいろ脳を駆け巡った。それらは私にとって、強制的でも義務的でもなく、わざとらしくもなかった。

「日本には、昔から勤労奉仕という言葉があったんだが知っているかね」

 私は話題を変えた。彼は聞き慣れない言葉を耳にするように緊張し、「勤労って何ですか」と言った。「勤労というのは賃金をもらって働くことだけど、勤労奉仕というのは、労働奉仕ともいって、自分の労働力を無料で提供するんだ」

 私は言い切ってはみたが、“勤労奉仕”という言葉に国家的な強圧的意味が含まれているような気がした。しかし、そういう意味合いは本来のものではない。私の知らない第二次世界大戦前の日本の軍国政治の下で、一時的な社会現象として捕えたものだ。日本の農耕生活文化には、はるか昔から“労働奉仕”が存続している。

わが国には、“ゆい”“手代え(てがえ)”“手間(てま)控(かえ)”“手(て)間借(まかり)”とかいって、交換的な協同労働や、賃金を伴わない労働提供の“手伝い”があった。これは、家族労働だけでは足りない多忙な時期に、互助的に行なわれた“労働奉仕”である。金銭や物品で相殺されることのない、無期限に労働力を返す信頼社会の現象であった。

 農繁期の互助労働、冠婚葬祭などの手伝い、また困った時の助け合いなどには、社会的、人道的、血縁的そして文化的に“道徳心”としての奉仕精神があった。そこには、何年後になっても必ず返されるであろうという信頼で社会が存在してきたし、逆に言えば、自分たちの社会をそれだけ確かに信頼してきたことになる。“奉仕”とはそうした信頼と確かさから成り立っているものであり、決して一方的なものではない。また、古くから村や町の公共事業や寺や神社、それに祭礼行事などに対する労働奉仕などもあった。だからこそ定住農耕民である日本人の信頼社会の中に、奉仕精神は根強く存続し得た。

4.奉仕とは信頼なり

「奉仕とは信頼なんだよ」

 私は“ボランティア”と“奉仕”は重なるが、奉仕の方がはるかに寛容で大きく、絶対重なりえない部分があるという気持を込めて彼に言った。

「ボランティアは奉仕ですか?」

 彼は私の説明から何かの類似点を発見したのかもしれない。

「ボランティアは奉仕かもしれないが、奉仕はボランティアではないよ」

 彼の顔に驚きの色が広がり、目から不信の光が走った。

「奉仕は民衆の生活文化として道徳的に必要なものであり、良心ともいえるものなのだ。形や色の決まったものではなく、液体のように自由自在でありながら、非常に道徳的なのだ」

 私は彼に、“奉仕”と“ボランティア”との違いを説明したつもりでいるのだが、ボランティアという外来語をどうしても理解できない。血となり肉となって、私の心の中にある生活文化は、ボランティアではなく奉仕なのだが、高校生の彼にはどうしてもそれが分からないらしかった。否、ボランティアという外来語に、彼は形と色をつくりあげているようだ。だから彼には、約束ごとの規約と信頼性の道徳心という社会的な違いを分かってもらえない。まるで異国人のような違和感を感じた。

「奉仕とは、良心的社会道徳なんだ」

 私は彼に言ったが、彼は私に対して何の表情もみせなかった。

       機関誌「ZIGZAG(現:野外文化)第37号(昭和53年12月9日)巻頭より